第百六十五話【社会の分断・肯定論】

『結局君はこの結婚に賛意を持っているのか反意を持っているのか?』論説主幹に問われた天狗騨記者は困った様子も見せず語り出す。


「私はまず最初に〝反意の理由〟を語り、次に〝賛意の理由〟を語りました。強いて言うなら私は後者を採りますが、しかしもはや『どちら側か』は重要な問題じゃあありません」


「そうした回答では私には言い訳にしか聞こえないがね」、内心天狗騨というヒラの一記者がどう思っていようとまったく本題でもなんでもないとの自覚は論説主幹にはあったが、とにかく議論に勝つには相手の〝揚げ足取り〟が時に必要とも思っていた。だから続けて出たことばはこうなった。

「——では最初に言っていた『生活力の無い男に娘はやれん!』はなんだったのか? という話しになる」と咎めるような口調で言っていた。


「そう! 重要なのは正にそこです!」天狗騨はぱんっ、と大きく手を叩いた。


(は?)

「いや、それは『なんだったのか?』に対する回答には聞こえない」率直な反応を論説主幹は示した。

 だが天狗騨の話しは明後日の方向へ——

「ASH新聞社に限らず我々メディアはもっともらしそうな顔をして『』を憂いてみせる。それが良識ある人間の採るべき態度だと言わんばかりに!」


(こっちが話しを枝葉の方に逸らそうとしているのを察知し目には目をで逸らし始めたか?)そうは思った論説主幹だったが、(ここは押していくしかない)ともまた思っていた。

「まったくなんの回答にもなってないが」


「言われて多少カチンと来たが故の反応ですか? しかしこの際する方向へと舵を切るべきだ! それこそが多様な価値観を認めるということ! 皇嗣殿下の長女の結婚は実にパラダイムシフトとでも言うべき実にエポックメーキングな事件なんですよ!」


「正気か⁉ 皇族の結婚が社会の分断を生みそれを容認しろと曰うとは。天皇は国民統合の象徴だぞ!」思わず声が甲高くなった。

 論説主幹はこれを言った直後には(まるで右翼だ俺には似合わん)と思ってしまい、言い訳めいて「それは日本国憲法の価値観でもある」とその後即座に付け加えた。

 が、そんな彼をしても目の前にいる天狗騨記者はもはや〝リベラル〟などではなく〝極左〟にしか見えなかったのだ。近年〝極左〟は人気無く、野党が少しでも自陣営側の票を掘り起こそうと選挙協力したら却って従来からの票が逃げてしまったという事もあった。


「国民統合の象徴はあくまで天皇で、皇族じゃないでしょうに」と天狗騨は反論する。


「『皇室』ということばにはその両者が含まれるんだ!」それに論説主幹がさらに反論する。


「あなたは少々議論の熱に浮かされ正気を失っているんです。皇嗣殿下の長女の結婚に賛意を示すのも反意を示すのも〝〟と、どうして思い至らないのか?」


「りょ、両方とも?」


「両方正しいのだから意見が対立し分断するのもまた正しい」


「分断を肯定するか?……」


「当たり前でしょう。娘を持つ親なら稼ぎの無い男の元へと嫁に出すのは反対でしょうし、一方で結婚に当たり〝男性の収入を公然と問う〟という悪習をここまで明快に蹴散らせる女性はこの人権新時代にふさわしい! これのどちらが正しくてどちらが間違っているかなど、どうしてどちらか一方に決められるのでしょうか?」


「……」


「もし〝社会の分断〟が悪だと言うのなら、どちらかの正しい意見が社会から抹殺されなければならない事になってしまう! 日本人が温和しければどちらかの正しい意見が封印される。だから〝温和しい〟ことは誉められた事ではないのです!」


(いったいなぜこんなことに——)と絶句したままの論説主幹。そんな中天狗騨節はなお続く。

「戦前の日本なら官吏や軍人が『天皇の官吏』、『天皇の軍人』を僭称し、皇室の権威をもって社会を強引にひとまとめにしていたものでしたが、この現代は皇室が社会を分断させ自ら多様な価値観の体現者となっている! これは実に素晴らしい事です!」


(そうか、こういう方向に持っていこうとしていたか……故意に矛盾する意見を口にして突っ込みを誘発させる……これは計算づくというわけか……)論説主幹は思った。しかしその内心ではこうも思っていた。

(——だが皇嗣殿下の長女を美化しすぎてやしないか。本当に夫の収入にそこまで無頓着で寛容なのか? 本当に自分が働いて夫を養おうというそこまでの覚悟があって結婚したのか? いざとなったら日本政府が然るべき地位然るべき収入の仕事を夫にあてがってくれると、そうして収入問題は解決するんだと、そう考えているんじゃあないのか?)


 論説主幹はそれこそこんなネットニュースの掲示板に書かれるような〝不敬〟な事を考えていた。だが、状況は彼に有利とは言えない。女性皇族が婚姻により皇籍を離れ民間人になる際に法的裏付けを持って受け取ることができる一時金の1億円、皇嗣殿下の長女はこの大金の受け取りを辞退しているのである。これを『覚悟の表れだ』とされたら分が悪い。


(前に天狗騨は日本に死刑廃止を要求した弁護士達に対し『ならばイスラムの国々にも死刑廃止要求ができる筈!』と、イスラム圏に対する特攻を要求した事があったと聞く。それと同じで天狗騨は皇嗣殿下の長女にさえ逆らうことが困難な建て前を突きつけ過酷な要求をしているだけじゃあないのか……)


 しかし彼は基本小心者で、自分の身を守らねばという意識を常に持ち歩いているのでもちろんこうした物言いを口にすることは無い。


(分析のレベルを飛び越え〝温和しくない日本人〟を積極的に肯定しその結果起こるであろう社会の分断さえ肯定し出すとは天狗騨め、——。 もはや一方的な攻撃は不可能となり常に反撃があるものと考えて攻撃しなくてはならなくなる。それはメディア企業にとって修羅の国でしかない)論説主幹は時代を呪い、身内に獅子身中の虫がいることを呪った。


 そしてこれは天狗騨の恐るべき主張の前触れでしかなかった。

「日本に対する歴史攻撃はもうそろそろやめるべきでしょう」、天狗騨はそう言い放ったのである。

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