第百七十八話【軍事力を行使しないで平和をどう得るかという話しをしているんだ! 建設的な意見が言えないのなら黙っててもらおうか!】

「れ、歴史で中国人を挑発するというのはやりすぎではないか」震えた声で論説主幹が天狗騨記者に声を掛けた。〝反論〟と言うよりは声を掛けたのである。


 しかし天狗騨記者はブレない。

「彼ら中国人は歴史が大好きなのですから、別に構わないでしょう。日本人にだけは言えてロシア人には口をつぐむというのは『日本軍慰安婦問題』は追求できるが『米軍慰安婦問題』は追求できない輩に酷似していて到底その存在は許せません」


「だから我々メディアが外国人の民族感情を刺激し憎悪を煽ってどうするのかって話しだ!」


「しかしそれに対する答えは単純明快です。歴史がそうなっているから。既に韓国人達を歴史で散々に煽っています。その結果韓国人達は集団で日本人に憎悪の感情を抱くようになった。それがこのASH新聞が日本人に対し、してきたことです。であれば中国人がロシア人に憎悪の感情を抱いてしまうような報道をしたとて、それに何か問題でもありますか?」


「しかし民族感情の刺激は危険なんだ。どれほどの憎悪が連鎖するか」

 論説主幹は天狗騨記者の〝列強清国侵略史〟を聞いているうちに『これは成功してしまう!』と直感した。それ故に〝恐れ〟を抱き始めていたのである。


「何を弱気な事を。燃え広がってもらわないと目的が達成できませんよ。〝民族感情の刺激〟、これこそが燃え広がるパターンなんですから」


「またなんの〝ぱたーん〟か?」


「成功の鍵は既に日韓関係の破綻から明らかです。韓国人達の意見は実に参考になります。彼らは常に『我々は被害者だ!』と言う。こっちの方が『我々はスゴイ』『我々は優秀だ』よりもまとまりよく燃えるんです。何しろ韓国に限らず新自由主義の礼賛の結果、世界中で格差社会ですからね、不遇な人は自分の事を〝スゴイ〟とか〝優秀だ〟とかは思えないでしょうから社会の一体感が違います」


「……」

 なんとも発言のしようがなくなる論説主幹。同意しにくいし否定もしにくい。ASH新聞は新自由主義を礼賛しグローバル化を肯定し『改革!改革!改革!』と煽った過去がある。それをまんまと天狗騨に利用されている。


「また歴史的事案からもこのパターンは鉄板と言える。具体的にはですね、中国国内において反日感情が大いに高まるのは1915年の『対華二十一箇条要求』からなんです。『山東省におけるドイツ権益の譲渡』『南満州鉄道権益期限の九九ヶ年延長』『漢冶萍 (かんやひよう)公司の合弁化』などを日本は求め、一部修正して中華民国に承認させたものです。中国民衆は同要求の受諾日5月9日を国恥記念日としました。これなど典型的な『我々は被害者だ!』です。『我々は被害者だ!』で民族感情は大盛り上がりですよ」


 さすがにこの言い様にASH新聞役員用会議室内からは罵声とヤジが飛んだ。しかし天狗騨が久々に吠える!

「キシャアアアアアアアァァァァァッッッッ!!!!!!」そして一喝!

「軍事力を行使しないで平和をどう得るかという話しをしているんだ! 建設的な意見が言えないのなら黙っててもらおうか!」

 もはや平社員が役員に対してとる態度ではなく言う台詞でもなかった。しかし誰も彼もがこの一喝で黙り込んでしまった。


 再び天狗騨が喋り出す。

「つまり、ロシア人と中国人を比べて、どちらが被害者の立場にいるかといえば、間違いなく中国人です。故に仕掛ける相手は必然中国人となる」


「——中国人が動けばロシア人の反応も大いに期待できる。ロシア連邦はウクライナ戦争の代償として世界中から経済制裁を受け貧乏街道まっしぐらです。先の見通しもつかないそんな落ち目の時に中国人達が沿海地方帰属問題を突きつけてきたら『こっちが落ちぶれた途端に本性を現しやがった!』とロシア人も激昂すること疑いなしです!」


 もう誰もヤジすらも飛ばなくなったASH新聞役員用会議室内。


「——さらにロシア人達がどう反論するかを想定するとさらに面白い展開が期待できる。ロシア人達は中国人達に対し『北京条約を守れ!』と言うほかないんですね。それをロシア人達が口にしたらすかさず日本政府が、いや我々ASH新聞が『日ソ中立条約を守れ!』とロシア人達に要求するんです。当然SNSも大盛り上がりですよ。果たしてロシア人達は自らの利益となる条約だけは死守しようとするが自らの利益にならない条約は破っても良いとするクズ野郎である事を自らの口で証明してしまうのでしょうか? 上手くいけば北方領土問題を領土返還という形で解決できるかもしれない」


 久々論説主幹が反駁の意を示した。

「『日ソ中立条約』だなんて、そんな条約はとっくの昔に破られて存在してないじゃないか!」


「よもや破られた条約は守る必要が無いと言いたいのですか?」


「常識的に考えて『守りようがない』と言っているんだ!」


「ここでも韓国人の皆さんが登場してきますよ」天狗騨がまた奇妙な事を言い始めた。


「韓国人は関係無いだろう」


「いいえ、ありますよ。私は韓国政府が『徴用工問題』で日本政府に金銭的要求を始めた時点で日韓基本条約及び日韓請求権協定は韓国によって事実上破棄されたと考えています。それが故に『日韓関係は破綻した』と言っているわけですが、日本政府は未だに韓国政府に対し『国際条約を守れ』と言っていますね。つまり現状は破棄状態だけれども条約に復帰する事は可能だということじゃないですか。つまり日ソ中立条約破棄以前の状態に復帰する事もまた可能!」


「……ろ、ロシアはそんなに甘くないぞ……」と論説主幹の情けない反応。


「しかしどう転ぼうと日本に痛みは無いですよ。『北京条約は守れ!日ソ中立条約は破っても良い!』とロシア人が自らの口で言い始めたら真性のクズ野郎だと断定できるんですよ。自らの口が証明しているんだから人種差別だのヘイトスピーチだのといったお手軽な反論すら実行不能となります。第二次大戦の戦勝国の化けの皮を剥ぐ絶好の機会到来と考えれば、日本が損などする道理がありませんよ。ロシアは国連常任理事国の資格すら問われる事になる」


 そして天狗騨がいよいよ〝締め〟に入った。


「——我々ASH新聞が中国人達に向け『沿海問題』を煽ればそれはさらにSNSで燃え広がる。有事の際当てになるのかどうかも定かではないアメリカ軍の軍事力よりも効果的に中ロ両国を押さえ込める。また中華人民共和国とロシア連邦が仲違いする事によって北朝鮮問題も動かすことができる。北朝鮮は中ロ蜜月だと外交で迷わなくて済むんです。ところが中ロが対立した場合どちらか一方だけにはつけない国でもある。その不安定な状況につけ込み日本が外交問題を解決する事は可能とみます。例えば拉致問題です。ここまでお膳立てしてあげてなお解決できないのならいよいよ日本の外務省も無能集団と断じて良い」


 ASH新聞役員用会議室はひたすらシンとし続ける。


「——我々ASH新聞は、いや、我々メディアと言った方がいいのか、日本政府にきれい事を要求しているんです。『どんな問題も外交だけで解決しろ』と。だったら政府にきれい事をやらせるためにのが〝道〟というものでしょう」



「——さてさて、私は皆さんの疑問に答えました。『日本悪玉史観』を否定したらアメリカとの関係がまずくなって日本が中国やロシアに対抗できなくなるという疑問に、です。もっとも、ウクライナ戦争によって『日本悪玉史観』など崩壊ですがね。なにしろこの史観ではロシア人も正義になる。現にロシア政府の高官達も第二次大戦を聖戦扱いにして日本に対し正義気取りをしていました。じゃあ『戦争を起こした国の指導者は必ず犯罪者になるのか?』という疑問が出てきます。有り体に言って『ロシアの大統領はA級戦犯として処刑されるのか?』となったらそんな事にはならないのでしょう。何しろロシア連邦は核兵器を持っているから。『日本悪玉史観』などこの程度のもの。日本人差別史観であることは既に明らかだ」


「——私はあなた方に『日本悪玉史観』を諦めろと言っている。その悪影響は国内に及ぶという話しをまだできないでいるんですがね」


「て、手短に済ませ給え」また同じことばを論説主幹は口にした。もはやこの程度の抵抗が精一杯である。天狗騨相手にどう議論をふっかけても逆に追い込まれる結果になるのだからもうどうしようもなかった。むろんここでも天狗騨には手短に済ませるつもりなど、毛頭無い。

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