第十九章 極右台頭前夜の日本
第百七十九話【『右翼』と『極右』の違いが解りますか?】
「日本に極右が台頭しつつあります——」天狗騨記者が言った。
ざわっ、とするASH新聞役員用会議室内。だがその中の一人が即座且つ罵声気味に天狗騨にことばを投げつけた。
「ヘイトスピーチ対策法は既にある。地方では罰則付きの条例もできてそれも採用自治体は増えつつあるんだ」「そうだそうだ!」「右翼でも極右でもヤツらには悪党のレッテルがつくんだ!」「ヤツらは終わりだ!」
次々とこれまでの鬱憤を晴らすかのように感情を解き放つ一同。〝極右〟だとか〝右翼〟だとか聞くと途端に活力のみなぎる連中である。
「人の話しを聞かない人たちですね。これで『話し合いで問題を解決しろ』とか同じ口が言うのはおかしかないですか?」
「なんだとっ!」とまたも誰かが口火を切り、再び次々ほとんど罵声そのものなことばが天狗騨に浴びせられる! だがその罵声をひとしきり放置している天狗騨。そして頃合いにやおら大音声で言い放った。
「そんなんだからダメなんですよっ‼」
「何がダメだっ⁉」最初に反応を示した男が再び反応した。
「あなた方は『右翼』を『極右』にしてしまったという反省が微塵も無い」
「『右翼』も『極右』も同じだろうが!」多勢を頼み、モブと化していた一人の論説委員までが天狗騨に襲い掛かる。
「右翼は『日本は素晴らしい国だ!』と言うんです。つまり肯定意見です。武士は食わねど高楊枝、右翼はどこか誇りというかプライドが妙に高いところのある連中なんです。そういう相手だから我々が勝てた。肯定意見しか吐かない者は論争相手として与し易しですからね。しかし『極右』は排外主義じゃないですか?」
攻撃側の確信が僅かに揺らいだ。天狗騨は話しを続ける。
「——私は機会ある毎に言っているんですが、肯定意見がまずあって、それを否定する否定意見というのは、言うのに実に簡単なんですね。物事には百パーセントは無いんですから。しかも否定意見を吐く方が頭が良いように見えるという副作用もある」
「——そうして古き良き右翼の価値観である『日本は素晴らしい』を叩きつぶしたのがこのASH新聞です。『新しい歴史教科書をつくる会』でしたか、彼らの教科書の採択率をほぼほぼゼロにした事を忘れたとは言わないでしょう。なにせ大戦果なのでしょうから」
「何が言いたい?」モブな男だろうとそのことばには怒気が籠もっている。天狗騨の口にした『なにせ大戦果』にそこはかとない棘を感じたが故である。
「人が信じる肯定意見を完膚無きまでに叩きつぶしたあの行為は、果たして世の中を良くしたんでしょうか?」天狗騨は訊いた。
「我々ASH新聞の先達の行動が、社会を悪くしたと言うのか⁉」ここであの論説委員の男が割り込んで来て強引に引き継いだ。
「人の意見を否定したら必ず対案を提示する。肯定意見無き否定意見は単なるゴミであると、そういう価値観を遂に社会に定着させなかった。これを愚かしいと言っているんだ!」
「なんだとっ⁉ 我々ASH新聞は従来の歴史教科書を肯定していただろうが!」
「問題はその歴史教科書の中身ですよ。『日本悪玉史観』に拠って書かれた否定意見の塊のようなその従来の歴史教科書に『問題がある』として彼らは教科書運動を始めたんです。全部否定した歴史教科書を肯定してみせてもそんなものは肯定意見とは言いません」
「お前は『右翼』の回し者か⁉」
「回されてはいませんが気の毒な事をしたと思いますね。肯定意見を語る人間は純朴なんですよ。そうした人間を丸ごと全部否定した挙げ句『極右』が生まれたんです。今にして思えば『右翼』が自国を褒め称えるくらいどうという事もなかった。普段から『多様な意見を大事にしろ』と言っている同じ口のする事がこれですよ」
「我々は『右翼』の主張が社会に蔓延するのを防いだだけだっ!」
「しかしその結果事態はさらに悪い方向へと転がっている。右翼陣営の歴史教科書運動は1990年代後半辺りの事でしたが、その頃在日韓国朝鮮人に対し『出て行け!』などという暴言が飛ぶなどと予想できましたか? 今はそこからもさらに時代が先に行ってしまっている。このままではさらに取り返しのつかない失敗をする事になる。いや、既に失敗している!」
「ヘイトスピーチ対策法を作ったんだ! このように速やかに対策は行われる! それも失敗だと言うつもりか?」
「ええそれもまた大のつく失敗です。どうして失敗の上に失敗を積み重ねるのか、正に泥縄式としか言い様がない」
「お前ヘイトスピーチを些細な問題だと考えてやしないだろうな!」
「極右と言えば〝ヘイトスピーチをする輩〟という認識は古すぎる」
「古いだとっ⁉」
「いい加減にしないか!」さすがに温厚で通る論説主幹も声を荒げた。「今は天狗騨の言う『日本悪玉史観』とやらがどう国内に悪影響を与えるか、それをまず聞くべきだろう!」
「——ではよろしいのですね?」とわざわざ天狗騨が断りを入れた。
「当たり前だ。私は『手短に』と言ったんだからな」
ここで天狗騨は居住まいを正す。
「『仏暁信晴(ふつぎょう・のぶはる)』という極右がいます」
「人の名前か、それが?」論説主幹が確かめるように訊いた。
「仏像の『仏』に、あかつきの『暁』、そして信じるの『信』に、晴れの日の『晴』です。『日本悪玉史観』を始めとする我々の陣営の対右翼対抗策とも言うべき一連の価値観は、この男の思想を日本全国に広めるための養分の役割しか果たしません」
「『正しい歴史認識』を養分とはなんだっ!」
またも論説主幹の仕切りを無視し、あの血の気の多い論説委員の男が性懲りも無く天狗騨に挑み始めた。これに編集委員の男も続く。
「『極右』を持ち出せば我々が怯むと思ったら大間違いだぞ天狗騨ァっ!」
「我々は被害者だ」天狗騨が無表情で短く言った。
「なに?」と誰かが言った。ざわっとASH新聞役員用会議室内の空気が震える。
「『我々は被害者だ!』と言った方が『我々はスゴイ』『我々は優秀だ』よりもまとまりよく燃えるんですと、そう言ったばかりでしょうが」
「……」
「——『極右』の主張は排外主義です。排外とは排斥であり拒み退ける事です。正に否定意見です。こうした者は臆面も無く『我々は被害者だ!』と言います」
ここで初めて誰もが天狗騨の言わんとしている事を理解した。
「『日本人だけが悪だ!』こういう価値観を『それが歴史だ』としてまき散らし、同じ事を外国人がやっても不問に処していたら『我々は被害者だ!』という主張は真実を口にしているだけ、となります。そして被害者がいる以上加害者がいる。かくして我々の陣営が加害者となる。そうして加害者を全て否定する。真実を語っている以上、対抗方法が無い」
静かな戦慄がASH新聞役員用会議室内を奔った。
「——だからいつも口酸っぱく言っているでしょう。『日本軍慰安婦問題を追及したからには米軍慰安婦問題を追及しなければならない』、と。日本を糾弾する各種の運動家達、弁護士・市民団体・大学教授、さらには外国人達、特にアメリカ人と韓国人、そしてこのASH新聞自身もそうかもしれないが、こうした輩のやっている事は極右に養分を与えているだけなんです。『我々日本人だけが責められ虐待を受けている!』と言って既に今この時も仏暁信晴はその価値観を日本のどこかでばらまき続けている!」
(まさか、そんなことが)と皆が半信半疑のようになりながらただ固まり続けている。
「——先ほど少し話しの出た『ヘイトスピーチ対策法』もそう。私はこれを大失敗だと言いましたが、日本人が外国人にヘイトスピーチをされても実行者達を罪に問わない法律や条令は明らかに法の下の平等に反します。『我々日本人には法的保護が及ばない。我々の人権はどこへ消えたのか⁉』などと既にやられている事にどうして気がつかないのか⁉ どこまで極右に養分を与えるのか⁉ 極右は進化を遂げ始めている。我々は後手後手に回っている」
「なにが『後手後手』だ!」別の論説委員の男が声を荒げた。〝後手後手〟は新型コロナウイルス以降、流行語というよりは社会に定着した節がある。
「我々が妙手だと信じて打った手がことごとく逆利用され始めているんですよ! 『後手後手』はまだあなた方に手優しい表現だ!」天狗騨が矢のようにことばを飛ばし返した。だが脊髄反射が戻ってくる!
「ふざけやがって!」
「『ふざけやがって』などというのは単なる暴言です。〝対抗策〟にぜんぜんなっていない」
「極右の言う事など全部否定してやればいい! それが対抗策だ!」
「『右翼』に対して大戦果を挙げたからと過去の成功体験に囚われ、『極右』にも否定意見をぶつける方法を採るということですね? つまり『否定意見VS否定意見』ですか。それが今度も成功すると思いますか?」
「する!」
「互いに否定意見を吐き合った場合、どちらも頭が良いようには見えませんよ」
「我々の陣営ならそう見える!」
「その具体的答えがアメリカ合衆国の大統領選挙であり、また大韓民国の大統領選挙です。きっとあなたのいま口にしたことと同じ事を、それぞれの国のそれぞれの陣営が言うでしょうね」
「……」
「しかし第三者から見ればそれぞれネガティブキャンペーン合戦、スキャンダル合戦でしかない。で、我々の立場ではそれぞれどちらの陣営が頭が良く見えました?」
「……」
「ちなみにこれらは単なる討論ではなく選挙なので一応勝敗だけはつきますが、ついてもどちらかの一方的な勝ちは無く、対立勢力はかなりの勢力で依然として残り続け、そして互いに殺意に近い憎悪を抱くことになる。仏暁信晴という男はその状態を狙っている」
「……」
ここで誰かが口走った!
「社会をまとめねば!」
「『日本人だけが悪い!』という価値観で日本の社会がまとまりますか?」
————誰も何も言わなくなった。ASH新聞役員用会議室内はシンと静まったまま。
「それともこれから先、日本はファシズムで行きますか?」天狗騨が会議室を睨め回しながら言った。
反応は無かった。
「どこかの外国社会ならいざ知らず、そんな価値観で日本社会をまとめようとすれば必然それは言論弾圧をするという意味になるしかない」
「——『日本悪玉史観』が、『日本人だけが悪い!』と言っている歴史観である以上この価値観を持っている者は差別主義者となり必然加害者となる。『被害者の立場に立った方が有利になる』というこちらの陣営の戦術を利用され始めているという事実を直視しろっ!」天狗騨がとどめを刺すように言った! だがその時だ——
「なぜ知り合いなんだ⁉」それはあの論説委員の男。
「と言いますと?」と天狗騨。
「その極右とどこで知り合ったと訊いている!」
「単なる取材対象ですよ。取材しても記事にならないだけで」
その時だった。編集委員の男がスマートフォンをかざし天狗騨に迫り始めた。
「『仏暁信晴』などという男の名を検索してもSNSでは見つからないぞ!」
天狗騨はそちらをチラと見て実にあっさりと言った。
「あの男は『SNSには自由は無い』と言い切って、直接演説会場を廻る活動に専念しています。見つからなくても不思議はありませんが」
「誰がそんなことばを信じるか! 我々を脅迫するために架空の人間をでっち上げただろう!」
「私はイジメ撲滅のために記者を志しました。その線での取材の過程で『仏暁信晴』という人物に行き当たったんです。彼はどんなイジメ問題も解決してしまうという、その界隈では今もその名が語り継がれるほどの、現役の頃から既に伝説の中学校教師でしてね、」と天狗騨の話しは誰もが想定外の方向へと向かい始めた。
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