第百五十四話【論説主幹、遂に立ち上がる】

 事もあろうに天狗騨記者を締め上げるための査問会の場で、査問対象の天狗騨に逆ネジを食らわせられているASH新聞の幹部のお歴々。誰も彼もがメンツに関わってくる事は解りきっているが打開策となると八方ふさがり。通常の人間なら会社の上下関係を前面に押し出し圧迫面接すれば容易に目的を達せられるが、なにしろ相手は通常の人間ではない。


 ただハッキリと言える事は『黙ってしまったら負け』という事である。それについては、やはり誰も彼もが暗黙のうちに了解していた。そんな中————


 一人の男が動き出した。


「天狗騨君、社長の言われたとおり、やはり君の言う事は突飛な物言いだ」

 実に頼りなさそうな声がASH新聞役員用会議室内にか細く響いた。その男こそ『論説主幹』であった。さしもの天狗騨も相手が『論説主幹』だと気づいている。


(社長とやらの言った〝突飛〟という単語。それを再度用いて仕掛けてくるとは)

 天狗騨が思った如く正にその態度は模範的サラリーマン。会社員的忠誠心の発揮と言えた。

 一方天狗騨記者ときたら、社長を〝とやら〟呼ばわり。(ああ、あれが社長だったのか)としか思っていない。天狗騨記者は客観的には会社員であるが、『ジャーナリストは会社員ではない』と思い込んでいる。


 それよりもやおら席を立ち上がった論説主幹がこれまで発言した事があったかどうか、天狗騨は記憶をたぐり寄せ始めた。

(無いんじゃないか)

 どさくさ紛れのヤジすら発してないような気がしていた。


(この気の弱そうな、御輿で担ぎ上げられ風よけにさせられているような男がいったいなにを言うつもりだろう? 同じ質問を延々繰り返す〝無限ループ戦術〟か?)と思案の真っ最中の天狗騨。順番としては今は天狗騨が何かを言わねばならない番だ。


「私は〝突飛〟とは考えません。社会が貧しくなれば人心は荒む。温和しいまま変わらずにいてくれると思う事が間違っています」天狗騨はそう応じた。


 なぜだか論説主幹が肯いた。

「確かに君の言う理屈はその通りだ。〝改革〟の結果、平成元年時の非正規雇用者の割合は20%程度だったのに平成の終わり頃には40パーセントにもなっている。日本は実に雇用されている者の5人に2人が非正規雇用という社会になってしまった。その実数はおよそ1,860万人にも及ぶ。これで世相がこれまで通りと思える人間こそどうかしている」


(どういう風の吹き回しだ?)天狗騨はいぶかしく思うしかない。今まで天狗騨と対決してきた人間達は全て敵対的であり、全否定でかかってきたからである。そんな天狗騨の内心を知ってか知らずか、論説主幹は奇妙な調子のまま続けていく——


「——非正規雇用には問題がふたつある。ひとつは生活が不安定になるということ。君が指摘した通りリーマンショックが象徴的だな。企業は人件費をできる限り抑える事ができ経営が苦しいときは利益を確保する目的で容易く首を切れる。メリットは企業側にのみあって雇用される者の側には無い」


「——もうひとつは収入が低いこと。現代日本では年収300万円以下の給与所得者の割合も同じく40パーセントになってしまった。むろん年収300万円以下というのは300万円に満たないという意味で、社会保険料等支払い義務のある支出を差し引くと、可処分所得、即ち手取りは240万前後にまでなってしまう」


「そうです! さらにそこに補足するなら今や貧富の格差について語る場合、日本国内で働く人間同士を比べていても客観的にものは見えません! 日本と海外とを比べると日本の労働者は明らかに貧しくなっている! 海外では労働者の賃金が上がっているのに日本は上がらない!」天狗騨は憤りも露わに激しく同意していた。


「いやいや、ちょっと——」


「——経済協力開発機構(OECD)が主要国の平均賃金、つまり年収の調査をしていますが例えば2020年の調査に拠るとなんと日本は35ヶ国中22位! G7なのに22位なんですよ! 1ドルを110円とした場合の日本人の平均賃金は424万円。1位のアメリカ人の平均賃金は763万円です! しかし超格差社会のアメリカの平均賃金がどこまで一般大衆の平均な値なのかは解りません。比較対象はお隣の韓国が適切でしょう。なんと日本の労働者の平均賃金は韓国よりも38万円低い! 韓国の労働者より貧しいのが現代日本の労働者です。これが労働者派遣法の規制緩和のなれの果て! これは本紙に(ASH新聞)に載った記事です! ならば皆さん解っている筈だ。豊かな韓国が貧しい日本から再びカネをふんだくろうとしていると、今やそういう構図になっているんですよ!」と炸裂する天狗騨節!


「ちょっと天狗騨君、私の話しがまだ途中だから」ようやく論説主幹が天狗騨のマシンガントークに歯止めをかけた。


「私は〝改革〟がろくでもなかった、との意見の一致を見たかと思いましたが」


「そうじゃなくてだな——」


「過去の〝改革〟支持が間違っていたと、そう言いたいわけじゃないんですか?」


「そうではなくて」


「違うんですか⁉」


「いや、改革は必ずしも社会をより良い方向へは導かなかったというのは私も個人的意見としては同意だ。様々な数字がそれを証明している」


「個人的意見のままですか? 本紙の社論を含め、〝改革〟の総括は必要ではありませんか?」


「しかしだからといって『もう日本人は温和しくない』という結論へ持っていくその根拠がだね、『ヘイトスピーチ解消法』の存在と『走行中の電車の中で立て続けに起こった犯罪』だけというのはどうかと言っているんだよ」


(『しかしだからといって』をリアルに使ってきたか!)天狗騨は自身の身体にあたかも電流が奔り抜けたように感じた。


「——ヘイトスピーチをする者は少数だし、その手の犯罪だって毎日毎日一日のうちに何件も起こっているわけじゃない。ともに極一部の者のすることだ。昭和の頃だって〝通り魔事件〟は起こっていた。君の言う僅かな事例をもって『国民が突然別の国民性を持つに至った』という事にするのは、いささか乱暴というものじゃないのかね?」


(〝改革と格差〟について論説主幹が口にしていたあれこれは壮大な前フリだったか)


 解説しよう。『しかしだからといって』はASH新聞社説の常用慣用句と化している表現である。或る事案について、感情的には認めたくはないがそれは事実なので渋々認めるしかない場合、最低限のラインで認めたその上で別の注文をつけるという、〝一部を捨てても肝心な所だけは守る〟という言論戦術である。


(正直軽く見ていたが論説主幹をやるだけのことはあるのか?)さしもの天狗騨も身構えるほかなくなっていた。査問の場での敗北は〝左遷〟の大義を相手に与える事になる。



 『日本人は温和しい』。

 どうやら論説主幹はこの価値観だけは絶対死守したいらしかった。

 温和しければ日本人にこれまで通りの無茶な要求をし続けていてもこれまで通り何事も起こらない。

 だが一方の天狗騨は『現代日本人は既に温和しくない』と主張していて、価値観はまるで正反対。

 もし温和しくないとするならば日本人にこれまで通りの無茶な要求をし続けた場合どんな不測の事態が起こるか分からない。おいそれと軽率なキャンペーン報道はできなくなる。

 それはASH新聞にとって〝これまでの報道姿勢の転換を余儀なくされる〟という事を意味した。紙面がガラリと変わりそれこそ別の新聞のようになってしまう。

 ASH新聞の幹部である論説主幹はなんとしてもそれだけは避けたかったのである。彼だけではない。それはASH新聞全体の総意でもあった。


 しかし現況、必ずしもASH新聞側が追い込まれているとは言えない。

 『現代日本人は既に温和しくない』。

 天狗騨自身が持ちだしたこの考え方は天狗騨のウィークポイントでもある。なぜならこれを証明する〝直接証拠〟など無いからである。

 既にこの弱点について論説主幹は気づいているようだった。

 天狗騨としては検察が用いる戦術の如く、事実をいくつもいくつも丹念に積み上げ〝状況証拠〟で証明する他ない。

 しかし、もしその証明が成ればASH新聞の紙面はガラリと変わらざるを得ない。これこそが社会部長が天狗騨に求めた〝依頼〟であった。

 だがそれを果たさんとすると天狗騨記者は必然〝説明責任を果たす立場〟へと立たされる事になる。即ち〝攻守逆転〟。この場合攻撃側である論説主幹は『君の言うことには説得力が無い』と言い続けていればいいだけなのである。


 果たして天狗騨記者の対応やいかに——

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