第百八十一話【天狗騨記者査問会の終幕】

「天狗騨の処分の提案か?」

 天狗騨記者に手を焼きイライラとしているのはこのASH新聞役員用会議室内にいる者は、ほぼ誰しも同じ。その言を発した一人の男は皆の感情を代弁しているに過ぎない。


 しかし、社会部長は動じない男であった。死刑廃止派の弁護士集団が抗議のために殴り込んで来ても平然とのらくらあしらっていたものである。

「主幹、」と社会部長は〝外野のヤジ〟を無視し、あくまで手順を踏む意志を通す。


「述べ給え」論説主幹が発言の許可を出した。


「天狗騨の言動に非常に問題があった、故に皆さんがこのように集められた、」から社会部長は切り出してきた。「——しかしどうでしょう? 確かに〝動〟の方には問題があったが、彼の〝言〟の方にも問題があるとは、私にはとても思えないのです」社会部長は言った。


「しょっ、正気か社会部は! この問題記者をかばうというのなら社会部全てに責任が及ぶぞ!」これを皮切りに不規則発言が室内を矢の如く飛び交う。


「静粛に! 静粛にっ! まずは人の話しを聞き給え!」論説主幹が声を張り上げた。何度か繰り返されているこのパターン。どうしてもヤジを飛ばさなければ気が済まない人々はひとしきり飛ばし終えるとようやく鎮まってきた。

「どういう意味かね?」タイミングを見計らい論説主幹が社会部長の顔を見て訊いた。


「論説委員室に殴り込むという行動、即ち〝動〟には問題がありました」


「それでは〝言っている事〟には問題が無いと?」


「問題は天狗騨がASH新聞社論に逆らい、社論とは異なる価値観を社説に書くよう脅迫したかどうかです。実は天狗騨はASH新聞社論を語っていたに過ぎないのでは?」


「なにっ⁉ そんなバ——」まで口からことばが飛び出て、この後ふと論説主幹は思いとどまった。社会部長はうなづいた。


「察して頂けたかと存じます。天狗騨は『国立追悼施設』に中国や韓国が抗議している事を、非常に重く見ていた——」社会部長は角を落とした極めて丸い表現で語った。



 ちなみに、実際天狗騨が口にしていたのはこんな調子である。

『中国様に続いて、韓国様までもが、国立追悼施設にお怒りになっている』

『あなたにはこの重みが分かっている筈だ』

『アジア諸国が日本に憤っている!』

『アジア諸国ですぞ! アジア様ですぞ‼ 日本がアジアで孤立してもよいとおっしゃる⁉』

(第百二十八話参照)


 もっとも、社会部長は天狗騨がそれらをがなり立てているところを見ていない。それ故の穏当な表現だったとも言える。

 『もっと無礼な態度だった!』と、論説主幹を含めあの日論説委員室にいた論説委員の誰しもが思ったが、『〝言〟と〝動〟を分けて考えましょう』と、あらかじめ社会部長に先回りして言われてしまっていたため、誰もそれを言えない。それでも言えば『どう無礼だったのでしょうか?』と訊かれるのは火を見るよりも明らかで、あの日の天狗騨の発言を再現するハメになる。天狗騨の喋ったことばは、どれをとってもASH新聞自身に対する強烈な皮肉以外の何者でもなかったので誰も自分の口で再現したがらなかったのであった。



 社会部長の話しは続いていく。

「——それは我々の価値観と対立するものでしょうか? 中国や韓国といったアジア諸国が日本の戦没者追悼の仕方に抗議してきた場合、『そんなものは内政問題だ!』なのか、『抗議の声を真摯に受け止め改めるべき』なのか、このASH新聞の社論はどちらなのか? という事です」


 ヤジ、罵声の類いは一切飛ばない。


「——天狗騨の主張は今回、中国や韓国と同じ主張でした。天狗騨がけしからぬと言うのなら、理屈としては中国や韓国もけしからぬ、と言わなければ論理的整合性がとれません」


「そんなバカなっ!」血の気の多い論説委員が遂に我慢できなくなったとばかりに感情を爆発させた。しかし社会部長の低めの落ち着き払った声は、調子が変わることは無い。


「いえ、論理的に考えてこれは当然の帰結かと思います。結論を言うと天狗騨が論説委員室に殴り込まなくてもASH新聞の社論は『抗議の声を真摯に受け止め改めるべき』だったのではないでしょうか? ならば天狗騨の行為はASH新聞の紙面になんらの影響も与えなかった、そう判断するほかないのでは?」


 さすがにこれには一斉にブーイングの嵐。あたかもASH新聞役員用会議室内に天狗騨記者がもう一人いるかのような状態となった。しかし社会部長は粛々と強引に己の話しを続けていく。

「そういう事でしたら今からでも『日本の戦没者追悼行為に外国が干渉してくるのは間違いだ』と社説を書いても構わないかと思います」


 あっという間に収まってしまうブーイング。あまりのふがいなさ(?)に思わず頭を抱える論説主幹。


「おのれ……社会部め、」と血の気の多い論説委員は社会部長に怨嗟の声を上げた。


「感情としては理解しますが、この際そろそろ落としどころをどこにするかを考えるべきかと」


「落としどころだと?」


「誤解の無いよう断っておきますが、私は『天狗騨を無罪放免にしろ』と言っているわけではありません。明らかに社論と異なる価値観を社説に書けと強要していない以上、せいぜい情熱の暴走といったところでしょう」

 ここで論説主幹が引き継いだ。

「確か君は『提案』とも言っていたが——」と。


「はい。天狗騨に今後、今回のような行動をさせないための提案があります。即ち〝落としどころ〟です」社会部長は自信たっぷりに言い切った。


「どのような?」


「取材範囲を限定させます」


「どういう事かね?」


「天狗騨にはあらかじめ『これが仕事だ』と規定した仕事をあてがうのです。そうして縛っておけば、いろいろと問題のある〝動〟の方に歯止めをかけられるのかと」


「具体的には?」


「特命取材班のキャップを任せようかと考えています」


「キャップだぁ⁉」と非難めいた声が挙がる。これまでヒラの記者だった者がキャップとなれば出世したことになるからだ。問題を起こして出世するなど焼け太りもいいところであった。


「しかしキッチリ天狗騨に仕事の責任を持たせなければ空いた時間に同じ事が繰り返されますよ」直接の論争相手でないにも関わらず、律儀にその声に社会部長は反応してみせた。


「問題はその取材班の取材対象だ。よもや『慰安婦』だとか言うわけじゃあるまい」論説主幹が疑義を呈す。


「その点抜かりはありません」社会部長はそう言うと天狗騨記者の方に顔を向け、「天狗騨、『リニア中央新幹線・南アルプストンネル』の件、これを特集記事にして掘り下げろ」と言明した。


 天狗騨は僅かに眉間に皺を寄せるが、

「解りました」と温和しく返事をした。


「特命取材班を率いる以上、他事に首を突っ込む余裕は無い筈だ」社会部長はそう天狗騨に言い渡した。


(なるほど、そういう事か)と論説主幹は合点した。確かにちょうど良い幕引きのタイミングのように思えた。


「社長、それでよろしいですか?」と中盤以降置物状態と化していた社長に許可を求める論説主幹。


「このような事が二度と繰り返されないのであれば結構な事だ」と社長は淡々を装い応じてみせた。以下役員達も同様、誰も異議は唱えない。


 かくして天狗騨記者査問会は閉幕と相成った。処罰は事実上行われず、それどころか時限的措置とは言え天狗騨はヒラの記者からキャップへささやかながら出世してしまう始末。ほとんどの参加者はただストレスを味わわされただけだったが、ろくにストレスを感じない者がこの中に二名ほどいた。一人はもちろん社会部長である。

 もう一人は——

「天狗騨君、君にはまだいろいろ訊きたいことがある。空いている時でいいからつき合ってくれるか?」そう言ったのは論説主幹だった。


 このASH新聞役員用会議室内にいる面々は『論説主幹が天狗騨に説教をかます』ために呼び止めたと理解し『さすがは主幹だ』と見直し、どこか軽んじていた己の不明を恥じた。


 しかし当の論説主幹にはそうした意図(天狗騨に説教をかます)など全く無いことは、天狗騨含めこの場にいる者は誰も知らない————

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