第百七十五話【21世紀に蘇る『以夷制夷』】

「まあ韓国の話しなど持ち出せばこういう事になる事は予想できましたね」天狗騨記者があくまでシナリオ通りであるかのように口にした。


「ならばなぜそんな事をしたのかね?」当然論説主幹はそう訊く。


「報道によって二国間関係を破綻に追い込むことができる。報道にはそうした力があるという証明がまず必要なのです。絵空事と思われないためには」


 この瞬間論説主幹は察した。だがそれを自分の口から言うわけにはいかない。なぜならそれは途方もなくとんでもないことであったからだ。だから、

「続け給え」とそう言った。


「中華人民共和国とロシア連邦の関係が悪化するよう報道すべきです。1970年代はそんな状態だったんです。その再現は荒唐無稽な話しじゃあありません」天狗騨は答えた。


(やはりそう来るか)

「〝煽動報道〟か、穏やかじゃないな」


「しかし日本と韓国相手には既に実行済み、我々は経験値は積んでいる筈です」


「それが日本の利益かね?」


「日本だけじゃありません。それは世界の利益となる」


「その理屈は?」


「だいたい解りませんか?」


「とんでもない事を言っているんだ。自分の口で言い給え」


「しょうがありませんね。では——」と天狗騨は前置きから始めた。「——中華人民共和国とロシア連邦の間を日韓関係同様破綻状態に持ち込めれば中ロは互いに互いを最大限の警戒対象とせざるを得なくなる。必然的に軍の部隊配置は変更です。それが世界の緊張緩和を生む。ロシア目線ではシベリア方面を警戒せざるを得ない。西方にほとんど全ての軍を集結させるなんて芸当はできなくなる。それを受け中華人民共和国も北方を警戒せざるを得なくなる。海洋進出どころではなくなります」


「『以夷制夷いいせいい』だな。新しいようで古い手だ。しかし中ロ両国の政治指導者は互いに利益があるから組んでいるわけで、それを一八〇度方向転換させるのはそれこそ絵に描いた餅だろう」


「ええ、『夷を以て夷を制す』、出典は後漢書・鄧訓伝でしたか、端的に言ってこの政略の成功率は著しく低いですね。汗をかかないで果実だけ手にしようとしても世の中はそう甘くはありません」


「言い出した本人がそれではな」


「しかし絶対成功しないとは言い切れない。日本はかつてこれをまんまと中国にしてやられた。蒋介石はアメリカ社会に存在する『排日主義』に目を付け、アメリカ社会に向けて『我々がいかに日本の被害者であるか』を訴えた。アメリカ社会はその訴えに動かされ真珠湾以前、第二次上海事変の頃には既に『アメリカVS日本』の対決構図になっていました。これが1937年の事です。私は以前に『〝南京で万単位の虐殺があった〟と、最初に言い出したのは中国人ではなくアメリカ人だ』という指摘をした事がありますが、こんなところからもその効果が見て取れます(第七十三話参照)。まったく、1924年に連邦法としての排日移民法を制定させた人間達が、どうやったら1937年に日本に対し『正義』として振る舞えるのか到底理解できませんが、『アメリカ人の日本人に対する人種差別感情』をまんまと中国人に利用された。このように簡単に『以夷制夷』に引っかかる人間達は実在しています」


「君お得意の『同害同復』だったかな? やられた事を今度はこちらがやってやろうというわけか?」


「話しが早くて助かりますね」


「しかしそれは昔のアメリカ人が引っかかったというだけで、現代の中国人とロシア人が引っかかるかどうかは解らないがね」


「そうですか? 成功のためのパターンがこの事例から見えると思いますが」


「パターンだと?」


「『以夷制夷』ということばが誕生したその頃は専制君主の時代です。専制君主が賢ければそんな策には嵌まらないわけです。故に成功率は低くなる。ところが近現代はそうじゃない。大衆に政治指導者が担がれている。つまり仕掛ける対象は政治指導者ではなく大衆です」


「そりゃ大衆を扇動するという事だぞ。まるでヒトラーじゃないか!」


「なんでもかんでも『大衆煽動』と言えばヒトラー、ヒトラーと、一つ覚えのように言うのはどうかと思いますね。ヒトラーが煽動したのは自国民。内向きの煽動です。ユダヤ人に対する差別感情がドイツ社会に存在している事を利用した。一方蒋介石はアメリカ人という外国人を煽動した。外向きの煽動です。日本人に対する差別感情がアメリカ社会に存在している事を利用した。結果は共に成功です。なのに自国民向けの煽動をした者の方が外国人向けの煽動をした者より格上という感覚はおかしいですね。煽動能力という点では五分と五分ですよ」


(相変わらず口の上手いヤツだ)と論説主幹は舌を巻く。しかし巻きっぱなしという訳にもいかない。

「ロシアも中国も専制主義の国だ。大衆がたいして力を持っていない。そんな者を煽動しようとのれんに腕押し、効果ゼロじゃないのかね?」


「大衆が力を持たない国であっても『民族主義』という概念はどの国でも通用します。『民族感情』を刺激してやればいいんです」


「民族感情だと? どういう事だ?」


「日韓関係を破綻へと導けたのはなぜか? それをお考え下さい。それは韓国人の民族感情を刺激したからです。民族感情の刺激によって政治のトップ同士が合理的な判断をしようにもできなくする。中国とロシアの両国民をこの状態に陥らせるのです。さすれば『以夷制夷』という政略の成功率はかなり高くなると考えますが」


(まったく悪徳軍師のようじゃないか)

 まるで日韓関係の現状がそれを狙った陰謀か何かのよう言われ顔をしかめる論説主幹。なにか言えることはないかとそれでも考え続けている。


「しかし天狗騨君、その手の策には不確実性がある。対立誘発を成功させても『夷』がもう一方の『夷』を滅ぼしてしまうような場合もあり、こうしたケースでは前よりも状況が悪くなる事もある」


「中国もロシアも核兵器を持っていますからね、滅ぼせる道理などありません。正にほどよく牽制させる事ができる格好のシチュエーションですよ」


「とは言えリアリティーに欠ける。日本人が仕掛けるんだぞ。中国人がロシア人を憎むよう、逆にロシア人が中国人を憎むよう、そんな事を日本人が仕掛けても『バカが見え見えの策を用いてきた』としか思われないだろう。今はSNSの時代だからな、中国人やロシア人に日本人が嘲られる。そんなものを目にしたら惨めになるだけだ」


 それを受け、なぜだか天狗騨がフフッと笑った。


「話しを逸らされるリスクを覚悟し『日韓関係破綻』の実例を持ち出した甲斐がありましたよ。成功の鍵は正にこの中にある。そしてSNSの時代だからこそ成功率は格段に上がるんです」


 天狗騨記者はまったく不敵だった。

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