第百五十五話【社会部長、困惑する】

(悪くはない)社会部長は思った。

 むろん天狗騨記者とは裏で通じている。査問する立場に座りながら今一切その気配を消している。


 『ASH新聞の新たな方向性を社の幹部連中相手にぶってもらいたい』社会部長はそう銀座の喫茶店で天狗騨記者に注文をつけた。



(——〝構造改革〟だの〝改革〟だのに今まで賛意を示してきたのがASH新聞だ。振り返ってそれは〝ことごとく〟だった。タクシー業界についての規制緩和でもまた〝規制緩和礼賛〟の例外に漏れなかった。そして改革の結果運転手の月収が10万円にも見たぬ額となった。これでは生活が成り立たぬと再規制を行おうという流れになったその時これに異議を唱えたのがASH新聞社説だった。〝消費者の利便性が損なわれる〟などと持ち出して)


(——〝改革〟といえば〝郵政民営化〟だ。これもまた然り。『民営化すれば良くなる』という見立ては外れ、利益第一主義という〝民〟の最も悪い部分が出てきてしまった。これは〝消費者〟に対する完全な裏切り行為だったがどういうわけかこのASH新聞社説は〝この改革〟を否定しない。改革は必ず〝消費者のためになる〟という虚構だけは守りたいのだ)


(——これに対し天狗騨は真っ向から〝これまでの改革〟を否定しだした。『誰のための改革なのか』と問うてきた。これまでのASH新聞の社論からすれば明らかに〝まったく別の道〟だ。新聞は必然的に権力と対峙する。新聞が大衆の側に立たなかったら我々は戦えない。社会がどんどん貧しくなっている今天狗騨はオーソドックスな価値観をぶつけてきた。これが〝別の道〟となってしまうところに我が社の問題がある————天狗騨はおかしいようで実はトラディショナルだ)


(——けどな、天狗騨よ、相変わらず気が短すぎるし、普通そう来るか?)



 社会部長の持つ価値観ははいわゆる〝踊る大捜査線的価値観〟だった。『その組織を変えたければその中で偉くなれ!』、という。だから天狗騨記者にこう説教した。


『お前はいろいろ社内で言いたい放題言ってやりたい放題やってここまで来たわけだが、何か成果として結実したことが一度でもあったか? 厳しいことを言うが現状記名記事の一本も書けてないだろう』、

『発言に影響力を持たせるには会社の中である程度偉くなってもらわなくては話しにならん』と。

 しかし(——どこまで天狗騨に通じたのか)と思うほかない。



 社会部長は日常から天狗騨記者と同じフロアにいるため、天狗騨が声高く何事かわめいていると嫌でもそのことばが耳に入ってくる。


「イジメの標的は常に温和しい者だ!」

「『人を殺してみたかった』と曰う犯罪者の標的は常に自分より弱い者達ばかりだ!」

「『日本軍慰安婦問題』は追求するが『米軍慰安婦問題』を追求しないその理由は結局アメリカ人が強くて怖いからだろう!」


 この普段からの天狗騨の言動から導き出される〝答え〟は必然こうなるしかない。

(日本人が温和しくなくなり怖くなれば、これまで通りの〝安心しきった攻撃〟ができなくなる)社会部長は思った。


 もし温和しくないとするならば日本人にこれまで通りの無茶な要求をし続けた場合どんな不測の事態が起こるか分からない。おいそれと軽率なキャンペーン報道はできなくなる。

 それはASH新聞にとって〝これまでの報道姿勢の転換を余儀なくされる〟という事を意味した。紙面がガラリと変わりそれこそ別の新聞のようになってしまう。


 社会部長も論説主幹と同様、既に天狗騨の意図に気づいている。



(——組織が自浄能力を発揮して自発的に良い方向に変わっていくなど、天狗騨、お前はハナから信じていないんだな……)社会部長は内心で嘆息する。天狗騨は人を性悪説で見る点で徹底していた。もちろんここでいう組織とは『ASH新聞』であるのは言うまでもない。


(——そうして始まってしまったのが『日本人は温和しいか温和しくないか論争』か。なんとも殺伐とした救いようのない論争だ……)



(————しかしもう〝手段〟なんてどうでもいいのかもしれない。紙面が変わるなら手段を選ばずという天狗騨のやり方の方があるいは結果が早く出るのかもな)


(——とはいえ『何をぶつかは全て任せる』とは言ったが、論説主幹の反論もなかなかだぞ。天狗騨よ、いったいどうやって『現代日本人は既に温和しくない』と証明する?)



 天狗騨記者は社会部長との約束の通り〝まったく別の道〟を示した。そしてそのタイミングで『後は私が収拾する』と社会部長は言っていた。だがこの今の状況は収拾できるタイミングとは程遠い。

 社会部長は困惑し渋面を造りながら成り行きを見守るほかなくなっていた。

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