第百四十三話【論説委員室へ殴り込んだワケ】

(こっちには道徳的優位がある筈だったのに……)ASH新聞東京本社・役員用会議室に集まった二十余名のお歴々は社会部長を除き内心歯ぎしりをし始めていた。


 道徳的な優位がある人間は、道徳的劣位の人間に対しては何をしても正義になる。——筈だった。誰にも非難されることなく正義の名の下に思う存分に『天狗騨』という不埒な人間を攻撃した上で処罰できる筈だった。だが初っぱなからそれは簡単に破砕されてしまった。


 『道徳的優位』ということばは、一見すると天狗騨記者言うところの『正義ポジション』と非常に似ているかに思われる。

 だがこの両者、〝使い勝手〟という観点から『道徳的優位』の方に軍配が上がる。

 『正義ポジション』は誰から見ても正義の立場でなければ説得力そのものが無くなるが、『道徳的優位』の方は必ずしも正義である必要は無い。正義でなくても説得力がゼロにならないのである。


 これはどういうことか?


 例えば『法的に解決済み』という回答があっても『それは道徳的観点からはいかがなものか』、といった調子で反論ができるのである。こうした場合『俺たちの考える正義に反する』と言うよりはよほど気の利いた言い回しとなる。つまり、『俺たちの考える正義』は確実に『法の下の正義』を否定しているからである。

 何かを言い、そして相手が反論してくるであろうことを考えた場合、『相手が反論しやすい主張法』と、『相手が反論しにくい主張法』、どちらの主張法を選ぶのかという選択の問題なのである。

 このように『道徳的優位』とは実に使い勝手の良いワードなのである。


 ただ一方で、国家が『道徳』を押しつけることに関してはほとんど脊髄反射的に嫌悪感を示すのがASH新聞である。そのASH新聞が他者(それはほとんどの場合日本人である)に対しては『道徳』を平然と押しつける行為はあまりに見事過ぎる二重基準と言うほかない。

 天狗騨記者はこうした体質を心底憎み、『一刻も早く改革しなければ』と深く決意しこの場に立っている。



「今ここは『慰安婦問題』を論ずる場では無い!」天狗騨と相対する一人の男が言った。「そうだそうだ」と他の者も追随する。


「すると回答は頂けないわけですね」天狗騨記者は確認した。


「当たり前だ。君には『発言を許可する』とは言ったが、『君の質問に答えよう』とはひと言も言っていない。君には発言を許可したのだから我々は約束は守ったのだ」誰だか分からない者がそう言った。


(やはり自由には喋らせないか)天狗騨は思った。かなり強烈な縛りをかけてきている。だがここは、

「なるほど」と言って引き下がった。ざわざわと勝ち誇ったような空気に場が塗り替えられていく。


「では天狗騨君、君は一記者でありながらどうして論説委員室へと突入し脅迫まがいの事を始めたのか、その理由から申し開きをするように!」


 天狗騨の眼鏡の奥の眼が鋭く光った。

「第二の国家神道の誕生を阻止するためです」


 あまりにあっけなく即座に言い切った天狗騨記者に一同唖然呆然。


 その中のひとりがようやく我を取り戻したかのように反攻を始めた。

「何を言っている? 国家神道とは靖國神社そのものだ!」


「いいえ。


 あまりに突拍子も無い言い草の天狗騨記者に一同固まった。


(こ、コイツはやはり一筋縄ではいかない!)誰しもが思った。


 天狗騨がこの一瞬間の間に付け入りさらに続けて語る。

「一方で国立追悼施設はどうでしょうか? 加堂首相の方針により、衆参全国会議員による強制参拝が実行に移されました。このまま好ましからざる実績が積み上がれば、公職にある限り行かない自由の無い追悼施設となります。正に国家が後ろ盾となった第二の国家神道です」


 誰も何も言わない。言えない。そこにさらに天狗騨が畳みかける。

「私としては不本意ですが、そうした危険な施設を潰すためには〝外国の激昂〟をも利用するほかありませんでした」


 二十余人のひとりがようやく体勢を整えた。

「だからと言って論説委員室に殴り込んで来て脅迫を始めるのは非常識じゃないか!」


「本紙は何が行われようと『国立追悼施設』の支持派でしたから、私としてはやむにやまれぬ思い一辺倒の行為でした。私にとっては会社の上司のご機嫌よりも、日本に第二の国家神道が誕生してしまうことの方が重大問題でした」天狗騨は言った。


 この瞬間天狗騨記者に既に〝大義〟は奪われていた。


 『第二の国家神道カモンウエルカム! ヒラの社員は会社の上司の機嫌だけを考えてりゃいーんだよ!』とはさすがに誰も言えなかった。

 『お前は日本の事など考えないで会社のことだけを考えていればいいんだよ!』とは、この現代日本に生きる大会社のお偉いさんなら内心誰しも思っている本音かもしれない。だが人前でこれを公然と言い放てるかというと話しは別になる。

 録音技術(ICレコーダー)と情報拡散技術(SNS)の発達したのも現代。それはそれで非常なリスクを生む。味方、あるいは安全牌だと信じて安心していた他者が実は敵だったということは割とよくある事象なのである。

 かくしてASH新聞東京本社・役員用会議室に集まった二十余名のお歴々は、相互不信から誰もが身動きを封じられた。

 その上『靖國神社が既にかつての靖國神社ではなく、国立追悼施設がかつての靖國神社になっている』、という天狗騨記者の想像だにしない論理に頭を抱えている真っ最中。

 さらに論説委員室に殴り込んだ暴挙をあたかもやむにやまれぬ正義だったとさえ示唆したのである。

 何かを言おうとしても、天狗騨の口にした『本紙は何が行われようと『国立追悼施設』の支持派でしたから』というのはまぎれもない事実だったため、何かを言い様もない。


 勝負あったかに見えた。



 だがここで一人の論説委員が敢然と立ち上がった。

「天狗騨っ! お前は靖國神社がどういうものだか全く理解していない!」と叫びだした。


 それを聞いて天狗騨の髭もじゃの口がニカッと開く。

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