第百五十八話【支持されないテロ/支持されるテロ1 起こされる側と起こす側】

(無差別テロが単純な問題?)

 論説主幹はなにがなにやらさっぱりだったが、天狗騨記者がまたぞろろくでもない事を言おうとしていると、それだけは直感的に察した。


「無差別テロの根は深い。そうそう簡単に単純化できるような問題ではないぞ」論説主幹はそう説教するように天狗騨に言い渡した。いや、事実説教だった。


「しかしそれは『テロを起こした側』の話しでしょう。私が〝単純な問題〟だと言っているのは『テロを』の話しですよ」


(???)目を白黒させる論説主幹。まったく何も解っていないと察した天狗騨記者は次にこう訊いた。

「なぜ『テロとの戦い』で結束できるのか? そこの所を考えた事がありますか?」


「それはテロが卑劣な攻撃だからだろうが」論説主幹はほとんど反射的にそう口にしていた。


「あなたなぜか日本人的ですね」取りようによっては実に不穏な事を口にした天狗騨。言われた方も当然それくらいは察する。

「どういう意味かねそれは?」さすがに温厚な論説主幹の声にも怒気が籠もる。


「失礼。『卑劣』の反対は『正々堂々』です。それを良しとするのがいかにも日本人的だなと、そういう事ですよ。しかしですね、正々堂々と攻撃してこようと攻撃は攻撃。結局は攻撃なのですから攻撃された側は怒るとは思いませんか?」


「……」

 返すことばが無くなる論説主幹。確かに攻撃されればどう攻撃されようとされた側が怒るのは当たり前だった。ここで天狗騨が自ら発した問いに自ら回答を始めた。


「なぜ『テロとの戦い』で結束できるのか? それは『無差別』だからです。男だろうと女だろうと富裕していようと貧しかろうと、誰もが平等に命の危険にさらされたと、人々は『テロとの戦い』で結束できる」


「〝そう思えるケースでは〟ってのはどういう意味かな? それじゃあまるで『気のせいだ』と言わんばかりだ」さすがにそこは文章のプロ、微妙な言い換えにはすぐ気づく。


「『テロを起こされた側』の視点で考えると、という意味です。個人的恨みを買ってもいないのに或る日突然赤の他人によって命を奪われるとなれば、それは当然〝無差別〟だとしか思えない。『テロは許さない!』という答えが簡単に出るから〝単純な問題〟と言ったのです」


「なんで君は『テロを起こした側』に立っている?」


「あなたこそ『無差別テロの根は深い』とか『簡単に単純化できるような問題ではない』とついさっき言ったばかりではないですか。それは〝テロを起こした側の事情〟を考えて言っていますよね?」


「……」


「だから考えるんですよ、複眼的に」


 『複眼的に』とはASH新聞的社説の常套句で、専らASH新聞が認めたくない価値観が世の主流を占めつつある刻に使う語句である。説教調に心持ち上から目線で使う。この『複眼的に』を持ち出されるとASH新聞の人間としては強引に押し切りにくくなる。よって天狗騨が続きを喋り出している。


「——テロには〝標的〟というものが必要です。『ありとあらゆる存在が攻撃対象』などという大ざっぱなテロがあるでしょうか? 『テロを起こした側』の視点に立てば、


 一瞬あっけにとられる論説主幹。


「その言い草だと2001年9月11日の同時多発テロも無差別テロではないという事になるが——」


「その通りです」あっさりと天狗騨が断言した。


「本気で言っているのか?……」


「911のテロについて語るならそれはアメリカ合衆国だけが狙われたテロです」


だろう」さしもの論説主幹も声が高くなる。


「『アメリカ』と名指ししておいて〝無差別〟はないでしょう。それともイスラム教の国も狙われたと思いますか?」


「……」


「そういうことばが出てきてしまうという事は、いつの間にかまた『テロを起こされた側』の視点に立ってしまっているという事です」


「普通そうだろう……?」


「そこを敢えて複眼的に考えているのです。ではなぜ911のテロがアメリカ人以外にも『無差別テロ』と思われるようになったかと言えば、ワールドトレードセンターにハイジャックされた航空機が突っ込んだからです。あのビルでは多国籍な人々が働いていて現に日本人の犠牲者も出ました。また同時にありとあらゆる階級の人間がそこにいて共に犠牲となってしまった。アメリカ政府もアメリカメディアも特にそこを強調した」


「それは〝上手いこと宣伝した〟という意味になってないか?」


「そうです。しかしこれについては嘘は無いのでたとえキャンペーン報道でも問題はありません。ただ、ひとつ確実に言えることはハイジャックされた航空機が国防総省にしか突っ込んでいなかったらこうしたキャンペーン報道は成り立たず、アメリカ人以外からは単純に『アメリカを狙ったテロ』と認識されていた事でしょう」


「アメリカ人が聞いたら怒るぞ……」


「怒るも何も、私など周回遅れもいいところですよ。911同時多発テロが起こった当時、これを一定数のイスラム教徒達が『アメリカを狙ったテロ』だと即座に認識し快哉を叫んでいたとの事。またここ日本でも思想マンガの大家KB氏が『その手があったかーっ』と作中で表現していました。総スカンを食ってしまったようですが」


「当たり前だ。良識を疑うレベルだろう」


「そうでしょうか? テロとは本来『特定層を狙う』ものです。自分がその〝特定層〟に含まれないのなら支持する事に自己矛盾はありません。その〝特定層〟の名前次第では


 一斉にASH新聞役員用会議室が騒然となった。「テロを肯定とは!」「社会の敵だ!」「被害者に謝れ!」「アメリカが許さない!」等々。ここまで皆に自制を促してきた論説主幹もさすがに動かなくなっていた。

 しかし天狗騨、微塵も動じない。

「ひとつ解りやすい実例があります」と、まず短く口にした。


「天狗騨君、ここで下手なことを言えばいよいよ新聞記者失格になるぞ」論説主幹がたしなめた。しかし天狗騨記者はまったく臆する事なく言ってのけた。


「安重根による伊藤博文に対するテロは韓国内で広く支持されています」


 瞬間的にシンとASH新聞役員用会議室が静まり返った。


 どれくらいの〝間〟が開いたろうか、論説主幹の口が動き始める。

「いや、天狗騨君、あれと同時多発テロは違うだろう。安重根は伊藤博文という特定の人物を狙った。無差別性はどこにも見当たらない」論説主幹が反論した。


「それはまたしても『テロを起こされた側』の視点ですね、癖ですかそれは。私は今『テロを起こした側』の視点でものを考えているんですよ」、とまず天狗騨は口にした。

「——別に安重根には伊藤博文に金をだまし取られたとか、恋人を取られたとか、その手の個人的恨みがあったわけではありません」


「そんなものは当たり前だ」


「そう。そこです! 安重根が標的としたのは人間個人の伊藤博文ではない。伊藤博文が背負っていたもの、つまり〝日本政府〟です。伊藤博文が日本政府の高位高官ではなくただの人だったならテロに遭って殺されてはいないわけです」


「それも当たり前じゃないか?」


 天狗騨記者の髭もじゃの口がニカッと笑う。それを見て背筋がゾッとする論説主幹。


「いやっ、それは違うぞ天狗騨君っ!」


 さすがにこれには早急に反論しなければと焦る論説主幹。かつて在職日数歴代第一位の官房長官が在職当時安重根について、『我が国の立場から見ればテロリスト』との見解を表明した事があるが、ASH新聞はその見解を共有しているとは言い難い。

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