第百八十四話【リベラル・左派の価値観が奪われ、極右によって使われる(民族学校編)】

 正直なところ天狗騨記者は韓国について語るのは非常に気が進まなかった。と言うのもほとんどのケースで仏暁信晴と意見が被るか、同意せざるを得ない案件ばかりであったからだった。こんなテーマで語れば自身が極右にされかねない。


「主幹、今どき韓国や韓国人を攻撃しても大衆を動かすほどの脅威とはなりません」天狗騨は拒否の意を示した。だが論説主幹も食い下がる。

「韓国人差別をした事が明白ならそこから極右の思想を〝悪辣なもの〟として崩せる筈だ」

 しかし天狗騨の方も眉根を寄せる。

「私の持論は『最も手強い敵は無能な味方である』です。韓国や韓国人の行為行動をなんとかして正当化しようとしたり理屈付けしようとしたりして代弁もしくは庇おうとすると却ってこっち側の立場が危うくなる。もうこの際韓国や韓国人は諦めましょう」


「それは韓国人達が差別されていても無関心でいるという事じゃあないか?」


(そこまで言うのか。しょうがないな)と天狗騨は諦める他なかった。


「仏暁信晴は『全部否定してやればいい』で片付くほどの生やさしい相手ではありません。韓国や韓国人、及びこちら側の陣営の論理を使って韓国や韓国人を追い込んでいくのです。見境なく仏暁信晴を否定したら自分達のこれまでの主張をも見境なく否定する事になる。それは信用崩壊ですよ」


「意味がよく解らないが」


「そうですね。具体例を出した方が解りやすいですか。厳密には〝韓国〟とは関係有りませんが『民族学校』の話しです。民族的には同じですからね」


「なるほど。〝いかにも〟という感じがするな」と論説主幹。

 日本における極右のイメージはし『出て行け!』だとか『帰れ!』だとか騒ぎ立てる連中、といったものである。


「〝いかにも〟ですか?」天狗騨は問い返した。


「そうだ」


「では仏暁信晴は日本国内にある彼らの民族学校について、どのような立場を採っていると考えますか?」


「極右なんだから攻撃的な立場だろう」


「容認です」


「は?」


「個人的意見ですがどちらかと言うと私の方がああした学校の存在はいかがなものかと思っているくらいで。まあ言ったら左沢さんからヘイトだのなんだの言われてしまいましたが」


「ちょっと待て待て。それじゃあその仏暁とかいうのが良心的な人間で、天狗騨君、君が極右になるぞ」


「『ああした民族教育を我々日本人も行うべきだ』と聞いても意見は変わりませんか? これが仏暁信晴の立場です」


「……」


「私はかねてから、それぞれの民族意識は薄めた方が多文化共生に繋がりますと主張していますがどういうわけかあまり理解が得られない。主幹はどうお考えでしょうか?」


「……それは……」と言ったところで論説主幹は閃いた。「容認する以上は運営費は『出す』と言わねばおかしいだろう?」と話しを逸らした。天狗騨の直接的な問いに答えにくかったからである。

 ちなみにこれは高校無償化に端を発した補助金の問題の事で、現状『民族学校』は補助金の支給対象外となっている。


「相手は極右ですよ。そこは必然〝民族自決〟です。自分達の民族の民族教育を行うために余所の民族からお金を援助してもらうなど論外だという立場です」


「……」


「私は各々の民族が民族性を高めた場合ろくでもない世の中になると確信しています。まして教育によって人為的に民族意識を高めるなど論外だと思いますよ。それにわざわざ教育で民族意識など高めようとしなくても、例えば北朝鮮に日本人が拉致されたと聞けば自然に高まってしまうものだというのに」天狗騨はそう口にし、ここで意味ありげに人差し指を立てた。


「——くれぐれも、『在日コリアンには民族教育を行う権利はあるが日本人にはその権利は無い』などとこちらの陣営の方々には言わないようにしてもらいたいものです。こここそが仏暁信晴の狙い目ですからね。こうした意見を吐かれれば『外国人には甘いルール、日本人には厳しいルールを適用している』というあの男の主張が事実として確定し、こちらの陣営が日本人を差別する差別主義者になる。これが〝悪魔化される〟という事です。『最も手強い敵は無能な味方である』とはこういう事です」


 そして天狗騨は腕組みをした。

「——実はですね、韓国や韓国人について私と仏暁信晴の意見が違うのは僅かばかりで、その他のほとんどの主張は全く同意見か肯かざるを得ないものばかり」


「まさか天狗騨君、無自覚に極右に引き寄せられているわけじゃあるまいな。危険な兆候だぞ」


「極右と同意見になってしまった事をもって〝極右に引き寄せられている〟としたならば、在日韓国朝鮮人も日本の極右の価値観に引き寄せられている事になります」


「なにぃ? またよく解らないことを」


「——『民族学校』の件は仏暁信晴が相手の価値観を自説の補強に応用した一例ですが、民族学校とは無関係な在日韓国朝鮮人一般の〝〟すら仏暁信晴は自説の補強に応用してしまう」


「彼らの肯定すべき価値観までもが極右の価値観と同じだって⁉」信じがたいといった声調子で論説主幹が声を上げる。


「ちなみに私はそれについても『いかがなものか』と考えてしまいますがね」


「そりゃどういう価値観だ?」


 極右と在日韓国朝鮮人一般の美徳とされる価値観が同じで、天狗騨の価値観はこれとは違う、と言う。論説主幹には何が何やらさっぱりだった。

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