第百六十一話【明智光秀と松永久秀が市民権を獲得しつつある現代?】

「天狗騨君、君は『日本人は温和しくなくなった』などと言うが、犯罪やテロを持ち出さないと語れないのかね? 社会全体が変わったと言うつもりなら犯罪者以外の大多数の一般の日本人について何らかの指摘ができなければ説得力としては今ひとつだな」


 論説主幹から贈られたこの挑戦状に天狗騨記者が答えた。

「『犯罪は社会を映す鏡である』。誰が言ったか、社会部では古くから伝わる格言なんですが」


「私はそこからは一旦離れるべきだと言っているのだが」と論説主幹。


「今のは気分の問題です。私が犯罪やテロを引き合いに出したことは決して的外れなどではないという確信を示したまでです。それは済んだので今からあなたのリクエストに応えるとしましょうか」

 なぜだか余裕を失わない天狗騨。


(そうそう簡単に納得すると思うな)と内心で身構える論説主幹。


「明智光秀です」


「ハ?」一瞬何を言われたのか解らなくなる論説主幹。


「お世話になった上司を殺害した明智光秀です」天狗騨は繰り返した。


 〝上司を殺害〟と聞いて背筋がゾッとなる論説主幹。当然天狗騨は織田信長を殺した『本能寺の変』の事を言っているのだと誰でも解る。

「そそ、そんなものは誰でも知ってる!」


「長らく〝謀反人〟と言われ蔑まれてきたこの人物が2020年、大河ドラマの主人公に抜擢されています」


「それが『日本人が温和しくなくなった』という君の説の根拠かね? それはあまりに牽強付会というものだ」


「しかし大河ドラマの主役としては明智光秀はかつての『日本株式会社・終身雇用制の時代の日本』ならばあり得ない選択肢でしょう?」


「そ、それは単にネタ切れだろう」


「確かにネタ切れの側面はあるでしょう。現に戦国大名を支えた家臣を主役とした作品は多々ありますからね。ざっと並べると『前田利家』『山本勘助』『直江兼続』『山内一豊』『黒田官兵衛』といったところが家臣でありながら主役に抜擢されました。が、これらの人々は全員が忠臣かといえば微妙な人もいるけれども、やってもせいぜい主家を乗り換えた程度で、お世話になった主君が生きているうちから敵方に内通し裏切ったりだとか寝首をかこうとしたりだとか、そこまではやってはいません」


「だから、めぼしいところはやっちゃったから残った有名どころは『明智光秀』くらいしかなかったんだろ」


「しかし問題はどういう〝描かれ方〟をしたか、です」


「〝描かれ方〟だと?」


「明智光秀が死ぬところを見た者はいません」


「当たり前だ。切腹や打ち首じゃないんだぞ!」


「私は大河ドラマの話しをしているんです。通説では明智光秀は山崎の戦いで敗北し居城の坂本城へと逃げ帰ろうとしたその途上、小栗栖おぐるすという場所で落ち武者狩りに遭い竹槍で突かれ命を落としたと云われています。そのシーンが2020年の大河ドラマには無かった。つまり明智光秀が死ぬところを誰も見ていないわけです」


「曲がりなりにもドラマの主役にしたんだから、あんまり格好悪くはできなかっただけじゃないのか」


「しかし明智光秀の最期は実に寓話的ですよ。世話になった主君を裏切り殺害した者が日を置かずに落ち武者狩りに遭い竹槍で命を落とすというのは『謀反人には無残な最期が待っている』という、これ以上に無い寓話です。しかしこの寓話がこの大河ドラマで描かれる事は無かった。それどころか明智光秀は生き延びたようにも見えた」


「生き延びるわけ無いだろう」


「俗説の方はご存じありませんか? 徳川政権の中枢に仕えた南光坊天海という僧が実は明智光秀だったという俗説があります。あの大河ドラマはこの俗説ルートを辿るかのようにも見えました」


「いったいこんな話しになんの意味がある?」


「こうした大河ドラマの展開に非難囂々、抗議が山のように来たという話しを聞きません。明智光秀が受け入れられている日本社会、なにかこれまでとは違ってきているとは思いませんか?」


 こういう訊かれ方をすると『同じだ!』とは言いにくい。


「もう一つこの大河ドラマには気になる点が——」とさらに天狗騨が切り出す。


「この話しをいつまで続けるつもりかね?」


「テロや犯罪以外の話しをしてみろと言われたので今しばらく続けるつもりですが」


 いとも容易く論説主幹は天狗騨に切り返された。

「で、何が気になる?」と半ば諦めつき合う。


「『松永久秀』の〝描かれ方〟です」


「まつながひさひで?」とおうむ返しに訊いてしまう論説主幹。初めて聞く名ではなく、どこかで聞いた事はあった名だった。


「松永久秀はこれまでの通説では、これ以上無いくらいの〝戦国の極悪人〟で通ってきた武将です。近頃はそれほど極悪なことはしていなかった、少なくとも三好長慶という主君の下では忠実な部下だった、とされています。また都である京を手中に収めていた三好家において京での政務を担当し、一方では大和の国も軍事力で切り取り自身が大名化するなど政務も軍事も高いレベルでこなせる有能な武将でもありました。そんな人物ではありますが主君亡き後は落ち目の三好家を見限り入京早々の織田家につくなど戦国武将としての抜け目の無さもある」


「——さて、この松永久秀は織田信長を裏切り反旗を翻しそして死んでいきます。通説では上杉謙信が上洛の兵を起こした際、これに呼応し松永久秀も兵を挙げた、ということになっています。正に隙あらば寝首をかこうといういかにもな戦国の梟雄きょうゆうですが、問題はこの大河ドラマにおける松永久秀の裏切りの〝描かれ方〟です」


「よもや『松永が正しかった』とか、そういう事か?」論説主幹が訊いた。


「『織田信長の理不尽な命令になど従えるか!』です。だから裏切るのだと」


「なんだね? その〝理不尽な命令〟というのは?」


「先ほど私は『松永久秀が軍事力で大和の国を切り取った』と言いましたが、逆から見ると当然切り取られた者もいるわけです。それが筒井氏でした。織田信長はこの筒井氏の味方をして松永久秀が軍事力を行使し実力で領土を拡張する行為を妨害し始めたわけです。松永久秀から見れば『信長は実力で領土を拡張しているのにそれを棚に上げ俺にはそう来るか』となる。これまでだったら『極悪人だから』で終わっていたところ『裏切る側にも道理がある』と、こんな調子で描いていました。これは新しい展開です」


 そのことばにASH新聞役員用会議室内が張り詰めた。天狗騨記者が口にした『』ということばはそれほどショッキングなことばだった。

 上に立つ者、持っている者にとってこれほど恐ろしいことばは無い。どんな目に遭わせても従順に我慢してくれる者達ばかりなら身は安全なのだが——我慢しないとなると……


「——私が気がかりなのは、企業や社会が明智光秀や松永久秀のような人材を持てはやし欲しているという事です」天狗騨が言った。


「欲しているわけないだろう! そんな危険人物を!」論説主幹が悲鳴のように声を挙げ反論した。


「欲していますよ。一から育てる必要も無く入社するなり大活躍してくれる人材だけを欲しがっているじゃないですか、明智光秀も松永久秀も間違いなく即戦力でしたよ」


 論説主幹は心の中で頭を抱えた。

(そう言や、『豊臣恩顧の大名』ってのは聞いても『織田恩顧の大名』なんて聞いたことがなかった——)


「ドラマはしょせんドラマでドラマの支持率など解らないだろう」

 論説主幹は〝しょせん公共放送の作り話〟でこの場の転換を図ろうとしていた。

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