第百七十話【『現実主義』】

「アメリカやロシア中国といった超大国にそこまで言うとはなかなかに豪気じゃないか」論説主幹は言った。この男にしては珍しい嫌みの込め方である。「しかし〝現実主義〟を忘れちゃあいかん」


 論説主幹としては暴走する天狗騨記者を諫めたつもりである。


「我が意を得たりです。〝現実主義〟という厳しい目を持って人間という存在をとことん理解するよう勤めねば次の戦争を未然に防ぐことなど叶いません!」天狗騨は勢いよく応じた。その微妙に外してきたような大業な物言いにそこはかとはない不安を感じる論説主幹。しかし天狗騨記者のスイッチは入ってしまった。


「人間というのは〝成功体験〟に縛られる! それが大成功であればあるほどそれが己の能力によって成されたのだと固く信じ込む。そこには〝たまたま〟だとか〝奇跡的に〟だとかいった偶然の要素で上手くいったのだという考察すら入り込む余地が無くなるのです。そしてそうした思考に縛られるのが宿命とも言える『成功した人間』は、貪欲に必ず次の成功を求める! そして『前に成功したから』と、また同じ手段を採るのです!」


「その大演説は今この場で話す必要があるのかね?」論説主幹が天狗騨の演説をぶった切った。が、切った傍から繋いでくる天狗騨記者。


「大ありです。国家とはとどのつまり人間の集まりじゃあないですか。成功した国家には当然当てはまります。例えばこの日本です。日露戦争に勝ってしまったという〝成功体験〟の結果、問題解決のために軍事力を用いる事を躊躇わなくなりました。これが次の大失敗へと繋がってしまうわけです。あなたも、あなた方も『日本』については一度くらいはそういう事を書いた筈です」


「う、うむ」とあまりの異論の無さに思わず肯いてしまう論説主幹。


「それがどうして『アメリカ』だとか『中国』だとか『ロシア』が同じ事をしないと言えるのですか?」


「いや別に言ってないだろ」


 天狗騨は肯いた。「確かに。」

「——だが口に出して言わないからといって正確な認識があるかどうかというのはまた別の話しです。アメリカや中国やロシアが問題解決のために軍事力を用いて失敗した具体的実例を挙げることはできますか?」

 上司を試すような真似をする天狗騨記者。


「お前はさっき『イラク戦争』の話しをしただろう」憮然とした感情を隠そうともせず論説主幹は言った。しかし天狗騨にどこまで通じたものか、

「他には?」ともう次には訊いてくる。

「『ベトナム戦争』が特に有名だな」

「では『ベトナム』と言えば?」

 間髪入れずまたも質問攻勢をかけてくる天狗騨に僅かに論説主幹が詰まった。(コイツ、アメリカ以外についても指摘ができるかどうか試しているな!)、そう思った。

 この場合の〝試す〟とは知識を試すというよりは『中国』にもモノが言えるかどうかという意味の〝試す〟であると、そう察知したが故の僅かな詰まりであった。

 しかし論説主幹ともあろう者が〝答えが分からない〟では沽券に関わる。

「『中越戦争』だろう」そう返答をした。


 『中越戦争』とは国境問題やベトナム軍によるカンボジア攻撃を理由として中国がベトナムに侵攻して起きた戦争である。緒戦においてなぜか攻撃側である中国軍が多数の死傷者を出し、さらにはベトナム国内の占領地も放棄し、中国軍撤収により終結しているため〝中国側の敗北〟と一般的には捉えられている。


「それは何年でしたか?」畳みかけるように天狗騨が訊いた。


 記憶があやふやなため答えに躊躇する論説主幹。


「1979年の事です」天狗騨の方が答えを言った。さらにその天狗騨が続ける。「1979年と言えばもう一つ重大な事件が起こっていますね」

 それを継ぐ形で間髪入れず論説主幹が反応した。

「ソ連のアフガニスタン侵攻だろう」


 これが翌年1980年のモスクワオリンピックの西側諸国のボイコットに繋がった。これはかなり有名な話しである。


「『アメリカ合衆国』『中華人民共和国』『ロシア連邦』は第二次大戦の勝利によって軍事力の行使に味を占めてしまったわけですが、その後については失敗も経験しています。だが、失敗したのにどういうわけか未だに第二次大戦の成功体験に縛られている。軍事力を問題解決のための手段として使うことに躊躇しない! その際たる例が『ベトナム戦争』に失敗したのに『イラク戦争』でも失敗したアメリカ合衆国です!」


 天狗騨の覇気に押されことばが出なくなる論説主幹。


「同じ轍を今また『中華人民共和国』と『ロシア連邦』が踏んでいる。中国はベトナムで失敗したのに今度は台湾を、ロシアはアフガニスタンで失敗したのに今度はウクライナを、軍事力を使って己の物にしようとしている!」


 天狗騨がまたもASH新聞役員用会議室内にいる面々を睨め回した。

「問題は軍事力の行使に失敗した者達が、なぜまた行使に奔るのか、正にそこにある!」

 天狗騨は指を一本立てた。

「答えは一つしかありません。侵略国として国際的になじられる事が無いからです。それどころか第二次大戦を持ち出せば逆に『善玉の国・正義の国』として簡単に復活できる。その原因こそが『日本悪玉史観』にある! 正義や善というものは対比となる悪がいなければ成り立たない価値観だからです!」


「こうした構造が温存され続ける以上は次に戦争を起こすのもアメリカ・ロシア・中国となるのは必然! これから先もこの連中は〝自国の利益〟と信じた目的のために戦争をする事でしょう。たとえ敗けても第二次大戦を持ち出せば簡単に『善玉の国・正義の国』というポジションを取り戻せるからです。『日本悪玉史観』が、アメリカやロシアや中国が何をやっても許される免罪符にしかなっていないというのはこういうことです!」


 ここで天狗騨は立てた指を挑発的に論説主幹へ向けた。


「日本人が『日本悪玉史観』を守り続ける事で利益を得るのはしょせんかつての戦勝国。軍事力が強くそして勝つために手段を選ばない。その上『正義』まで手にしてしまった。そんな連中がかつての成功体験に取り憑かれ第二次大戦後も戦争を繰り返している。第二次大戦後の連中の行状を逐一分析するに、いつまでも善玉にしておくわけには到底いかない。国際社会に脅威をまき散らす『日本悪玉史観』は排さねばならない。この史観の役割は既に終わっている!」


「それを排したら日本が善玉になるとでも思っているのか⁉」論説主幹が噛み付くように訊いた。


「ならんでしょう。だが、今日本や日本人がいる地獄にアメリカ合衆国とアメリカ人、ロシア連邦とロシア人、中華人民共和国と中国人を引きずり込む事こそ今日本人にできる国際貢献というものです!」


(ほとんどそれは〝拡大自殺〟ではないか!)

 しかしそれは声にはならなかった。



 『話し合えば分かり合える』『もっと議論を』とはASH新聞の常套句とも言えるが、土台となる価値観のあまりに違う者同士が話し合えば議論はまったくかみ合わなくなるという縮図が現出しただけであった。


 『現実主義』と言われ天狗騨はそれを『リアリズム』と解した。つまり理想や建前を排し、人間という存在を生々しくありのままに理解しようとしたのである。つまり人間を美化しない。彼にとって現行流布されている第二次大戦史観はアメリカを始めとする連合国をあまりに美化する不自然な歴史観であり、この現代において最早その弊害に目をつむっていられるレベルではないという事を力説したに過ぎない。


 一方で論説主幹である。同じ『現実主義』でも彼の言ったことは『現実に即応して事を処理すべき』というもの。これを言ってしまうと身も蓋も無いが、『日本は軍事的にアメリカにもロシアにも中国にも対抗できないのだからそうした国々を刺激するな』というもの。



 論説主幹は心の中で頭を抱えた。

(分かり合えないヤツとどう話しをしたらいいんだ)

 しかしここまで来るとその〝身も蓋も無い事〟を公然と口にせざるを得ない。


「日本はアメリカの軍事力無しにはロシアや中国とは対峙できないのだ! 同盟国アメリカを刺激し、を挑発する歴史観をまき散らすなど正気の沙汰ではない!」


 ASH新聞幹部社員がここまで吐くのは異例中の異例である。なにせ普段は何が起ころうとなんでもかんでも『』と念仏のように唱えていればそれでいい、という社風なのである。だがしかし天狗騨相手には『超大国にそこまで言うとはなかなかに豪気じゃないか』などとオブラートにくるんでソレを表現してもまるで通じないのだからしかたない。

 これは天狗騨が普段からのASH新聞の論調である『外交で解決すべき』という主張を逆手に取って使えないよう敢えて捨て身の戦術に討って出た、という事であった。

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