第百七十七話【天狗騨記者の歴史講義、あるいは煽動? 『沿海地方帰属問題』】

 天狗騨記者は改めて件の手帳を繰る。

「『沿海地方』とは現在のロシア連邦の極東部、東は日本海、西は中国、北はアムール川に接する地域で中心都市はウラジオストクです。先ほど申し上げた通り、1860年に結ばれた北京条約でロシア領となりました」とまずは切り出してきた。


「——『沿海地方』などと言ってもピンとは来ないでしょう。しかし『渤海ぼっかい』や『金』などの統治下に置かれた、と言えば『ロシアというよりアジアだろう』という感じがしませんか? もちろん元々清国の領土なのですから沿海地方は満州人の故地・満州の一部です」


「——さて、中華人民共和国で使われている歴史教科書は『極東の中国領150万平方キロが不平等条約によって帝政ロシアに奪われた』と言っているわけですが、キーワードは『不平等条約』です。実はこれは嘘ではない」


「——話しは阿片アヘン戦争から始まります。この戦争はさすがにご存じでしょう。清国の阿片輸入禁止に対してイギリスが仕掛けた侵略戦争です。開戦1840年、終戦1842年です。清国が敗れ、アモイ・上海など五港の開港、香港の割譲などを約した『南京条約』をイギリスと結ばされる事になります。どういうわけか戦争当事国でもないのにアメリカ・フランスとも同様の不平等条約を結び、これが中国半植民地化の発端となりました。だがイギリスはこの条約内容に満足せず、次に第二次阿片戦争とも呼ばれる戦争を清国に対し仕掛ける事になる」


「——では、どの辺りに満足していなかったかというと、要するに開港された港の数が五港に限定された事、中央政府である清国政府との交渉ができない事でした」


「——これは日本の場合と比較すると解りやすい。1854年の日米和親条約はアメリカの捕鯨船の補給のために便宜を図るだけの条約で『下田』『函館』を開港したのみ。その後の1858年の日米修好通商条約は貿易の自由を認めた初めての条約で、そこに違いがある。同条約は加えて『神奈川』『新潟』『兵庫』を開港しその数が増えている。そうして外国人居留地の設定を定めた。また領事裁判権を規定し、関税自主権を否定する不平等条約でもありました。そしてアメリカ以外の列強とも同じ内容の条約を結ぶはめになります。要するに要求はエスカレートするという事です。そして当然の如く中央政府である江戸幕府が事あるごとに外国との交渉を担当する事になる」


「——さて、話しを戻し、なぜ次の戦争も〝阿片アヘン〟と名の付く戦争となったのか? そのイギリスの開戦の口実が凄まじいからです。広東港に停泊中のイギリス国籍の船アロー号が阿片密輸の嫌疑で清国官憲の臨検を受けた際、イギリスは『国旗が引きずり下ろされ侮辱された』として清国に謝罪、賠償金の支払い、及び責任者の処罰を要求しました。当然清国はこれを拒否し、そして開戦に至る。しかもイギリスはこの戦争にわざわざフランスを誘った。開戦1856年、終戦1860年。結果は言わずもがなですが清国の敗戦。この戦争で清国が結ばされたのが『天津条約』で、外交使節の北京常駐、内地旅行、開港場の増加、キリスト教の公認などを認めた内容となっています。どういうわけかここでも戦争当事国でもないアメリカとロシアもこの条約に加わります。この両国は〝仲介役〟という事で条約に参加したという訳です。自国一国で権益を独り占めせず他国を巻き込みしかも共犯者に仕立てる辺り、イギリス人のあくどさが極まってますが、この辺り権益を独り占めしようとして列強各国と対立した日本人とは実に対照的と言うほかない。どちらが誉められるという行為ではないが、どうもイギリスのやり口は数を集めてイジメを行う様に酷似していて非常に胸くそが悪い」


「——さすがにこの状況を腹に据えかねたのか、中国人というか清国人の武官が攘夷を実行してしまいます。日本では地方政権の長州藩が攘夷を実行したけども中央政府の江戸幕府はそんなものはやらなかった。しかし清国は中央政府の人間がやってしまった。即ち天津条約の批准書交換のため北京に向かっていたイギリス・フランスの使節を清国側の砲台が砲撃してしまいます」


「——しかしこれが再侵略の口実となってしまう。〝報復〟と称してイギリス・フランス連合軍が北京に侵入し郊外の円明園を焼き討ちし清国皇帝は逃亡。残った清国政府との間で天津条約は批准され、新たに『北京条約』までもが締結される事になる。内容は天津条約に変更を加えさらに過酷にしたもの。その主な内容は次の通り。1『賠償金を800万両とする』、2『イギリスに九竜半島南部を割譲する』、3『天津条約で開港場とされたところに加えて天津を開港場とする』」


「——さて皆さん、長々とご静聴ありがとうございました。ここでようやくたどり着きました。この1860年の『北京条約』で清国の沿海地方がロシアの領土になってしまうんです! その理由もまた凄まじい。砲撃事件の後始末、イギリスやフランスとの〝仲介の代償〟だとしてロシアは清国に沿海地方割譲を要求したというわけです。なんとウラジオストクは仲介手数料だった!」


「——ロシアはよく〝火事場泥棒〟に例えられます。しかしこの表現、実に適切と言うほかない。なにせこの日本もやられたクチです。ソビエト連邦は日本との中立条約を破り、南方にほとんどの戦力を集中させていたほぼ丸腰の日本軍相手にたった10数日戦っただけで樺太を全部、千島列島及び国後・択捉・積丹・歯舞まで獲ってしまったわけですが、沿海地方の場合はそれを超える! この時ロシアは これで清国から広大な領土を獲ってしまった! その結果としてのウラジオストク、即ち『極東を制圧せよ』です! 自称仲介者が自ら化けの皮を剥がしたと言うべきでしょう!」


「——イギリスについて私は『他国を巻き込み共犯者に仕立てる』と指摘しましたが、当のイギリス人からしてもこれは想定外だったことでしょう。『ほとんど何もしてないヤツがこれほどの利益を得てしまった』、いや『得させてしまった』、と。そういう意味で『第二次阿片戦争』ではイギリス人でさえロシア人にしてやられたと言える。イギリスが仕掛けた戦争で巨大な利益を得たのがロシアではイギリス人としては洒落になりません。これがきっかけでイギリスはロシアをどうにかする必要に迫られ、後の日露戦争に影響を与える事になる日英同盟に繋がったと考えられます」


「——ロシアの行為の異常性はアメリカと比較すればよく解る。さっきチラと触れましたが『天津条約』にはアメリカも加わっていて仲介者としての役回りを演じ清国利権に一枚噛むようになるわけです。が、同じ仲介者でもアメリカはここまではしません。不平等条約の締結で満足する程度です。それを考えた場合、ロシアの悪辣さは抜きん出て際立っている!」


「——それだというのに中ロ関係の今現在が〝協力と蜜月〟などとはおかしいにも程がある。中国指導層は日本人相手にはあれほど『歴史』だの『過去の歴史』だの『正しい歴史認識』だの言っておいてロシア人相手には何も言えず〝協力と蜜月〟とは片腹痛い。そう言えばウクライナ戦争の国連非難決議の時も中国はコソコソ棄権していただけでしたね。中国国家主席は『ロシアに制裁すべきではない』とも言っていました。煽動と言ってもそれは全部真実なので中国人達は日本人に攻撃の矛先を向けると却って惨めになる。煽っていけば弱腰の中国指導層を中国人達が攻撃し始めるルートを辿るのは確実です。『ロシア人に対しても中華民族の偉大な復興をしろ!』と。もしも自らの国民に対しナショナリズムを煽った中国指導層が自らそのナショナリズムを弾圧し始めたなら、下手をすれば中華人民共和国の滅亡ですよ!」


 言い終わると天狗騨はニカッと髭もじゃの口を開き笑った。その表情は論説主幹には悪魔の表情にしか見えなかった。そんな彼はせめて自らが信じる善性に忠実であろうとした——

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