第百四十七話【これは二十年前くらいからの発明か? ド定番・靖國神社な攻防4(サンフランシスコ講和条約とA級戦犯編)】
(靖國については攻撃パターンはもう決まっている。想定問答は丸暗記状態だ)諦観しつつも一方で天狗騨は余裕綽々でもあった。
『A級戦犯14人が合祀されている靖國神社に政治家が行くということは、サンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ国際社会に復帰した戦後日本の歩みの否定にもつながりかねないのだっっ!』そう言われた天狗騨記者は困りもせず滑らかに突っ込んだ。
「『かねない』ってのはなんですか?」と。
(これは二十年前くらいからの比較的新しい部類の発明だろうが、強引にひねり出した理屈でかなりの無理がある)としか思っていなかった。
天狗騨記者の核心を衝く問い返しに詰問者はたじろいだ。表情から瞬時に天狗騨はその内心を読み取った。
「『戦後日本の歩みの否定にもつながる』、と断定できないところに、その主張にはごまかしがある!」と天狗騨は無情に言い渡した。
「ごまかしとは何だっ!」
「断定できない。それは靖國神社とサンフランシスコ講和条約は何の関係も無いと、言い出した本人がゲロしているようなものですよ」
「ゲロとはなんだ、ゲロとはっ! この場の品位を貶めるつもりか!」また別の者が口を開いた。誰かが躓いても即座に次の者がフォローに入っていく。これが多数対1の構図。
しかし天狗騨には通じている様子が無い。
「解ってて言ってるんでしょう? サンフランシスコ講和条約には処刑された後のA級戦犯の取り扱いに関する規定など、どこにも記されていないことを」
この天狗騨の一言に場はシンと静まりかえった。ここまで曲がりなりにも入れ替わり立ち替わり誰かが天狗騨攻撃を続けてきたのだが、今は誰一人この天狗騨の挑戦に対し口火を切らない。よってまたも天狗騨が口を開くことになる。
「あなた方の言っていることは七段論法ですよ。三段論法より尚ひどい。感覚的には『風が吹けば桶屋が儲かる』を三乗にしたくらいの日本人に対する因縁です」
「因縁だと⁉ 我々をヤクザだと言うつもりか⁉」お歴々側からかろうじて出たことばはこれだった。
「よろしいでしょう。ならば説明します」と天狗騨は切り出した。やおら朗々とそらんじ始めた。
「日本の首相が靖國神社へ行く、」と言ってまず区切り、続けて、
「その靖國神社にはA級戦犯が祀られている、」と言って区切り、
「A級戦犯をも拝む日本の首相、」と言って区切り、
「かつての日本の首相はサンフランシスコ講和条約に調印し、日本は国際社会に復帰した、」と言って区切り、
「サンフランシスコ講和条約を結ぶに当たり日本は東京裁判を受け入れた、」と言って区切り、
「しかし東京裁判によって定められた価値観を靖國神社は否定している、」と言って区切り、
「そんな靖國神社に日本の首相が行くことは戦後日本の出発点であるサンフランシスコ講和条約の否定につながりかねない」と言って最終的区切りをつけた。
そうして天狗騨はまとめにかかる。
「あなた方の唱える理屈は以上です。結論にたどり着くまで七段を労しました。だから〝七段論法〟なのです」
「七段で何が悪い?」中央に陣取る者が開き直るように言い放った。もはやこれしか〝手〟が無いようだった。
「悪いに決まっています」天狗騨はしかしその開き直りを一切認めなかった。
「君の価値観と我々の価値観が違うだけだ。多様な考えを認めるべきというのが君の考えなら七段だろうがなんだろうが認めるべきだ!」中央の者はさらに言い放った。
「確かにあなた方が七段論法を使うことは私には止められません」天狗騨は言った。
「それは我々が勝手に言っているという意味で、君はこのASH新聞の社論をまったく認めていないではないか!」
「その通りです。サンフランシスコ講和条約には処刑されたA級戦犯のその後の処遇についての規定はありません。なのに同講和条約を持ち出す。こうした主張自体が日本人差別だと言っているのです。言っておきますが〝多様な考え〟の中には民族差別・人種差別が含まれる道理はありませんよ。それは人権に対する挑戦です!」
『差別』『人権』といったASH新聞が〝錦の御旗〟としている価値観を持ち出されたじろぐお歴々。誰も発言できない。天狗騨のターンが続いていく。
「有り体に言いましょう。『A級戦犯14人が合祀されている靖國神社に政治家が行くということは、戦後日本の歩みの否定にもつながりかねない』とした方が、今し方私がした批判を回避できるんですよ。『サンフランシスコ講和条約』という語彙さえ使わなければ『条約の中にそんな規定は無い!』と突っ込まれずに済みますからね」
二十余名のお歴々が天狗騨に押され始めた。
「——こうした突っ込みから己の身を守るために『つながる』と断定ができず、『つながりかねない』という逃げの表現をとるしかなくなっている!」
〝逃げの表現〟と侮辱的なことを言われても誰も何も言わない。
「——きっとコレを考えた本人、言った本人は〝上手いこと言った〟と自己陶酔しているのでしょうが、読者からすれば『ああ逃げてるな』ってのはすぐ解ってしまうんですよ。それはつまり説得力が無いってことです!」
平の記者に面前でそれも査問会の場で〝社説に説得力が無い〟と罵倒されても誰も反駁ができなくなっている。
「——にも関わらず社説において最も必須な〝説得力〟を犠牲にしてまで『サンフランシスコ講和条約で東京裁判を受け入れ国際社会に復帰した』というフレーズをわざわざ入れたのは何故か⁉ それは日本に『条約破りの国』、というイメージを擦り込む目的があるからじゃあないですか⁉ どうです皆さん!」
このまま天狗騨の言説の前に温和しくなってしまったら、いよいよ本格的にASH新聞が日本人差別をしているということになってしまう。だが誰も効果的な反論を思いつかないでいる。
一方でこういう状態になろうと天狗騨はいわゆる〝惻隠の情〟は持たない。まったく日本人的優しさ・甘さの無い男、それが天狗騨記者だった。ここぞとばかりにえぐるように追い込みを掛ける。
「皆さんはサンフランシスコ講和条約の拡大解釈をして日本を攻撃したのは間違いありません。『法の拡大解釈はしてはならない』、これは基本中の基本です。だが絶対にやってはならないことを皆さんはやらかした。国家権力に対し法の拡大解釈をしてしまったら、国家権力は同じ手を我々に使ってきますよ。ハードルを下げてどうするんです? それとも、もし国家権力が法の拡大解釈を始めたらあなた方はこれに賛意を示し温和しく服従しますか⁉ 国民に服従するよう社説でも書きますか⁉」
〝法の拡大解釈〟と言われお歴々一同はさらに沈黙を余儀なくされている。道徳的優位すらも完全に天狗騨記者の側に落ちていた。
「皆さんは条約を破っていない日本を破ったものと見なした。それくらいならば本当に条約を破った国に対してはさぞかし凄まじい攻撃を加えるのでしょうね? 天下のASH新聞がよもや、外国相手には急にものが言えなくなるなどということはありますまい!」
査問されている筈の天狗騨記者が遂に査問逆襲を始めた。
これもまた天狗騨記者の定番戦術である。天狗騨は『それはダブルスタンダード(二重基準)だ!』という非難を絶対に用いない。
平然とダブルスタンダード(二重基準)を使ってくるような人間は元々ろくでなしで、ろくでなしにこれを言っても開き直られるだけで効果が無いと見切っているのである。
だから常にシングルスタンダード(単一基準)化を激しく求めるのである。
それが具現化したものが『日本軍慰安婦問題には米軍慰安婦問題を』『反捕鯨・反イルカ猟には辺野古のジュゴンを(クジラもイルカもジュゴンも海洋性ほ乳類の仲間)』なのである。
『ろくでなしには己の口が喋った論理で地獄に嵌める』
『己の口が喋った論理に服従できないのであれば、ろくでなし自身に〝私はろくでなしです〟と証明させることができる』
これが天狗騨スタンダードなのである。
やられた方は『信用』という決してカネで買い戻せない財産を一瞬で失い確実に地獄へと堕ちていく————
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