第百七十一話【生殺与奪の権を他人に握らせるな!】

「私は『日本悪玉史観』が今や国際社会にも国内社会にも悪影響を与える有害な史観であると指摘しましたが触れたのはまだ半分、国際社会の分しか指摘し終えていません」

 天狗騨記者は論説主幹の問いを無視する意志を、露骨なまでに露わにした。


「ここは君の講演会場じゃないんだ! 我々の質問に答える査問の場だ!」

 論説主幹はその立場としては当然の反発を示した。それは〝お前のご高説〟など聞いていられるか! という意思表示でもある。しかし一方その反発は天狗騨にも効いていない。


「『アメリカの軍事力無しに日本は国を守ることができない』、ASH新聞の論説主幹がそんな事言っちゃって大丈夫ですか?」天狗騨記者はあまりにぶしつけな言い方で問い返した。


「〝対峙〟と言ったのだ!」論説主幹が重箱の隅をつつくような反論をする。

 しかし確かに論説主幹は『日本はアメリカの軍事力無しにはロシアや中国とはできないのだ!』とは言っていた。


「言葉遊びはやめましょう。〝対峙〟というのは『両者動かずにらみ合い』という意味です。つまり〝抑止力〟という意味だ。抑止力は文字通り抑止する力。つまり〝守る〟ってことですよ。これが『できない』と言っているじゃないですか」


「それこそ言葉遊びだ! 私が言っているのは『現実主義』だ!」


(『対峙』がどうとか言い出したのはそっちだろうに)天狗騨は内心で反駁した。

「ならその現実の方を変えるためになにかしているんですか? 例えば憲法9条を改正しできる事を増やしアメリカ軍への依存度を下げるとかあるでしょう?」


 そんな事をASH新聞がする筈もなかった。案の定論説主幹は言った。

「そんなものは我が社の社論に反する!」


 ASH新聞の社論は『日米同盟の抑止力を認め、そしてそれをもって憲法9条改正には手を付けない』というもの。そんな一切現実を変えようとしない者が『現実主義』を唱える様に天狗騨は心底怒りを覚えていた。戦後の日本はことある事にアメリカに〝安全保障〟と言い換えられた日本の防衛問題を持ち出され、種々の分野で譲歩を繰り返してきたからだ。

 『どこから見ても日本は〝安全保障〟を人質に取られアメリカにいいように取り扱われている!』としか天狗騨には思えなかった。『この現実に諦観だけをし続ける、そんななにもしない者の事を現実主義者というのか⁉』とも思っていた。

 何よりも天狗騨は有事の際にアメリカ軍は日本を護らないとの確信がある。だからか天狗騨が吠えた。



 びくっ! その音量と言い様に思わず固まる論説主幹。それはこのASH新聞役員用会議室内にいる面々もまた同じく。そしてこの中の何人かはこの台詞の正体に気づいていた。そう、まさしく台詞だった。出典がある。

 これは大正時代を舞台とした鬼退治の漫画、興行収入不滅の300億円突破アニメ映画の原作漫画、その一丁目一番地ともいうべき始まりの第1話で出てくる〝かなり有名な台詞〟であった。


「私にはこれは日本の現状を、これ以上はない暗喩として言っているのだと、そのようにしか思えませんでした」天狗騨は言った。


 あまりの言い様に誰も彼もなんと返していいのか解らない。さらに天狗騨が断言する。


「アメリカの軍事力に依存しアメリカの軍事力を計算しなければ自国を護れないのが日本だ。生殺与奪の権はアメリカに握られているって事です!」


 この台詞にこんな解釈を加えてくるのは天狗騨記者くらいのものであろう。


「これはまともに新聞を読んでいたなら誰にでも解る。アメリカが要求し日本が譲歩する。これがどれほど繰り返されてきたことか!」


 この場にいる誰も天狗騨に反論を加えようとはしない。なぜならそれは事実だったから。『繊維』、『自動車』、『半導体』、やがてアメリカの要求項目は物品の枠を超え日本の社会制度にまで及びそれは『非関税障壁』と名付けられた。腐っても新聞社に勤める者達、その辺りは常識として皆知っていたのである。


「なぜ日本はアメリカが要求するとどんどん譲歩していくのか? その説明はご親切にもアメリカ人がしてくれています。それが『フリーライダー論』です。日本はアメリカの提供する安全保障に国防を委ね、浮いた国防費を全て経済成長のためにつぎ込み世界の経済大国の地位を得たとする。言わば『日本はタダ乗りをしている』と」


 ここで天狗騨は大きく手を水平に振った!


「さらに問題があります! この逆は無いということです! 日本はアメリカに要求しない! 皆さんはASH新聞の社員だ。沖縄県での米兵による犯罪に憤りを持っている筈だ! だがこの犯罪者は『日米地位協定』で護られ、犯罪被害者は泣き寝入りをさせられ続けている! にも係わらず日本政府は『日米地位協定』の改定をアメリカに要求しない!」


「——なぜ日本は様々な要求をされるのにアメリカに要求しないのか? 国防を外国であるアメリカ合衆国に委ねているからだ! アメリカの機嫌を損ねれば日本が護れなくなる。だからだ! これをして生殺与奪の権を他人に握られていると言うんです!」


 ただただ深閑とし続けるASH新聞役員用会議室内。


「この中の半分くらいは気づいているかもしれませんが、これは私のオリジナルなどではありません。これは有名な漫画に登場する有名な台詞です」天狗騨が僅かに間をとった。「こういう台詞が出てきてしかもかなり記憶に残る台詞となっているというのは無意識レベルで時代が動き始めているという事です!」


 そう天狗騨は言ったがどだい大手出版社の漫画の編集部などという所は〝政治の臭い〟をとてもとても嫌う。それは〝売る〟という行為の邪魔にしかならないからである。外国にも作品を売ろうというのが昨今である以上それはなおさらなのである。売る先の国によっては主人公の耳飾りのデザインさえも変わってしまう。しかし天狗騨、一旦解き放たれた作品にどんな感想を持つかなど個々人の内心の自由だとしか思っていない。


「そして私は思います。この台詞はあまりに本質を衝きすぎているため、将来この漫画の人気が廃れてしまったとしてもこの台詞だけは生き続けると!」


「——ちなみにこの台詞は脇役の言った台詞ですが、言われた主人公は『他者に一方的な生殺与奪の権を握らせまい』と決意して、研鑽と自己鍛錬を積んだわけです」


(冗談じゃない。漫画の台詞如きで憲法9条が脅かされてたまるか)

 思ったのは論説主幹だったがこの場にいるほとんど全ての者は同じ事を考えていた。


「なんで我々が漫画の話しなどしているんだっ!」論説主幹が比較的低レベルな反論をしかしようやくといった感じで口にした。


「漫画じゃありません。現実の話しです。『生殺与奪の権をアメリカに握らせるな!』。日本の現状を表すにこれほどストンと腑に落ちるフレーズもない」


「漫画の主人公の鍛錬と国家の鍛錬が同じになるか! それは武力を強くするという意味だ。日本は軍事国家を志向しろと言うのか‼」


「誰が言いました? そんな事」


「は? 軍事力は関係無いのか? じゃあ『生殺与奪の権』とやらをどうやったら外国に握られないようにできるってんだ?」


「外交ですよ」天狗騨はあっけらかんと言い切った。


(中国やロシアの脅威に外交で対抗できるだって?)


 どう考えてもそれは『現実主義』とはあまりに程遠いようにしか思えない。『外交でなんでもかんでも解決しろ!』というのは普段から自分達(ASH新聞社説)が言っている主張だが天狗騨などに言われるとなぜか無性に腹が立ってくる論説主幹を始めとしたお歴々達であった。

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