第百七十三話【伝統芸? お家芸? 論点コロコロころりんこ】

「ありますよ。日韓関係を破綻させたのが我々ASH新聞じゃないですか」


「なんだとォ? いったい我々に何をやれと言うつもりだ⁉」


 天狗騨記者と論説主幹のこのやり取りの後は当然にして天狗騨が何事か喋る番である。そこに横槍を入れた者がいた。ある意味〝お約束〟な事が起こった。


「日韓関係を破綻させたのが我々ASH新聞とはどういう事だっ!」あの論説委員の男だった。


 ASH新聞社員が韓国に特段の思い入れを有する傾向強しと言えども、このケースでは若干趣が違う。〝全ての責任を押しつけられた〟と感じたが故の反応であった。しかし天狗騨は頭のネジが飛んだようなところがある。


「私は別に責めてはいませんよ。しかしやった事は認めましょうよ」普通のASH新聞社員からしたら実にとんでもない事を言いながら天狗騨は(これは〝憤り〟というよりは故意の論点ズラしだ)と判断し、最短の反論を突き返した。

「米軍慰安婦問題無き慰安婦問題で韓国人達を煽り日韓関係を破綻させたでしょうが」


 論説主幹は基本的に穏やかな小心者だったがそれでも無能な身内に足を引っ張られると腹立たしくてしょうがない。

「君は喋るのを止め給え」論説主幹は件の論説委員の男をたしなめた。だが論説委員の男は執拗だった。

「我々ASH新聞は徴用工問題を煽ったわけではない!」


 天狗騨は憮然とした表情で、

「それはつまり日韓関係の破綻は韓国人達に原因があるという意味ですね」と口にした。


 しかし論説委員の男はついこれにカッとなった。日韓関係悪化の原因が全て韓国人にあると言わんばかりの言辞だったからである。やはり韓国が傷つけられると我が事のように心が痛む。最大限の譲歩をしても『どっちもどっち論(日本悪い)』までである。

「そうは言っていない! そもそも日韓関係は破綻していない! 日本が歩み寄れば関係改善は可能だ。徴用工問題に日韓二ヶ国が取り組むことで破綻は回避できるのだ!」とぶった。が——、


(ズラした論点をさらにズラし始めたぞ)としか天狗騨には思えなかった。



 天狗騨は『日本悪玉史観が国際社会にも国内社会にも悪影響を与える』と自説を展開し国際社会への悪影響を説くところまで喋った。次は国内社会への悪影響を説こうとしていたその矢先、『これまでの歴史観の否定はアメリカを怒らせその上いたずらに中国やロシアを刺激する。この日本がアメリカの軍事力無しにどうやって軍事大国である中国やロシアに対抗するつもりか?』と、こうした趣旨の反論を受けたのである。

 この程度の〝ズラし〟ならまだ我慢もできた。まったく無関係ではないからである。だが『日韓関係がどうのこうの』というのは全く関係の無い話しとしか言い様がなかった。



(議論が不利な方向へ展開していくと決まって論点をズラし議論をまったく別のモノにすり替えようとする。MT学園の件然り(第三十五話参照)、慰安婦問題の件然り、だ! 議論、議論と議論第一主義を語る割に汚い真似をしやがる)そう思うしかなかった。


 〝しやがる〟と、内心とはいえことばが荒くなってしまった天狗騨記者。それもその筈、天狗騨はほど報道企業の悪辣さを示す事例もないと喝破しており、未だ許し難しと心底怒っていたからである。正にジャーナリズムの信用を地に堕とした一大事件としか考えられなかった。



 それはざっとこういう事である——

 まずは『従軍慰安婦』という文言。ASH新聞自身が一連の記事中で紹介していた史料には『慰安婦』としか書かれていないのに、どういうわけか小説家が造った造語を用いて報道していた。

(〝従軍〟と銘打てば〝日本軍〟との結びつきをより強く印象づけられる。そうした目的が無ければ史料の中の文言を無視し敢えて小説家の造語などを選ぶわけがない)

 印象操作を優先し正確な報道をないがしろにするなど天狗騨にとっては論外も論外。しかし論外はこの程度ではとどまらない。

 なにしろ当時のASH新聞ときたら慰安婦問題の報道内容について反論されるたびに論点をコロコロ転がしていったものである。慰安婦問題は調査報道という形式を取っていたが、調査報道というのは問題提起である。その提起した問題に反論される度に問題の方を変えてくる。変えた問題に反論があるとまたさらに問題を変えてくる——


 一番最初の問題提起は『日本軍が朝鮮人女性を慰安婦にするため強制連行した!』だった。


 ASH新聞が日本軍による強制連行の証拠として報道し、同時に唯一の証拠ともいえた吉田清治という男の『朝鮮人女性強制連行の証言』が同紙に掲載されたのは1992年1月のことであった。

 その証言に違和感を感じた有志が裏をとろうと検証したところ本人の経歴、軍の命令系統など証言は嘘だらけ。軍が組織的にやったのなら吉田の当時の部下に訊けば裏が取れる筈と見込むも吉田清治本人は紹介拒否。業を煮やした或る大学教授が件の証言の中で〝強制連行が実行された現場〟とされていた韓国・済州島へと飛んだ。むろん聞き込みのためである。だが遂に、韓国人に訊いてさえも〝朝鮮人女性強制連行証言〟の裏は取れなかったのである。これらは1993年には既に判明していた。普通のメディアならこの時点で訂正報道をするものである。

 ちなみに、一応ASH新聞は『事実関係に誤りがあった』『裏づけ取材が不十分だった』として訂正の報道はした。のこと。実に最初の『報道』からこの間海外では慰安婦は『セックス・スレイブ』と翻訳され、『日本は性奴隷国家!』『日本は国際レイプ国家!』との評価が国際的に定着してしまい(特にアメリカで)、既に手遅れの状態である。こうした現実から22年もの後の訂正など訂正したうちに入らないと談じてもそれは突拍子もない意見とは言えないだろう。

 

 このようにASH新聞は即座の訂正報道を行わず、代わりに問題の方を変質させた。『女衒業者が騙して朝鮮人女性を慰安婦にするため連れてきたケースも強制連行に当たる!』という事にしたのである。『日本軍は直接やってないけど慰安婦の募集をかけたのは間違いない。つまり業者とグルになっていたからアウト!』という理屈である。こうして問題提起の問題の中身が『日本軍の強制連行』から『』へとすり替わってしまった。


 ところが、である。業者が不正な手段で集めた朝鮮人女性について、日本軍が解放していたケースがあることが史料から明らかになってしまったのだ。これでは『日本軍が悪徳業者とグルだったのだ』とは言えなくなってしまう。


 いくらなんでも普通の神経ならさすがにこの時点で訂正報道をするものである。


 だがだがASH新聞はまたまた問題の方を変質させた。『慰安婦などというものは貧しく立場の弱い朝鮮人女性がしかたなくやったのだ』として慰安婦の募集をした日本軍を非難。募集した事自体を悪事とした。とは言え〝しかたなく〟というのは〝自主的判断〟を意味する。必然『連行』の文言は消えるほかない。かろうじてと言うべきか強引にと言うべきか、『女性が売春業などという仕事をやりたいわけがない! やりたくない仕事でも生活のためにはやるほかなかったのだ!』という理屈を打ち立て、こうして問題提起の問題の中身が『広義の強制連行』から『』へとまたまたすり替わってしまった。かくして一番最初の問題提起から〝日本軍〟も〝連行〟も消えてしまい最後まで残った文言は〝強制〟のみとなった。

 ちなみに、さすがにここまで来るといわゆる御用学者の口を通じて報道するしかなくなってくる。


 この後『女性が売春業をしなければならないのは女性に対する人権侵害! 慰安婦を集めた日本軍は許し難い人権侵害をした!』と言って非難するのが慰安婦問題の世界スタンダードとなった。アメリカ人、特にアメリカンリベラルがこの立場である。だがこうした非難をする人間達は同様の構造をもつ米軍慰安婦問題についての非難を一切しないため、慰安婦問題は日本人に対する実に深刻な人種差別問題と化しているのが現状である。



「申し訳ないがこの際だから言っておきます。論点をズラすのはやめましょう」天狗騨は論説委員の男の面前で堂々要求をしてのけた。(新聞社の伝統芸が〝問題の論点ズラし〟ではお話しにならない)と思ったが故の要求だった。


「お前が日韓関係が破綻したと言ったのだろう!」論説委員の男が怒鳴り散らした。


「しょうがない。天狗騨君、手短に済ませ給え」論説主幹が言った。


「主幹、〝手短に〟とはどういう事です⁉」


「私はね、日韓関係が破綻とか言う前に、外交だけでどうやって中国やロシアの軍事力を押さえ込めるのか、端的にそっちの方に関心がある」

 これは必ずしも論説主幹の親切ではなく、言外に〝そんなことができるものか〟という意味が込められている。だが論説委員の男はそんな言い様には納得しない。


「日韓関係をどうでも良いと⁉」


 しかし論説主幹はそれを無視した。

「今言った通りだ天狗騨君」そう口にした。

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