第百六十四話【『むしろ女性の方が古くさい』 天狗騨記者の恐るべき男女同権論】

 ASH新聞役員用会議室内にいる面々は皆押し黙ったままなので、ひとり天狗騨記者の挑発的口上はまだ続いている。


「なんだなんだ。誰も答えてくれないんですか?」


「——もう覚醒した日本人も現れているというのにオピニオンリーダーがそんなに温和しいままでいいんですか⁉」

 と、言いつつここで天狗騨が不思議な事を言い出した。

「これはきっと皆さんの中に〝娘を持った父親〟がいるせいでしょうか? しかし今私の言ったことに対する反論は実は意外と簡単な事なんですよ」


 皆が皆、ぎょっとしたような顔で一斉に天狗騨を見る。


「私がつい今し方なんと言ったか思い出してみて下さい。『結婚とは両性の合意によって成立する』と言ったんです。ここには親の介入する余地など無い理屈です」


「ど、どういう事か?」

 その真意を図りかねた論説主幹が反射的なことばを発した。


「皇嗣殿下の長女とKM氏の結婚を肯定し、否定派に対し互角以上に渡り合う理屈は存在する、と言っているのです」


「ちょっと待て天狗騨君、君は否定派のような口ぶりだったが」


「あくまで〝肯定側〟の理屈次第だということです。『皇族が選んだ結婚相手なら国民は祝福する義務がある』などといった国民を未だ臣民扱いする古い価値観を持ち出されては、こちらも古い価値観で対抗するほか無し、というわけです」


「それでは君に定見が無いことになる」


「いいえ。ありますよ。それはあくまで『リベラルか、否か』です」


「リベラルを言うなら『結婚とは両性の合意によって成立する』と言っておけばいいだろう。ダメなのか?」


「『生活力の無い男に娘はやれん!』と持ち出されてしまったなら、リベラルの方がにされて木っ端微塵にされますね」


「まるで木っ端微塵にされない堅固な理屈があるみたいじゃないか」


「ありますよ。これを言えば我々リベラル陣営はかなりの人気回復になります」


「そこまで大言壮語するか。なら言ってみ給え」売り言葉に買い言葉で論説主幹が応じた。


「その前にひとつだけ。私は一回だけなら『それは偶然か、たまたまかもしれない』と一応考えるようにしていますが、それが二回となると偶然やたまたまでは片付けられないと思考しています」


 論説主幹の頭の中に『一発だけなら誤射かもしれない』というASH新聞的フレーズが思わず浮かんできてしまった。(いかんいかん!)と即座にそれを打ち消す。その頃合いで天狗騨が本題を切り出してきた。


「今回の皇嗣殿下の長女とKM氏の結婚は、KM氏がMU銀行に勤め続けていればここまでぼろくそに非難される縁談にはならなかったでしょう。なにせ勤め続けていれば年収1,500万は堅いのですから。しかし彼はその年収を捨て転職してしまった。一方で『この女性と結婚するのだ』という決意だけは微塵も揺るがない」


「——もしアメリカ・ニューヨーク州での弁護士の資格が獲れたならMU銀行行員を続けるよりも年収が多くなる可能性が出てくる。しかし彼は資格取得より前に結婚してしまった。つまりです。そして弁護士試験の1回目は落ちてしまうというオチもついた」


「——KM氏は『収入にまるで無頓着で、なのに結婚には異様に執着する人間だ』、と言い切っても、それは〝的を射抜いた正確な分析〟と言い切れる自信が私にはあります」


 〝収入にまるで無頓着で、なのに結婚には異様に執着〟というのは、正にその通りなので誰も何も言わない。


「取り敢えずこういう人物に対し叩きたくなるだとか説教したくなるだとかいう衝動は、衝動なのだと自覚して抑えておきましょう。重要な点は、このような人物でも、皇嗣殿下の長女は〝良い〟と思い結婚の決意は微塵も揺るがなかったという事です! 弁護士の資格が獲れるかどうかも関係が無かった。獲れなくても構わない! だから合格発表よりも先に結婚してしまった! 

 天狗騨が両手を広げオーバーアクションを伴い語ってみせた。


「いや、勝手に納得しているようだが私には何のことか解らなかった」論説主幹が悪びれず、心底〝解らない〟という顔で言った。しかし天狗騨、意外にも〝それももっともな事〟と肯いてみせた。そうして続けた。


「KM氏は収入を伴う仕事が苦手なタイプである可能性が高い。あるいは収入を伴わない仕事の方が向いているのかもしれない」


「バカ言っちゃいかん! 収入の発生しない仕事などあるものか。そういうのはボランティアと言うんだ」


「何を言っているんです? ありますよ。そしてそれは辞められない仕事でもあります」


「あったかな?」


「それは〝〟です」


 言われた論説主幹はその瞬間ポカンとした。しかし確かに天狗騨の言う通りだった。


「皇嗣殿下の長女はKM氏がでも受け入れる覚悟があったと考えられます!」


(え? そうなのか?)とっさに思う論説主幹。しかし〝稼ぐ力〟に乏しいのは誰の目に明らかである。それを解っていて皇嗣殿下の長女は結婚までしてしまったのだから確かに理屈の上ではそういう事になる。


「——経済上のサポートは夫には期待しない! つまり稼ぐのは自分自身! でなければこの結婚は破談になっていました。正にこれこそ男女同権時代の価値観だ!」


「——ここ日本では、皇室の結婚・子育てが、時代の変化に合わせて変わってきたと言われています。しかし今や大衆の方が遅れていて皇室の方が先へと行ってしまったのです!」


 ここで天狗騨はかぶりを振った。


「然るに、結婚願望のある世の女性達はどうか⁉ 結婚の条件が〝男の年収いくらいくら以上〟というのはあまりに遅れている! 男女同権時代にはまったくそぐわない! 女性にとっての結婚が〝専業主婦になる事〟を意味した時代の遺物的価値観と言える! これはもはや明治の価値観だ! 今や〝古くさい〟という代名詞になってしまった〝昭和〟の頃にだって既に『キャリアウーマン』ということばはあった!」


 論説主幹を始めとして目を白黒させっぱなしなお歴々達。そしてなおも続いていく天狗騨マシンガントーク。


「例えばです、男が女に『あなたはどれくらいの年収があるの?』と訊いたらどう思われますか? 『女が男に』じゃありません、その逆で『』です。その男は非常識だとして女性から敬遠され避けられる事でしょう。まして男が女に対し一定以上の収入を結婚の条件としていたら最悪の男として扱われる。しかし、女が男に『あなたはどれくらいの年収があるの?』と訊くのは構わないという。条件付けも許される。これはおかしな事です。こうした価値観は男女同権ではない!」


「——しかもこうした時代にそぐわない価値観を持つ女性達が社会に悪影響を与えている現実も見逃せません。私は先ほど〝日本人の平均賃金は424万円〟と言いましたが、女性の中には結婚紹介会社で『年収600万以上』と条件を付ける者もいる。どうもこれでも『低く妥協している』と考えている節さえある。むろん同時にの方もあるわけです。こうした結婚条件が提示されたケースでは会社側も『そこは400万以上程度になりませんか? その条件だとご成婚の確率が低くなります』などと返しているとか」


「——問題は、そうした収入条件等をクリアした男性も、決して嬉しがってないって事です。男性の側もそういう女性と結婚したがらないという現実がある。『金目か』としか思えないからです。今や男性が結婚に幸せを感じるためには『10代のうちに結婚相手を見つけておかないと』とする価値観が市民権を得つつある。逆に言うと10代を過ぎてしまって相手が見つからなかったらご愁傷様、というわけです。しかし現実、10代で結婚相手を見つけられた男性がどれほどいるでしょうか?」


「——昨今、女性を憎悪するミソジニーの問題がしばしば取り上げられていますが、原因はこうした所にあるのではないか。『男女同権・男女平等』と言いながらその内実は女性の権利のための改善をあれもこれも認めよと、女性優遇にしかなってないからヘイトが積もっていくんです! 真に『男女同権・男女平等』の社会を実現させるためには、〝これまで女性にだけ認められてきた既得利権〟の放棄を伴う必要があります!」


「いいですか! こういう時こそイジメ撲滅の原理ですよ! 自分がやられて嫌なことは人にはやらない。自分が年収を訊かれて嫌だと思うなら相手にも年収を訊いてはいけない。これこそ男女対等、男女平等です! 結婚に当たって男性に年収を申告させる慣習は社会の因習として徹底的に叩き、できないようにするのが我々リベラルの勤め! どうしても女性の側が男性側の年収を知りたいのなら、自らの年収も相手につまびらかにする事! 年収公開についても両性の相互主義が必要です。こうすれば平等であり同権だ。我々リベラルはこうした価値観を社会に定着させなければならない!」


 ここで天狗騨がさっと手を振る!


「〝夫の年収・1500万も年収280万も同じ。専業主夫も認められる〟という皇嗣殿下の長女こそがこれからの男女同権社会の求める理想的女性像なのです!」


 天狗騨から〝反論の模範解答〟を示されたが、この場にいる誰しもがそんな解答は思いもよらない。


(俺はフェミニズムが怖くてここまではとても言えん……俺はぜんぜんリベラルではないのか……)とすっかり意気消沈の論説主幹。かといって反論できるのにそれをやらない『昔ながらの温和しい日本人』のサンプルとして自ら名乗りを上げるなど、そんなみっともないことはとてもできなかった。

 ASH新聞役員用会議室内にいる面々の誰も彼もが、己が天狗騨記者に遙かに及ばない格下である事を思い知らされていた。


 そんな論説主幹がせいぜい思いついたのは皮肉程度。


「天狗騨君、結局君はこの結婚に賛意を持っているのか反意を持っているのか?」

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