第百八十六話【リベラル・左派の価値観が奪われ、極右によって使われる(集団的自衛権編1)】

「極右が集団的自衛権を否定するだって⁉」論説主幹が〝あり得ない〟との感情をことばに込め言った。「いかにも軍事力の信奉者といった連中だろう」とも。


 しかし天狗騨記者はまず確認するように訊いた。

「それを言う前に我々ASH新聞が今でも集団的自衛権を否定しているか否か。そこは否定で間違いないですね?」


「当然だ。日本が戦争に巻き込まれるわけにはいかない」迷い無く論説主幹は言い切った。

 ASH新聞はかつて日本政府が『解釈改憲を行い集団的自衛権の行使を認める』と決定した際、激しい憤りを紙面で展開した過去がある。


「もうご存じかとは思いますが、私は対北朝鮮対抗策としての『日米韓の連携』に否定的な立場です。そして実は極右・仏暁信晴も同意見です」


 これには論説主幹は慌てた。

「集団的自衛権を否定する以上、日米韓の連携をも否定しなければならないと言うのか⁉」


「そりゃそうでしょう。北朝鮮の軍事的挑発に対抗するための『日米韓の連携』なんでしょう? ならばこの連携が軍事的オブションを視野に入れていないとどうして言い切れるんです? 韓国が北朝鮮に攻撃された場合、日米が韓国側に立ち戦争協力するというのなら、これこそ集団的自衛権の発動ですよ」


「……」


「それともASH新聞の推す『日米韓の連携』とは、北朝鮮に向かって日米韓が異口同音に同じ事を喋っているだけで連携したことになると、そう思っているという事でしょうか?」


「それは……」

 アメリカ合衆国は〝その程度の連携〟で済ませるつもりで言ってはいないだろう、と直感した故論説主幹は詰まった。


「仏暁信晴は言います。『朝鮮戦争が再開され北朝鮮が韓国に対し攻撃を始めた場合、それは日本に対する攻撃ではない。日本は集団的自衛権など信じるべきではなく元々否定してもいた。よって北朝鮮にもつかず韓国にもつかず武装中立を堅持すべし』と」


「かっ、韓国からの戦争難民は?」反射的な論説主幹の問い、思わず声が高くなる。


「誰の意見を訊いています? 私ですか、仏暁信晴ですか?」


「りょっ、両方だ!」


「残念ながら共に『受け入れるべきではない』、これが意見です」


「天狗騨君よ、君もか?」


「ええ」


 論説主幹が顔に憤りの感情を浮かべる。

「ロシアがウクライナを侵略した際にはウクライナの隣国ポーランドが多くのウクライナからの避難民を受け入れたんだ。韓国の隣国である日本が朝鮮半島からの戦争難民を受け入れないなどと、そんな事が国際社会に通るわけがない!」


「『朝鮮半島有事』が起こった場合、これに連動し『台湾有事』が起こされる可能性極めて大です。北朝鮮くらい韓国一国で持ちこたえてくれなければ困る。ウクライナのようにロシアを相手にしているんじゃないですよ。こうした考えは容易に国際社会に通ります。もっとハッキリ言うと〝アメリカ合衆国に通る〟という事です」


「『朝鮮半島有事』と『台湾有事』が同時に起こるって?」


「厳密には『朝鮮半島有事』が先に起こり、その少し後に『台湾有事』が始まるケースです。こうした場合、在日アメリカ軍の戦力を2方面に分散できる。中国にとって都合の良い事態が現出します」


「それはあまりに空想的というものじゃないか?」


「『そんな事は起こらない』、と言いたいわけですか。しかしロシアのウクライナ侵略時も『そんな事は起こらない』と専門家達は言っていました。『そんな事は起こる』と言っていたのはアメリカ合衆国のみだったのでは?」


「しかし何らかの根拠のようなものはアメリカだって言っていたろう?」


「根拠はむろんあります——」そう言いながら天狗騨は手帳のページを繰る。「朝鮮戦争は1950年6月25日に始まり、1953年7月27日の休戦協定でひと区切りとなります。ではこの間、中華人民共和国はいったいなにをしていたでしょう?」


「北朝鮮側に立ち参戦した」間髪入れず論説主幹は断言した。


「確かに参戦しましたが私の期待した答えと違いますね。答えは『中華人民共和国はチベットを侵略し占領した』です。1951年9月9日に中国共産党軍はチベットの首都ラサを占領しています。まさしく朝鮮戦争の真っ最中ですよ」


「……」


「世界の耳目が朝鮮半島に注がれている時にまんまと侵略し領土拡張を成し遂げたのが中華人民共和国です。人間とは成功体験が忘れられないものです。果たして21世紀の現代に北朝鮮が中国にそそのかされ韓国全土の占領を目論むかは分かりませんが、ロシアがウクライナに対し侵略戦争を仕掛けたのもこの21世紀の現代だ。『朝鮮半島で有事が起こればその隙に中国が何事か行動を起こすだろう』という考えは、突拍子も無い考え方ではありません」


 沈黙状態の論説主幹を尻目に天狗騨がさらに続けていく。

「——すると後は比較の問題です。北朝鮮が韓国を占領するのと、中国が台湾を占領するのとを比べて、でしょうか? この際『両方とも』という答えは無しで考えて頂きたい」


「なぜ両方はダメなんだ? 両方大事だろう?」


「韓国に過剰に肩入れしてしまう人の視点で考えてしまわないように私は『』と訊いたのです。まあもったいぶるのはよしましょう。間違いなく中国が台湾を占領する方がアメリカにとって重大事です」


「なぜだ⁉」


「北朝鮮が韓国を占領しても日本列島そのものが朝鮮半島の蓋となる地形は変わる筈も無くアメリカの太平洋覇権は揺るぎませんが、中国が台湾を占領してしまった場合、太平洋はこれまで通りとはいかない。もはやアメリカにとって太平洋は安全な海ではなくなるからです。太平洋においてアメリカ海軍はこれまでのような運用はできなくなるって事です。よって間違いなく台湾の方が重い。韓国は軽い」


「ちょっと待て天狗騨君、韓国からの難民の話しはどこへ行ったんだ⁉」


「どこへも行っていません。『台湾有事』に備えるため受け入れるべきではない。大韓民国はウクライナのように大国を相手に戦争しなければならないわけではない。『北朝鮮程度自国一国で対応しろ』という事です。私も仏暁信晴もこの点まったく意見の相違は無い」


「人道はどこへ行ったという話しだ。それは戦争協力とは違う話だろう!」


「解りませんか? 我々日本人からすれば、日本へ渡って来ようとする『戦争難民』という者達が、韓国人か北朝鮮人かの区別はつきません」


「ど、どういう意味かね?」


「簡単な事です。『台湾有事』が起こった際、日本国内で大規模な破壊活動が行われれば国内の治安維持が優先され日本は台湾支援どころではなくなります。『台湾有事』で日本がアメリカに協力できなかった場合、著しく戦況は中国有利となります。安い人道主義の結果重大な結果を招く可能性がある以上、浪花節で政策を決めるわけにはいかないというのは極めて理に適っています」


「つまり韓国人達は見殺しか……」


 天狗騨はコーヒーを一口すすり、

「不思議に思っているんですがね、どうして韓国が北朝鮮に敗ける前提になっているんですか? 勝ち戦なら難民など出ませんよね?」と訊いた。


「前に敗けかかったろう」と身も蓋も無い事を論説主幹が口にした。


「それは朝鮮戦争が始まるや李承晩とかいう大統領が逃げ出したせいでしょう。自分の命だけが大事で漢江大橋を爆破しましたよね。戦禍から逃れようとその橋を渡っていた韓国国民もろとも吹っ飛ばしました。主幹はまだ韓国大統領が逃げ出すと思っているって事ですか?」と天狗騨もまた身も蓋も無い事を口にした。


「逃げ出すわけがない!」と無責任に断言する論説主幹。


「そこなんですよ。仏暁信晴が言うのは」


「えっ? そこってどこだ?」


「要するに逃げられないようにしておけば逃げ出せないと、だから日米韓の連携などすべきではないと」


「ちょっとそれどういう理屈⁉」


「日本が韓国からの戦争難民を受け入れる意志などを持てば、と」


「いくらなんでもそれはあまりにひどい侮辱じゃないか。さすがにヘイトだろう!」


「いえ、残念ながら歴史的事実を根拠にして言っているので無理矢理反論しても説得力はかなりイマイチになるしかありません。さっき言った韓国大統領李承晩なんですが、朝鮮戦争の時日本に逃げようとしていたんですよね。しかもこれは個人レベルの亡命申請などではなく、六万人もの韓国人と共に日本に渡る事を前提に、『山口県に大韓民国亡命政府を造らせろ』と日本に要求していたんです。アメリカ軍の反攻作戦も手伝ってこの計画が実行される事はありませんでしたが、現職大統領含む韓国政府そのものが難民になろうとしていたというのは決してデタラメではありません」


「……」


「もう後は仏暁信晴の言いたい放題で、『李承晩という男は特異なキャラクターだったのだろうか? いや、実は韓国では地位の高い者ほど弱い者を見殺しにして真っ先に逃げ出すのではないか。セウォル号の船長もまたそうだった』と。『逃げ出しかねない者を逃げないようにしておくためには敢えて〝背水の陣〟を敷かせるしかない。〝いざとなったら日本へ逃げればいい〟などと間違っても思わせないためには、日本と韓国は却って協力関係に無い方がいいのだ』と」


「……」


「残念ながら私も同感でした。日本国内が韓国のために大混乱に陥れば『台湾有事』という本当の意味での一大事に対応できなくなる。そして『朝鮮半島』と『台湾』に同時に対応を迫られるアメリカ軍の戦力は間違いなく分割です。それこそ正に中華人民共和国の思う壺。厳しい言い方ですが私のかねてよりの持論とも符合します。と!」


「——いざという時に足を引っ張るだけの国は同盟国で無い方が良い。韓国が真に日米の同盟国なら北朝鮮程度は自国一国だけで対応するという断固たる意志を持つ必要があります。侵略者を排除するための〝力〟の方はアメリカがウクライナへした対応と同様、いくらでも武器を支援してくれるでしょうから弾切れで困る事はないでしょう」


「——ウクライナのゼレンスキー大統領のように韓国の大統領にもその場に留まり戦ってもらわねば!」


 やはり韓国は庇いきれなかった論説主幹。すっかり何かを言えなくなってしまった。なにしろ論説主幹自身無意識に韓国が敗けるシナリオを喋っているくらいだから。しかし彼は今ふと気づいた。(あれ?)と。


「その仏暁とかいう男が集団的自衛権を否定する立場なら、『台湾有事』でも日本は中立すべきという事になるんじゃないか?」論説主幹はそう訊いた。

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