第百五十一話【世界は個人補償請求合戦となるだろう】

 天狗騨記者が語り出す。

「日本政府の外交方針を一語で言い表すなら『事なかれ主義』。それは外国との摩擦や対立を極力避ける外交です。そんな日本政府が韓国に相対した時に限り『条約を守れ』と言う。もう結論はひとつしかありません。そのように言うことが『事なかれ主義』になる、ということです」


「はあ?」論説委員の男はまるで合点がいっていないようだった。それはこの役員用会議室の中にいるほとんど全員も同じらしく、それぞれ勝手に「意味が解らない」「韓国と対立してるじゃないか!」「どういうことだ?」「まったく説明になってない!」等々言いたい放題に口走り始めた。


 天狗騨は床面と平行に両手を広げ、広げた手の平を上下させる。〝静粛に〟というジェスチャーである。

 その態度にお歴々達は不快感を味わわされたが、何事かを突っ込もうにも材料というものが要る。会場内が静まったところで天狗騨が続きを始めた。


「まず前提として押さえておかねばならないのは、一見『日韓間の問題』のように見えても、その問題への対応が他の外国との関係に影響を及ぼす、という現実です。現にあなた方は慰安婦問題で日本を責め立てていたら米軍慰安婦問題で同じ対応をしないのは何故か? という難題を突きつけられている」


 役員用会議室のお歴々達は(まだ慰安婦か)と忌々しく思いながらも図星故に沈黙せざるを得ない。


「——少なくとも日本政府はこの点については学習していると言える。さて、ここで皆さんにひとつ訊いてみましょう。昨今、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下について、被害者やその遺族達が補償を求め裁判に訴えています。問題は『誰に補償を求めているか?』という点ですが、どこだか分かりますね? そう。日本政府を相手取り裁判を起こしている」


「率直にどう思います?」天狗騨は今現在の論敵、論説委員の男の方へとさっと手を振った。


「この話しは関連があるのか?」どう答えればいいか分からない論説委員の男は質問に質問で返した。しかし天狗騨、そんな答えでも特段責め立てもしない。


「私には違和感がありますよ、率直に言って」天狗騨は断言した。そしてこう続けた。「なぜ殺した側に請求しないのか? とね。なにせ完全な無差別殺戮ですからね」


 論説委員の男は顔をしかめた。この場に集ったお歴々達も似たような反応ばかり。


「問題はなぜ補償の請求先がアメリカではなく日本なのか、という点です。ここに合理性はあるのかどうか」


 天狗騨はいちいちジェスチャーで話しを振ってくるが論説委員の男は答えない。というのも彼には既に天狗騨の言わんとしている事が既に理解できてしまったからだった。


「要するにサンフランシスコ講和条約です。つまり種々の問題は『条約で解決済み』というやつです。同講和条約を結び『種々の問題は解決した』としてしまったのは日本政府ですから、当然補償の請求先はアメリカにするわけにはいかず、日本政府になるわけです」


「——皆さんは日本の首相や政治家が靖國神社を参拝することはサンフランシスコ講和条約に反するも同じと、七段使ってそういう価値観を世間に吹聴していますが、サンフランシスコ講和条約が破られた事になって困るのはむしろアメリカ合衆国です。この条約が破られ無効になったとすると日本に対する無差別攻撃についての補償を阻む壁が無くなってしまいますから」


 ここで突然天狗騨は挑発するように論説委員の男を人差し指で指さした。

「ところがです、韓国人はあらゆるケースで斜め上に跳びます。あなたは先ほど、韓国の政治家から『1965年の協定は有効という立場を取りつつも個人に対する補償は可能だ』という提案が示された、と言って評価するような口ぶりでしたが、これは全く恐るべき提案と言うほかない。この論理を日米関係に当てはめると『サンフランシスコ講和条約がそのまま有効でもアメリカ合衆国に対し日本人の個人が個人補償を求めることが可能』、ということになる!」


 天狗騨はアメリカに対しそうしたキャンペーン報道ができるのか? と言外に問うていた。強ばる論説委員の男の顔。


「むろん日本人だけが有利になる訳でもない。例えば中国人の個人が日本政府に個人補償を求め始めるという事態も当然起こりうる。日韓間で下手な〝外交的解決〟などすれば、問題が解決するどころか、あらゆる個人があらゆる国々にカネを支払うよう求めるという苛烈な世界情勢を惹起せしめることとなるでしょう。世界は個人補償請求合戦の修羅場となり外国と外国人に対する際限の無い憎悪が各国で当たり前の時代となる!」


 誰一人『そんなものはオーバーだ』とは言えなくなっている。


「『事なかれ主義』を外交の信条とする日本政府が、やれば必ず自分達を苦しめる事になる『韓国との外交的解決』などする道理がありません。『条約で解決済み』と言っておくのが最も〝事なかれ〟というものです」


 しかし天狗騨はここまで言ってもなお手綱を緩めない。

「だが中には韓国中心主義を採っていて『韓国との新たな外交的妥結で日韓関係が改善するなら』と、そうした懸念を無いことにしたい者がきっといることでしょう。なにせ〝夫婦別姓〟を推進しながら『子どもの姓は父母どちらの姓?』という問題について、なんらの定見もルール案も示せない者達ばかり。子どもの姓を巡って夫婦間が争うであろう未来など予測できても考えたくないという者達ばかりというのがこの日本の現実ですから。あらゆる問題にこうした性向が顔を出す」

 天狗騨はわざわざ他例を持ち出し己の説を補強する。


「そんな人間達には予めハッキリと言っておく必要があります。韓国人の言う〝徴用工問題の解決〟など日韓関係の改善にすら役に立たない。むしろもっと悪くなる。可能性をまったく考えていないのですから」


 しかし〝韓国愛〟溢れる人間はこうした言説でついカッとなる。

「んだとっ!」論説委員の男が瞬発的に粗野な声を上げた。


 天狗騨はだが〝余計な事を言った〟とは一切思わない。韓国が日本に対する要求をやめない限り世界情勢が危うくなるとしか考えていない。問題の原点は韓国なのだから韓国の動きを止めるよう発言するのみ。天狗騨に言わせれば韓国が原発(医学用語としての)なのである。

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