第百六十二話【天狗騨記者『カスハラ問題』を大いに語る!】

「なるほど、ドラマでは納得できないと。それももっともな事です。では現実準拠の話しにするとしましょう」天狗騨記者は論説主幹のツッコミに慌てもせず、またも件の手帳を繰り始めた。


(コイツはどこまで弾があるんだ?)と脅える論説主幹。


「2021年、現代日本人の根幹に関わる驚くべき調査結果が明らかになりました。『全日本交通運輸産業労働組合協議会』が組合員に2万人に調査した結果、実に46.6%もの人々がと回答したのです!」


 天狗騨は〝相手が理解しているだろう〟という前提で解説を省略してしまったが、『全日本交通運輸産業労働組合協議会』とは鉄道やタクシー等の交通及び物流業界の労働組合によってつくられている組織の事である。

 それともう一点、省略があった。

 唐突に『カスハラ』と言われた論説主幹はそれがなにか理解するのに十数秒の時間を要したのである。


「なんでも略すのは悪い癖だぞ。面倒くさがらずに『カスタマー・ハラスメント』と言い給え」なんとかソレを思い出し、論説主幹はかろうじて面目を保った。


「さすが新聞造りに携わるトップです」と天狗騨が誉めた。しかしその誉められ方からはわざとらしさしか感じない。これまでの天狗騨の行状からして(俺を試したのでないか?)と、そのようにしか思えない論説主幹だった。その天狗騨がさらに続ける。

「——いやむしろカタカナだから深刻感が伝わりにくいのかもしれません。事態の深刻さを伝えるためにはいっそのことカタカナ表記などやめて中国のように新たな漢熟語を創造した方が効果的です」


「中国?」


「例えば『人造美人』です。あれは確かにそうだがそこまで言うか、と強烈な印象を残しました。そこで私はカスタマー・ハラスメントを『強圧顧客』とキッチリ日本語で言い換える事を強く求めたいと思います。『カスハラ顧客』とするよりは人間への配慮があるというものですし」


「待て待て天狗騨君、君はその46.6%の人々が嫌がらせを受けた事をもって『日本人は温和しくなくなった』と言うつもりかね?」


「その通りです」


「しかしだね、それは客の立場を利用した行為で『人間が立場の弱い者に対しては攻撃的になる』、というのはたいへん残念な事だが普遍的であると言える。むろん〝ハイそうですか〟と簡単に認めるわけにはいかないがね。ただ、聞けば君は『イジメ問題』に熱心に取り組んでいるとか。なら解るだろう。昔から存在してきた問題を〝今時の問題〟という事にして『日本人は変わった』という方向に論理を展開させるというのは、さてどんなものかな」、そう論説主幹が切り返した。


「問題は数です」と天狗騨は即座にまずこう口にした。「——調査が行われた年を基準としての〝この2年間〟、つまり2019年半ばから2021年半ばまでの間とそれ以前とを比較して『被害が増えた』との回答が半数を超えています」


「……」

 これを受け論説主幹は長考モードに入ってしまった。短期間の間に〝被害が増えた〟のなら『日本人が変わってしまった』という根拠になり得るからである。将棋や囲碁ではないのでこうなると天狗騨が次々バシバシと手を打ってくる。


「—— 一口に〝被害〟と言っても想像がつきにくい。そこで〝被害を受けた者がどんな被害を受けたのか〟という具体的な中身をご紹介しましょう。『暴言を受けた事がある』が49.7%でほぼ半分。『何回も同じ内容を繰り返すクレーム』が14.8%。『威嚇・脅迫』が13.1%。『権威的態度で迫られた』、いわゆる説教ですがこれが9.4%。『長時間拘束』が3.6%。『暴力行為』が2.8%。『セクハラ行為』が1.1%、といった具合です」


「——さらに個別の回答では『土下座の強要』『アルコールスプレーをかけられた』など、人権問題を通り越して犯罪のレベルにまで至っていると言えるケースまでありました。もちろん今や社会の定番問題となってしまった『インターネット上での誹謗中傷』も当然の如く存在します。これは鉄道系の組合員の証言ですが、クレーム対応中に至近距離で顔写真を撮られたとの事。SNSでの拡散を目的とした行為であるのはほぼほぼ間違いが無いでしょう」


「——このアンケート調査を実施した『全日本交通運輸産業労働組合協議会』の議長は言いました。『格差社会やコロナ禍による閉塞感を背景に思いやりや助け合いが失われつつあるような気がしてならない』と。『日本人が変わってしまった』という感覚はなにもこの天狗騨一人の感覚じゃあありませんよ!」


「——またさらに指摘しておかなければならないのは、このアンケートは交通系のエッセンシャルワーカーを対象とした調査に過ぎず、エッセンシャルワーカーが『社会機能を支える人々』という定義である以上、これ以上の数になるのは確実だという事です。ただ、社会機能云々を言い出すと『我々もエッセンシャルワーカーだ!』と1億総エッセンシャルワーカーになりかねません。『オンラインで仕事が済んでしまう労働者はエッセンシャルワーカーではない! 画面上の人間ではなく常時生身の人間と対面しないと仕事にならない労働をしている人々がエッセンシャルワーカーなのである!』と社会に徹底する必要があり、それこそが我々報道の役割というものです!」


 会社の幹部のお歴々に向かって極めて偉そうな態度をとる天狗騨記者であった。だが、ここで天狗騨は奇妙な事を切り出してきた。


「——さて、今わたしが言ったことは〝説教〟です。なにせ『こうあるべきだろう!』と他人に注文をつけたのですから」


「う、うむ……」としか声を出せない論説主幹。しかし言われてみれば確かに説教である。普通上司に向かって説教などはしないものだが——


「アンケートの結果、強圧顧客(カスハラ顧客)の8割以上が男性。世代的には50代とみられるケースが29.2%とありますが、この手の人に『あなた何歳ですか?』とは聞かないでしょうから、中年男性が一番多いと、そういう事なんでしょう」


 論説主幹はこの意味を理解しかね怪訝そうな顔をしている。天狗騨は気にする様子も無く話しを続けていく——


「——中年男性が思いがちな事ってのはあるでしょう。具体的にはですね——」とまで言って天狗騨が微妙な間をとる。「——中年男性なら『〝権威的態度で迫られた〟がなぜ迷惑行為に分類されるのだ! 不手際があったんだから説教されるくらい当然だ!』くらいは思うんじゃないですかね」


 天狗騨記者自身も若い方ではあるが中年男性である。これには妙な説得力があった。


「『日本人が温和しくなくなった』はこういう所にも現れています」天狗騨はキッパリと言った。しかし言われた方は当惑するしかない。


「それは良い意味で言っているのか? 悪い意味で言っているのか?」論説主幹は説明を求めるように訊いた。〝我が意を得たり〟とばかりにニカッと髭もじゃの口を開いて笑う天狗騨記者。


「私は『日本人が温和しくなくなった』には両面の意味があると考えます。有り体に言って私は『温和しいこと』が必ずしも良いことだと考えていません。それはつまり〝無抵抗〟を意味するからです。『温和しい人間には何をやってもいい』がイジメ問題の本質です。ならば人間は温和しくならない方が良い!」


「——昔なら〝お客様に対する不満〟などこうしてアンケートにして公にするなど論外も論外なのでしょう。お客様は神様でお客様の前では温和しくしているのがサービス業の鏡だったのでしょうから。しかし今の時代はもう違う。社会は変わったんです! 自分達が社会を変えているのに変えた事に気づかないのが強圧顧客(カスハラ顧客)達です!」


 ここでようやく天狗騨記者がぱたりと手帳を閉じた。


「興味深い話しがあります。こうした強圧顧客(カスハラ顧客)が『客にはものを言えないだろう』とタカをくくって客としての立ち位置からそこで働く従業員相手に強圧ぶりを発揮していると、奥から支配人が出てきた。その支配人はのです。来るなりこう男に言ったそうです。『お前は客ではない。ウチの従業員に謝れ!』と。むろん警察への通報も一切躊躇無し。その男、最初の勢いはどこへやら、逆に謝らせられたというオチになってしまいました。日本人として実に情けない事です」


「——こうした教訓を一般の日本人も得ているのではないでしょうか。イジメ問題解決のためには『相手を許さない!』という毅然とした態度が必要だ。仲良く無理矢理握手する必要は無いんです! このアンケート結果の公開もそうした文脈の上で読み取るべきだ。これからは文句を言うにはよほど理路整然と論理を構築し隙の無い態度で言わないと返り討ちに遭うという時代です。本物の言論の力が試される! ここは我々ASH新聞もよほど気をつけないといけない。相手はもはやこれまでの日本人とは違うのです!」


 ASH新聞役員用会議室内にいる面々が非常に嫌な気分に陥っていたのは想像に難くない。

 カスタマーハラスメントの被害者が声をあげ始めたという事実は古き良き日本の価値観(?)『お客様は神様です』が崩壊していることを示していた。



「さらに、『既に日本人は温和しくない』を示す決定的な根拠があります!」

 死に体にとどめを刺すように天狗騨記者が〝切り札〟を切ってきた。

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