第百四十五話【三十年前から変わらない? ド定番・靖國神社な攻防2(歴史認識編)】
「天狗騨君、そのニヤニヤ笑う癖はなんとかならんのかね?」引き継いだ男が圧迫面接気味に仕掛けてきた。
「それは申し訳ありません。以後は気をつけましょう」と、さほど気を使う様子もなく天狗騨記者が応じた。
引き継いだ男はあからさまな憎悪の表情を浮かべたが、これ以上の面罵はせずこう切り出してきた。
「君は靖國神社が軍国主義の精神的支柱である国家神道の中心的施設であることについて己の意見を表明していない。存念を述べてみ給え」
「私は既に述べましたが」
「こちらは聞いた覚えは無い!」
「あなたが言ったのは現在の状態を反映していない意見です。今や靖國神社とは行きたい者が行き、行きたくない者は行かなくて良いという自由の追悼施設です。私はそう言いました」
「こちらは昔の話しをしている!」
「それならば答えはこうです。靖國神社は大正時代には存在していました」
「なにぃ? それのどこが答えだ? まるで答えになっていないじゃあないか!」男は同時にドンと机を叩いていた。
「あなたには解りませんか?」
「何だとっ! ことばを慎め!」
「『軍国主義の精神的支柱である国家神道』、この表現にはごまかしがある、と言っているんです」
「意味が解るように言え!」当初冷静さを保っていたこの男も激しつつある。
「異なる時代の出来事をひとつにまとめているという自覚無く、その言説を口にしているんですか? 有り体に言って『軍国主義』を非難しているのか『国家神道』を非難しているのか、どっちですか? ということです」
「そんなものは決まっている! 『軍国主義』と『国家神道』の両方だ!」
「一般論として『軍国主義』は昭和から。『国家神道』は明治からです。するとおかしなことになる。先に存在していた『国家神道』を、後に『軍国主義』を信奉する連中が精神的支柱にしてしまったということになり、『国家神道』はむしろ『軍国主義』の犠牲者ということになる。つまり靖國神社に罪は無いという理屈になるんです」
勢いよく怒声を発していた論説委員は思考せざるを得なくなった。
確かに国家神道とは明治維新期に国家権力の保護により神社神道と皇室神道が結合して成立した新たな神道だと云われている。
幕末の復古神道、特に平田派(平田は人名。『平田篤胤』のこと)の国学者の思想の影響を受けて形成された。天皇制イデオロギー・国家主義思想の理念的背景となったとされ、第二次大戦終了まで続いた。
この論説委員は(この減らず口め!)と忌々しく思ったが、ただ単純に怒声だけを発すれば、あたかも無教養人間に見えるため、何を言えば良いのかを考えるほかなくなったのだ。
とは言え靖國神社に罪をかぶせるために論理的に矛盾の無い答えはこの場合ひとつしかない。
「『軍国主義』は昭和からじゃない! 明治からだ!」論説委員の男は断言した。
しかし天狗騨は平然と語り出した。
「さて、これは奇妙な事です。『軍国主義』には軍人達が軍事力を振りかざし民主主義を蔑ろにしたという意味が詰まっている筈ですが、あなたは大正デモクラシーをどう説明するのです? この時代に普通選挙が始まっていますが」
「……」
「改めて訊きましょう。『軍国主義』はいつから始まっているのです?」
「……」
「大正時代は軍国主義でしたか? と言っているんです。やはり一般的には昭和からでしょう?」
実はこの論説委員は天狗騨の言い分には反論しようとすればできた。「『軍国主義』は昭和からじゃない! 明治からだ!」と言い続けようと思えばできた。
『軍国主義』とは、軍事力によって国威を示し対外的に発展することを国家の最も重要な目的と考える主義で、むろん国民には相応の協力が強いられる。誰がこれを実行するかについては定義が無い。
即ち、政治家主導でも軍人主導でも『軍国主義』は可能なのである。
昭和期は軍人主導の軍国主義だったが、明治期は政治家主導の軍国主義と言えるのである。
ただし『軍事力によって国威を示し対外的に発展すること』は、〝植民地主義〟でもある。軍事力が劣位である国家が、軍事力が優位である国家によって主権を奪われ植民地とされたのは紛れもない事実なのだ。例えばインドである。
すると当時のイギリスやフランス、アメリカ等、植民地を持っていたあらゆる国々が『軍国主義』を採っていたと言えてしまう。
だが今天狗騨と対峙しているこの論説委員を含む全ASH新聞としては日本だけを悪玉にする論理でなければ困る。
すると範囲を絞る必要が出てくる。
『政治・経済・法律・教育などの構造や国民の生活・思考様式を軍事力強化に従属させこれに奉仕させるための諸制度の整備を終えた時期』を軍国主義の開始時期、とするほかない。
天狗騨に対する警戒感を予め持っているこの男は天狗騨の戦術を理解しているが故に沈黙せざるを得なくなっていた。
相手が答えないとみた天狗騨はここで口を開いた。
「私は『軍国主義』の始まりは、『国家総動員法』が制定された1938年からであると考えます。ここから人的・物的資源の統制運用が始まり、赤紙で戦地へ招集されない国民にまで戦争協力が法的に強いられ始めたからです」
間を置かずさらに天狗騨が続けた。
「1938年とは昭和13年ですよ」
「……」
「さらにもうひとつ。国家総動員法が廃止されたのは1946年、即ち昭和21年、日本敗戦後の事です」
これがダメ押しとなった。
『国家神道』が先に誕生し、『軍国主義』が後から誕生したことに意義が唱えられなくなったこの論説委員。
『国家神道』はむしろ『軍国主義』の犠牲者、つまり利用されただけの靖國神社に罪は無いという天狗騨の言い分を遂には突き崩せなくなってしまった。
「もういい!」また別の男が立ち上がった。「靖國神社にはA級戦犯が祀られている!」と言い出した。今度はこの男が引き継ぐようだった。
(今度は『A級戦犯』か)と辟易とする天狗騨記者。しかし(またこれ、また話すのか)とも言えず、通過儀式として淡々と処理するしかないと諦めモードに突入する。
笑うな! と言われたからでもないが、もはや苦笑いすら浮かばなくなっていた。
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