第百四十九話【炸裂! 韓国愛‼】

 一人の男が突然席から立ち上がった。

「天狗騨、お前は悪意の固まりだ! 我々は日本に厳しいのではなく日韓関係の改善と友好を目的として紙面を造っているだけだ。それを『反日』とは許せんっ!」

 その男の肩書きは〝論説委員〟。天狗騨記者に対し積極的に何回か発言を繰り返してる男だった。なぜだか天狗騨が『反日』と言ったら『日韓関係』と言いだした。


(それって『韓国=反日』と無意識に思ってるってことじゃないか?)呆れつつも天狗騨がにらみ返した。

「本当に日韓の関係改善と友好を願っているのなら条約を守ることの重要性を説くべきでしょう」


「1965年の日韓基本条約当時の努力は認めよう。だが限界もあるのだ」一人の論説委員の男はそう断定した。


「限界も何も、結んだ条約を守るか破るかという問題ですよこれは」むろん天狗騨はこう返す。


「黙れっ天狗騨っ! 今私が話している!」論説委員の男は怒鳴りつけた。


「天狗騨君、君は喋りすぎる。少しは他人の話しも聞くものだ」突然横槍が入った。

「その通りだ。記者は持論を蕩々と述べる者ではない。相手の話しを聞くのが仕事だ。たまには温和しく話しを聞き給え」さらに別の者がもっともらしく付け加えた。


(くそっ、そういう手で来るか)

 一対一ではなく一対複数ではこういうことは起こりうる。


「今日は私の査問の筈です。私に『聞き役に徹しろ』とは理屈に合いません」天狗騨はこの場で可能と思われる最大限の反攻を実行した。


「むろん最終的には君の価値観が問われる。だがまずはこちらから君への問いが先ではないのかね?」天狗騨に戦いを挑む論説委員の男がそう言うと、

「そうだ」「そうだ」「その通りだ」と次々同意の声が挙がっていく。さしもの天狗騨もこの雰囲気では引かざるを得ない。天狗騨は沈黙を強いられた。


 舞台がきれいに整い〝ごほん〟とわざとらしく咳払いをした上で件の論説委員の男は語り出した。

「徴用工問題を巡る調査研究については、近年めざましいものがある」


(なにがどうめざましい?)天狗騨は思った。


「——例えばそれは強制動員被害者の口述集だ。これらは継承すべき記憶であり、徴用工問題の実態に迫り、問題の正しい理解に資する可能性を秘めている。このような口述記録が日本人に広く記憶される事により過去の戦争や植民地支配の被害の記憶を共有するきっかけともなるだろう」


(〝口述集〟って……、単なる口述集ならともかくほとんどそれは『裁判における証言と同じ扱いにしろ』ってことだぞ。ならどうやって証言の裏を取るつもりだ?)


「——だが現実の徴用工問題については残念ながら現在日本と韓国の見解は真っ向から対立しており、同時にどちらの見解にも矛盾がある。どちらか一方にだけ説得力があるという訳でもないのだ」


(これは韓国が不利な状況になると必ず使われる典型的な韓国擁護の黄金パターン、『』そのものだ)


「——日韓両国は〝慰安婦問題の失敗〟、即ち二元論・二分構造となることは今度こそは避けなければならない。ひとたびこうした罠に陥ればそこにあるのはお互いへの敵対視だけだ。残念ながら現在徴用工問題もそうした陥穽に嵌まりつつある。そこで重要なのは、まず『徴用工問題の議論の接点を造ること』ではあるまいか」


(問題の議論の接点を造る? それは『問題を製造する』という意味か? およそ意味が解らない)


「——そのためにはまず徴用を巡るこれまでの認識、及び実際になされた事の検証から始めるべきだ。それらの検証は日韓両国国民の目に見える形で行われなければならない。そうでなければ歪曲された記憶ばかりがまかり通り、『それらに対抗するため』と称して反対の言説が際限なく造られ続けるだろう」


(そもそも『歪曲された記憶』に対抗するために『言説が造られる』とはどういう表現だ? 〝造る〟ということばの中身には『捏造する』という意味がこもっている。〝悪意〟を感じる。これも『どっちもどっち論』ではないか)


「——相手を貶めたり否定すること無しに、そして『日韓慰安婦合意』のような〝即席の問題解決〟でもない道、第三の形の模索が必要ではないだろうか。だが現状日本政府の態度は非常に頑なだ。1965年の日韓請求権協定で補償問題は全て終わったとするものだ。しかし本当に終わったのだろうか? もしも終わったとするのなら何が終わったというのだろうか?」


(『終わったもの』、それは補償の支払い義務に決まっているだろう。それがまだ終わってないことになったら今度こそ日韓関係は破綻すると、この男には解らないのか?)


「——日韓基本条約やそれに付帯する協定は、日本の朝鮮半島植民地支配の総括について、日韓両国ともそれをすべきと意識しながらもその思いが遂に形として残ることは無かった。だからこそ1990年代以降、韓国内で条約の破棄や再締結を主張する人々が出てきた。ひとまずそうした主張の是非は一旦横へ置こう」


(いや、置くんじゃない。是非を判断しろ。条約を破棄し再請求をする行為の是非を)


「——問題は、植民地支配がもたらした国民であって国民ではない者達が受けた徴用の悲劇について、今の日本人達がどう思うかということではないか」


(また日本人に罪悪感を刷り込み植え付けようという旧態依然のパターンか。そういう『90年代の夢よもう一度』というのは空虚だ)


「——ここは考えを進展させるべきだろう。そう、今一度我々は進歩主義に立ち返る必要がある。最低限悲劇を悲劇として表す方法を考えることはできる筈だ。1965年、確かに日本政府から韓国政府へと『経済協力金』が支払われた。だがそれがどういう性格を持っていたかについてははっきりとはしない。それについては裁判の場でも議論されているほどだ。この協力金の性格については日本政府も韓国政府も以前とは反対の立場に立つなど、今の己の立場に都合の良い解釈をするばかりだ」


(『日本政府も韓国政府も』、またも『どっちもどっち論』か。日本政府が以前とは違う立場を採っているだって? 『補償問題は解決済み』という立場は不変だろう。変わったのは『補償問題は片付いていない』と言い出した韓国の側だ——)などと天狗騨が思っていたら論説委員の男が勝手にその疑問に答え始めた。

「——1990年以降、韓国人被害者達が数十件の戦後補償訴訟を起こした。ところが1999年までの10年間、裁判の場で被告の立場の日本国政府が〝請求権〟について、『日韓請求権協定で解決済み』と抗弁した例は1件も無い!」


(そんなことか。今次のように大韓民国政府が直接言及し日本に対する請求を後押ししていたら当時であっても『日韓請求権協定で解決済み』と言っていただろうよ。相手が個人だから言わなかっただけじゃないのか)


「——その1965年というのは冷戦時代のまっただ中だ。その中で日本と韓国の間に条約が結ばれた。これは植民地支配の過去よりも冷戦時代という当時の現実の影響を非常に強く受けた中での国交正常化であり、欧米を含む過去の帝国主義国家が植民地支配への謝罪などをまったく考えない時代の産物だ」


(だからといってそれが条約を破って良い理由にはならないが。だいいち欧米が日本レベルで旧植民地に補償や謝罪を行っているか?)


「——ところがこの現代は、脱植民地主義という価値観がかつてないほどに高まっている! 今改めて過去を問い直す事には大きな意義がある! 1965年の価値観が現代の我々を縛っているのだ! これは健全なことだろうか? いや、そうは言えまい! 先人達の努力は認めなければならないが同時にそこには時代の限界もあったのだ。1990年代以降、日本は過去の植民地支配への謝罪と反省とを示すようになった。1965年にはできなかったことが1990年代にはできるようになった! これこそが歴史の進歩であり、我々はさらに進歩を続けなければならない!」


(聞いていて頭がおかしくなってきそうだ。仮に〝現代の日本人を縛る価値観〟があったとして、その縛りから自由になったらもれなくカネを支払わされるという。いったいそれはどういう『自由』なのだろう? 日本国民で支持する者がいると考える方がおかしい。誰も欲しがらないモノを『自由』とは言わない)

 しかしそんな天狗騨の思いとは裏腹に役員用会議室内にはぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちぱちと拍手が鳴りまくる。


「——日本と韓国も最初からこのような対立をしていたわけではない。徴用を巡っては日韓が協力し調査を行っていた時代も確かにあった。2007年から2011年の間がそれだ。この2011年末に韓国大統領が慰安婦問題の解決を強く求めた結果、日韓の協議は停止。翌年2012年にその同じ大統領が竹島に上陸したことをきっかけに徴用された韓国人に関する調査すら行われなくなった。韓国側ではこれに対抗するように徴用工問題がクローズアップされ、裁判によって日本企業の韓国内の資産を差し押さえ現金化する動きが始まった。もしこれが実行されれば日本側に新たな反発を生み日韓関係は破綻するだろう。こうした日韓双方の政府や民間の応酬合戦を憂慮し両国の良心的人間達が立ち上がり重要な提案をしている。これは問題解決の糸口たり得るものだ」


(『こうした政府や民間の応酬合戦』とはどこまでも『どっちもどっち論』だな。それに『りょうしんてき』などと言ったが、誰が良心のある無いを判断しているのだ?)


「——『日本政府及び韓国政府は、いずれも個別訴訟の積み重ねに委ねるのではなく、全体的解決をするよう取り組みを始めるべきです』と!」


(狙いは〝政治決着〟か。残念ながら日本政府を騙して交渉の場へおびき寄せるための算段だと考えてしまう日本人の方がはるかに多数派だろう。それもこれも『日韓慰安婦合意』のせいだな。アレでも何も問題が解決してない事になったという)


「——また韓国の要人政治家からはという提案が示された。韓国内の反応を見る必要はあるが日本政府は傾聴に値する提案として応えるべきではないか。慰安婦問題・徴用工問題で日韓関係がここまでこじれてしまったこの今の状況をただそのまま放置しておく戦略的忍耐はこうした結果を望む人々を利することにしかならない! そうした意味においても日本政府や日本人がかつて行っていた努力に込めていた気持ちを、今こそ思い出すべきではないか!」


 言い終わるやまたも万雷の拍手が鳴り響いた。

(日本人の大半が『このままでもいい』と望んでいるという可能性について考えないのか……)


(ところでなんで俺ここにいるんだっけ?)と茫然自失な天狗騨記者。突然ここで話しを振られた。

「どうだ天狗騨!」ドヤ顔の論説委員。


「どうだと言われても困りますね」


「そうか困ったか。答えられまい!」


「どこから手を着けるべきかという意味ですよ。つまり言いたいことはこうですか? 『韓国には日韓請求権協定を破る意志は無い。だが補償は求める』と」


「そうだ! 韓国は条約を破る意志を示していない! それを条約破りと断定するとは論外も論外、天狗騨、お前のやっていることは韓国人に対するヘイトスピーチそのものだ!」


「請求権の問題を全て解決するための条約を結んだのに、新たな補償を求めるのは矛盾もいいところですよ。それは条約を破ってますよ、間違いなく」


「だから条約を破らずに補償への道は開けると言っているんだ!」


「とんでもない詐欺ですよそれは」天狗騨は〝詐欺〟と言い切った。


「良心的な提案を詐欺だと⁉ 許さんっ!」


「日韓請求権協定を表向き破棄しないまま補償を受け取ろうとする行為が日本人を騙そうとする詐欺行為だと言っているのです。これならまだ90年代ですか、『韓国内で条約の破棄や再締結を主張する人々が出てきた』んでしたよね? こちらの人々の方がまだ良心のある人間だと言える」


「お前はこれまで散々『韓国が日本との条約を破った』となじってきたのに、条約の破棄や再締結を求める人間の方が良心的とはデタラメもいいところだ!」


「もはや私の査問とは関係無い話しになっているとは思いますが、結局私が答えを求められるんじゃないですか」


「じゃあお前はお前の言説の矛盾を説明できるんだな!」


「ええできますよ。むろん矛盾はありません」天狗騨は涼しい顔をして言った。

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