第百八十話【伝説の中学校教師】

 天狗騨記者は喋り続ける。

「——しかしその解決法が世間一般が求める〝理想像〟とは程遠く、中学校教師を辞めざるを得なくなったという訳です」


 珍しく(?)静かなままのASH新聞役員用会議室内。


「——とまれ『日本悪玉史観』は極右によって利用されてしまう〝被害者ポジションに立つためのツール〟としての役割しか果たしておらず、有害そのもの」


「——またウクライナ侵略戦争を起こしたあのロシア連邦さえも『日本悪玉史観』によって正義のポジションを復活させてしまうという悪魔の歴史観となっている」


「——気になるのはウクライナ要人の中に、しばしば『第二次大戦』の歴史観を持ち出す者がいたことです。つまり敗戦国は悪玉であり戦勝国は善玉であるという歴史観です。それは最大の支援者であるアメリカ人の歓心を買うためだったかもしれないが、同時に戦勝国側にいたソビエト連邦即ちロシア連邦を善玉国にしてしまう史観にもなっている。こんなものを喧伝しているという自覚が彼らにあるのかどうか。これだけの侵略をやらかしたロシア連邦がこの歴史観によっていつの間にか正義のポジションを復活させてしまう可能性があるという、果たして将来の事まで読み切って言っているのかどうか」そう言って天狗騨は憂いの表情を見せた。


 なぜだかASH新聞役員用会議室内はまだ静まり返ったまま。


「天狗騨君、天狗騨君、」論説主幹が口を開いた。


「あぁ。よってこの際この『日本悪玉史観』という歴史観は捨てるのが国内的にも国際的にも将来的にも上策と考えます。私からは以上全てです」


「そうじゃない! その中学校の教師だったという仏暁ふつぎょうとかいう男の話しはそれで終わりなのか?」


「『架空の人間をでっち上げた』と言われてしまってはとりつく島もないので」


「いやいや、そこは違うだろう。あれだけ前振りをしておいて」と論説主幹。


「そういうことなら解りました。ではさっそく——」と天狗騨が言いかけたところで横槍が入った。

「主幹、異議があります」その男も論説委員の一人だった。天狗騨を無視するようにものを言っている。


「なにか?」と論説主幹。


「こんな安い脅迫を我々の方から求めてどうするんです。天狗騨が自分で『とりつく島もない』と言ってるんです。存在が証明できない人間の話しに費やす時間など無駄です。そんな眉唾物の話しを聞く意味がありますかね?」


(『安い脅迫』に『眉唾物』ね……)


(この男、今まで発言らしい発言をしただろうか?)天狗騨はふと思った。斜め下を見下ろすような態度。(ずいぶんと偉そうだ)そして(ずいぶんと冷笑的な男だ)とも。

 天狗騨は他者に一方的な低い評価を与えて自身の地位を上げているような人間を蛇蝎のように嫌っている。そうした性質の人間が皮膚感覚で解る。『他人に低い評価を与えているだけのお前は、では他人からの評価に従順に服従できる人間なのか?』と思ってしまう。


「皆はどう思う? 今の発言に賛成の者は挙手を」と論説主幹は特段その男に迎合もせず言った。およそ半分ほどが手を上げた。


「左沢君はどう思う?」なぜだか論説主幹が左沢政治部長を指名して尋ねた。


 左沢は困惑しつつも存念を表明し始める。

「私は〝嘘〟というのは自身の立場が著しく不利な時に自己防衛のためにするものだと考えています。残念ながら、現在天狗騨が不利かというと、そうも言えないのかと」


 論説主幹は肯いた。

「ありがとう。じゃあ天狗騨君、その話は後で私が聞こう」

 そう論説主幹が言った途端に上がっていた手がバタバタと下がり始めた。


「オイ、ちょっと、」と冷笑的な論説員が少し慌てた調子で異議を口走るが下がった手は二度と上がることはなかった。「チェっ」と露骨に舌打ち音を響かせる。


「まあなるべく手短に済ませますよ」と言いながら天狗騨はチラとそちらに視線を送る。そして中学校教師時代の仏暁信晴ふつぎょうのぶはるの話しをし始める。


「通常、イジメ事案の発生を防ぐために教師が行うべき事は『人権教育』と『命の重さの教育』の二本柱であるとされています。まあその通り。極めて妥当な方法としか言い様がありません」


「——ただ、イジメ事案が発生してから『人権教育』及び『命の重さの教育』を始めるのは遅すぎる。後手後手というやつです」


「——しかしながらその後手後手の手段をイジメグループに対して試みるという事態が数知れず。実行者が何を思ってこうした効果が疑問視される行為ばかりを繰り返すのかは解りません。個々人それぞれ思いはあるのでしょうが、『教育でなんとかできる』という建前がドンと健在し続けているのは間違いないのでしょう。ぶっちゃけて言うと『後からでも教育すれば改心して悔い改めてくれるのではないか』と期待している。つまり『性善説』に拠っている」


「——ところが仏暁信晴はイジメグループという生徒達に『性善説』をもって当たらない。『性悪説』をもって当たるんです。ここいら辺り、私と価値観が被りますね」


「その極右の男と価値観が被ってそれでいいのか? 天狗騨君」と論説主幹が思わず尋ねた。


「しょうがありません。同じなのですから。そこは正直に『同じ』だと言わないと」


「——それでイジメ問題の解決法ですが、実にシンプルです。どうやると思いますか?」やや挑発的に天狗騨が訊いた。意図的に先ほどの冷笑的な論説委員の顔を見る。反応はむろん戻ってこない。僅かの間が空く。そうした上で自身の答えを喋り出す。

「——イジメグループの分断です。分断した上での各個撃破。教育と言うよりは兵法です」


「——とは言え〝言うは易し〟。複数の教師に取材し異口同音に聞く話しではイジメグループというのは存外結束力が強く、口裏を合わせるんですね。時にその親達までが横の連帯で結束しているケースすらある」


「——だが仏暁信晴に言わせるとそうした結束を崩せないというのは〝教師のサボタージュ〟以外の何者でもない、となる」


「——では彼はどうやってイジメグループの環を破壊するのか? これも実にシンプルです。どんな人間でも必ず持っている人間心理を使う。さて、それはどんな心理でしょうか? そこのあなたはどうですか?」そう言って冷笑的な論説委員の男に向けてさっと手の平を広げた。


「天狗騨君やめ給え」そうした空気を察知したか、論説主幹がたしなめた。


「解りました」天狗騨は割と素直に応じると〝続き〟を始める。「——それは『不安』です」


「——どんな人間も動かし、考え方をも変えてしまう力。それが『不安の力』だと仏暁信晴は言うのです」


「——イジメグループは暴力団や半グレじゃあありません。『イジメ行為に同調しなければ今度は自分が標的にされる』と、そうした心理で参加してしまうケースは珍しい事ではありません。それに中学生という時代はまだ人生を投げていない者がほとんど。仏暁信晴はそうした心理を利用し一番弱い環を見極めそこから攻撃を開始する」


「——それにはまずこう言うんです。『イジメグループへの加入は人生のリスクである』と。ポイントは〝加入〟という単語です。『イジメをしている』ではなく、『イジメをする集団に加入してしまっている』という認識を植え付ける。こう言われると暴力団や半グレ集団のメンバーのようになる。そしてその状態を〝リスク〟と説く。もうこの時点でかなりの不安を煽っています。動揺しない者はほぼゼロでしょう。そう説いた上で『君の仲間は、『君の就職・君の結婚』を台無しにできる材料をずいぶん持っているようだね』と仕掛けていく」


 室内にざわりと僅かな動揺が走る。


「——『イジメの加害者だと分かって雇ってくれる企業はあるかな?』『イジメをしていた過去を受け入れて結婚などしてくれる異性はいるかな?』、と仏暁信晴はこれを言った後、ASH新聞の記事をおもむろに取り出します」


「なに⁉ 我が社の記事だと‼」論説主幹の声が高くなる。


「以前、就活生のSNS、それもいわゆる『裏アカ』についての特集記事を載せていましたね? 内定を出した就活生が裏アカウントを持っているかどうか、その裏アカウントで何を言っているか、それを調査し、問題が見つかった場合内定を取り消す。その記事です」


「——人間は他者の本性を知りたがる。それが就職ともなると採用側が人間性を問うのは当然の事。まして結婚をや、と物事の本質を衝いていく」


「——そしてさらに容赦なく押していく。『君は既に君の人生に一定のリスクを背負ってしまったが、相手が調査会社でない以上、さらに別のリスクがある』と」


「何かね? その〝別のリスク〟とは?」


「『秘密をバラされたくなかったら俺の言う事をきけ』、です」


 一気に室内に緊張感が奔る。


「——そしてとどめのひと言。『君の仲間はいつまで仲間なんだろうなあ』と、」


「それがどんなイジメも解決できるという理屈か?……」


「理屈じゃありませんね。仏暁信晴は実践していましたから。それに厳密にはまだ終わりじゃありません。そうした上で仏暁信晴は〝味方の顔〟をするのです」


「イジメグループのか⁉」


「ええ。最善のリスク管理の実行を勧めます。仲間内で隠している情報だからバラされると困った事になる。あらかじめ情報公開してしまえば、少なくとも〝隠さなくては〟という強迫観念を持たずに済み、同時に攻撃側にそれを切り札だと思わせない効果もある、と。つまりこれも人間心理。『もう知っている人は知っているんだからと、そう考えられる状態を造っておけば将来起こり得る恐喝の被害だけは避けられる』、そう持ちかけるのです」


「——しかも期間限定商法をやる。『お前が中学生のうちは俺が力になる』と言うんです。逆に言うと〝中学を卒業した後でどう困っても俺は何もしないよ〟というメッセージになる」


「——これが実に迫真性を生むんですね。中学生ともなると程度の差こそあれ反抗的になってくる。教師をどこか斜めに見ていて、『どうせ保身するだけ』と不信感も持っている。そんな状態で〝お前が中学生のうちは〟と来ると妙なリアリティーが生まれる。最低限の保身はするができる事はしてくれるという」


 その時だ、

「フン、どうだか。そんな見え透いた罠に引っかかる者ばかりじゃない。引っかからない者もいるだろう」冷笑的な論説委員の男がそれこそ冷笑的に否定してきた。


(なんでコイツはイジメグループの味方をしているんだ?)天狗騨は非常に腹立たしかった。

 しかしこうしたタイプの人間は他に類例が無いかと言えば、どういうわけか社会にはこうした〝逆張り派〟がいるのである。現にウクライナ侵略戦争でなぜだかロシア連邦寄りになっている者が見受けられたものである。


「誰にでも有効だと、誰が言いました?」天狗騨が反論を開始した。


「どんなイジメ問題も解決すると言わなかったっけ?」


(なぜコイツは謎の上から目線なのか)と天狗騨は思うが、彼は常時社内階級の事を忘れている。


「私はの話しをしているんじゃないんですよ。の話しをしているんです。或る集団がいつまで結束していられるか、焦点はそこなんです。イジメグループの環には必ず弱いところがある、と言っているんですよ。そして実は強いところよりは弱いところだらけなんですね」


「……」

 冷笑的な論説委員の男は何も言わなくなった。しかし天狗騨は続ける。


「——なにせ『不安』を煽ればどんな人間も動いてしまう。私には〝人間はそんなものだ〟とストンと腑に落ちる。後は〝壊れた環から得られた情報〟を同じように他のメンバーにも順々にぶつけていけばいいだけです。もちろん情報の出所は匿名で。ただ、そうした行為をしていても仏暁信晴には『真実を追い求める』つもりなどサラサラ無い。そこが怖ろしいところです」


「教師なのにイジメの実態などどうでもいいと言うのか?」論説主幹が訊いた。


「目的はグループの結束の環を崩し組織を砂粒の個人にしてしまう事です。そうする事でイジメは必然止むからです。この点彼にブレはありません。ただ少々〝イージーではないケース〟もあるとか」


「それは?」


「先ほどイジメグループは存外結束力が強いと言いましたが、仏暁信晴に拠ると、口裏を合わせ、グループ内の一番弱い者をイジメの首謀者にでっちあげるケースもあるとの事。正直に話してくれる事を期待して機械的に話しを聞けばいいというものでもないようです」


「それでは教師側の敗北ではないか」


「ところが仏暁信晴によって例外なくイジメグループは空中分解しています」


「どういう手段を使ったんだ?」


「そこはことばを濁されました。新聞記者相手にべらべら何でもかんでも話すほど抜けてはいないという事でしょう」


「天狗騨君、君はどう思う?」


「これは憶測が入っていますが、イジメグループのヒエラルキーなど、普段から観察を怠らなければその喋る口調からは成り立つのではないでしょうか。オフラインでは丁寧語で、オンラインだと恐喝的になる可能性は、可能性としてはありますがそういう人間は〝ネットでイキッてるだけの人間〟という事になり怖がられる要素が無い。むしろそれをやり続けるとそういうキャラと見なされ逆にナメられる。思うにオンオフの言行は自然と一致してしまうものではないでしょうか。と合致しない首謀者の名前が異口同音に出てきた場合、たぶん仏暁信晴はまともな手段を使ってはいませんね」


「それはどういう手段だと思う?」


 天狗騨は少々考える。

「『それは俺の聞いた話しと少し違うな』——、おそらくこういうニュアンスの事を言って『誰かが裏切っているかもしれない』とイジメグループの真の首謀者達の心に疑心暗鬼を惹起せしめるのでは。こうなるとメンバーが『ちゃんと口裏を合わせた』と本当の事を言っていても嘘をつかれたように感じる」


「目的は正しいが凄まじいな」


「まああくまで推測ですが。そもそも、誰一人裏切る事の無い鉄の結束を誇る組織などこの世にありません。ましてイジメグループともなるとメンバー同士が信頼という固い絆で結ばれているとかいった美談の成り立たない組織です。そんな組織の結束などひとたび崩してしまえば後は脆いもの、一気に総崩れとなる。こうした組織の特性を仏暁信晴は見切っています。〝どんなイジメ問題も解決する〟という評判は決して風評ではありません」


「しかし、それほどの実績ある教師が辞めざるを得なかったというのはどういう事か?」論説主幹が当然の疑問を口にした。


「この方法に副作用があるからです」天狗騨が短く言った。


「副作用?」おうむ返しに論説主幹が口にする。


「イジメグループとはピラミッド型の組織です。つまり、一方的に裏切られたり寝返られたりを中学生の身分で実体験する者が必ずいる事になります。戦国時代の没落大名みたいな経験は、そうそう誰もがするものではありません。早い話、裏切られた者は例外なく人間不信になります」


「——この〝人間不信〟というのがまたさらなる効果を生みます。『イジメグループとはピラミッド型の組織』とは言いましたが、ピラミッドの頂点が一名という事はありません。たいていの場合数名です。ではこの数名の間にだけ信頼関係が残るかというと、頂点同士の間でも人間不信が起こる。人間不信とは『全ての人間が信用ならなくなる』という症状ですから。かくして一人で荒れるか一人で登校拒否になるかという顛末で」


「—— 一人で荒れる分には仏暁信晴には痛くもかゆくもなかったようです。元々イジメグループの首謀者だから『生まれついての悪党だったのだろう』で片付いてしまうからです。だがイジメグループの首謀者からいきなり登校拒否生徒となると——。元々そのやり方から同僚教師との軋轢も絶えなかったようで、登校拒否生徒の親からねじ込まれたのをきっかけに中学校教師を辞めざるを得なくなったという事です」


「そういう事なのか⁉」論説主幹が非常に大きくリアクションをした。


 そのオーバーアクションにさすがの天狗騨も面食らう。

「え、ええ」


「だとしたらこれはたいへんな事だ! その男は社会に憎しみを抱いているのではないか!」


 天狗騨だけが言っていて、いるのかいないのか分からない男仏暁信晴。にわかに存在が実感され、おこなっているとされる極右活動の動機が垣間見えたような気が、論説主幹にはしていた。


「それでその仏暁信晴という男はどういう男なんだ?」続行で天狗騨に尋ねる論説主幹。


「いや、恨みとか辛みとか、そういう雰囲気は微塵も感じさせないフランス野郎ですよ」


「な、何かね? その『ふらんす野郎』とかいうのは」


「あぁ、失礼。『おフランス野郎』と言った方が正確ですね。別にフランス人とは何の関係もありませんがフランスかぶれという意味で」


「フランスかぶれの極右?」


「まあ主幹の言われるとおり人間の内心など外からは解りませんから。ただ、表面上は実に飄々とした奴です」


「その男の究極の目的はやはり政治家か?」


「いえ、政治家なら逆に安心です。立候補しても泡沫候補ですから。仏暁信晴の目的は己の思想をただ広めるだけのようです」


「ただ広めるだけなのか?」


「ええ」


「『SNSを使わない』と言っていたな?」


「そうです。『自由が無い、極右思想だとアカウントを丸ごと削除される』とかで」


「そんな事で広まるのか?」


「『どうせ広まるわけがない』とは一笑に付せません。江戸末期には『尊皇攘夷』という四字熟語が、交通や通信に関しての文明の利器が無いのに、全国的な流行語になった実例があります。時代が変わればあるいは」


「他になにか気づいたことは?」


「背が妙にヒョロ高い男です。私より高いかもしれません」


「……」



「——ちょっとよろしいでしょうか?」一人の男が手を上げた。社会部長だった。「あっ、ああ」と論説主幹が応ずると、


「たいへんに興味深い話しではありましたが、この会合の本来の趣旨とは離れつつあるように思います。そこでひとつ、『発言』と『提案』の許可をお願いしたいのですが」


(そろそろ頃合いということか)天狗騨は思った。社会部長とは事前に何事かを打ち合わせ済みである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る