第百四十八話【『反日』の証明】

 天狗騨記者はもう椅子になど座らされていない。ICレコーダーを片手にしたまま自由にこの役員用会議室内をつかつかつかと歩き廻っている。歩きながら言った。

「どの外国相手にものを言うべきか。それはこの日本との条約を破った国です。ロシア連邦・アメリカ合衆国・大韓民国、この三カ国です。皆さんはASH新聞の幹部だ。この場で決断ができる。明日からでも早速この三カ国に対する攻撃を始めるべきだ。当然社説でその立ち位置を明確にしなければならない」


 だが誰もウンともスンとも言わない。そして一方天狗騨は極めてマイペースに喋り続ける。


「このASH新聞でも定期的に〝北方領土〟に関する社説が書かれています——」

 この場は本来天狗騨を厳しく査問するために用意された筈だったのだがいつの間にかそれはどこかへとすっ飛んでいる。

「——だがその内容は交渉が行き詰まり膠着状態になっている状況について、日本政府を指弾するものばかり」


「ロシアにだって厳しいことを言っている! 北方領土での軍事演習に懸念を示している!」ASH新聞幹部のお歴々の中の一人が弁明するかのようにことばを解き放つ。しかし露骨な〝脇道への誘導〟を天狗騨は無視した。


「ソビエト社会主義共和国連邦は日本との条約を破った。日ソ中立条約です。北方領土は条約を破られ占領された。北方領土問題とはソビエトが条約を破った結果得た不当利得についての問題だと、一回でも社説で書いたことがありましたか?」


 天狗騨記者の指弾に一同は黙り込んでしまった。


「なお、『条約を破ったのはソビエトでロシアではない』とか『条約を破ったのはグルジア人独裁者でロシア人に罪は無い』とかいう言い訳は受け付けません。ロシア連邦は自らをソビエトの後継国家であるとしているからです」


 つまらない突っ込みすらできるような雰囲気に無い。


「サンフランシスコ講和条約を拡大解釈までして日本を攻撃したASH新聞には、正真正銘の条約破りの国ロシア連邦を攻撃する社説を明日にでも書く義務がある」


 論説員がヒラの記者に命令されても誰も何も言い返さない。


「次はアメリカ合衆国です。左沢さん、あなたはこの話しを聞くのは二度目の筈だ」

 天狗騨はこの場の末席に座る左沢政治部長を指さしたが左沢は金縛りに遭ったようになっている。


「日米安全保障条約にはこうあります。『平和条約の効力発行と同時にこの条約も効力を発効することを希望する』と。この〝平和条約〟とはあなた方が持ち出したサンフランシスコ講和条約そのものです。そしてサンフランシスコ講和条約が発効したのは1952年。つまり1952年には日米安全保障条約は存在していた」


 天狗騨が喋る!


「——だがこの条約は早くも翌年に試されることとなりました。1953年4月20日、韓国の『独島義勇守備隊』を名乗る部隊が竹島に駐屯し始め、以降韓国警察の警備隊が続けて駐屯。この現在に至るまで占領を続けています。自衛隊が誕生したのは1954年ですからね、それを加味すればアメリカ軍は竹島を占領した大韓民国の国家権力を武力を使い排除する義務が条約上あった。だがなにもしない。この現在においてもなおなにもしない。日米安全保障条約はアメリカによって既に破られている!」


 天狗騨、なお喋り続ける!


「——ところがアメリカ人という厚かましい連中は、『アメリカがどれほどの犠牲を払って日本を護ってやっているのか。日本が安全なのはアメリカのおかげだ! 日本は安全保障のフリーライダーだ!』などと嘘八百を並べ立て日本に様々な無理難題を押しつけそれを実現させてきた! アメリカ合衆国という国家の利益のために! 日本は損を強要されてきた。本当は条約上の義務を何ら果たさないアメリカ合衆国こそが日本を犠牲にして安全を得ている安全保障のフリーライダーだというのに!」


「——これはあなた方がアメリカ合衆国の日米安全保障条約破りを指弾できないが故だ! サンフランシスコ講和条約を拡大解釈までして日本を攻撃したASH新聞には、正真正銘の条約破りの国アメリカ合衆国を攻撃する社説を明日にでも書く義務がある」


「——その次は大韓民国です。一部の韓国人が2010年代末頃から『徴用工問題』なる問題が未だ解決していないと突然主張し出し、日本に金銭的補償を要求し始めました。今現在においては〝この要求〟をほぼ全部と言っていいくらいの韓国人が支持しており、大韓民国政府は日本政府に対し『徴用工問題解決のために協議を始めよう』と公然と働きかけ始めました。これは明らかに日韓基本条約に付帯する日韓請求権協定を破っています」


「——許し難いことに日米安全保障条約を破ったアメリカ合衆国が、日韓請求権協定を破った大韓民国の側に立ち『北朝鮮が核開発をしているから日本と韓国は関係改善せよ』などと命令してきている。正にこの2カ国は似非同盟国だ。日本との条約などいくら破っても構わないというこうした外国がのさばるのも、日本のジャーナリズムに全く気骨が無いからだ!」


「サンフランシスコ講和条約を拡大解釈までして日本を攻撃したASH新聞には、正真正銘の条約破りの国大韓民国を攻撃する社説を明日にでも書く義務がある」


 ようやく中の一人が声をあげた。

「ばっ、バカな! 外国を攻撃するなどとんでもない! そんなのはジャーナリズムの仕事じゃない!」


 天狗騨はその男の方を向く。

「日本は外国メディアに攻撃されていますよ。『慰安婦対日非難決議』の時を忘れたんですか? アメリカや韓国のジャーナリズムは日本軍慰安婦キャンペーンをしていましたね。またテロリストの取り調べに弁護士を同伴させてもいないアメリカやフランス。そうした国々のジャーナリズムが自分達の行状を棚に上げ、日本のことを『人質司法』などと言ってキャンペーンをしていました。外国人が日本人に対してやっていることは日本人が外国人にしていいんですよ。ましてロシア・アメリカ・韓国が日本との条約を破っているのは事実なんですからファクトチェック上も問題が無い」


「日本は外国に逆らってはいけないのだっ!」

 信じがたいことばがASH新聞役員用会議室内に響き渡った。


「誰ですか今言ったのは?」


「誰かと言っている」


「立ってものを言え!」


 完全に命令口調な天狗騨記者。しかし誰も二度とそのことばを吐かない。


「皆さん、皆さんは今とんでもない状況下に置かれている自覚はありますか? それも自らの意志でそこにいる。外国が日本との条約を破っても外国を攻撃しない。一方で靖國神社を参拝する政治家を悪玉にするためにサンフランシスコ講和条約を拡大解釈してまで日本を叩く。外国に不可解に甘く、日本に理不尽に厳しい。これを何というか解りますか?」


」あっさりと天狗騨はそのことばを口にした。ASH新聞社内では絶対にタブーなそのことばを。


「っはっ、反日っっっ!」かん高く裏返ったような奇声がまず響き、これまで静かだった役員用会議室内がにわかに騒々しくなり始めた。

「反日とはなんだ!」

「反日は言い過ぎだ!」

「反日を撤回しろ!」

「我々は反日じゃない!」


 しかし天狗騨記者は無情に言った。

「論理的に言って反日だから反日と言っているのです」


 『反日』とは、かの赤報隊(幕末じゃない方の)が脅迫状の文面に用いた文言である。

 ASH新聞的には『反日というのはレッテル貼りだ』というのが模範解答であり、『反日意見にも言論の自由が保証されねば』とは決して言わない。

 それもその筈、『日本だけを攻撃するヤツら』と言われて『ハイそのとーりです!』と公言するバカもいない。それを認めた瞬間差別主義者だということが確定する。完全な悪党である。同新聞を購読し続けようという日本人はほぼいなくなるのは想像に難くなく、悪くするとかの赤報隊が義士化しかねない。

 だからあくまで『我々は良心的な報道をしているのに一方的に反日というレッテルを貼られ理不尽な攻撃を受けた』と言い張らねばならない。


 それを身内である筈の社員(天狗騨記者)から『反日』と言われるなど絶対にあってはならない大事件である。


 天狗騨記者の持つICレコーダーのランプはさっきからずっと点いたまま。

 それを『切れ』と言った途端にこの査問委員会もウヤムヤに終わるほかなくなる。その瞬間に査問側の正義が失われるからである。天狗騨が『切らねばなにかマズイですか?』と、その理由について質問をしてくるのは火を見るよりも明らかだからである。弱みを握られた者は弱みを握る者に強くは出られないというのが世の道理。


 だからなんとか話しを逸らしてでもこの場をどうにか切り抜ける必要性が、社会部長を除く二十余人のお歴々には生じていた。

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