第百四十一話【神風と民主主義的な社内クーデター】
社会部長は腕時計に目を落とした後天狗騨記者を見る。
「非常に非科学的な話しになるが、俺は事を成すには〝運〟が必要だと考えている」
「〝運〟ですか?」天狗騨が問い返す。
「右翼風に言うなら〝神風〟だな。国立追悼施設には神風が吹いている。集鑫兵があの国立追悼施設で感情の赴くままに振る舞わなかったら今ごろ〝天皇訪中〟の流れが決定的になっていた。もしそんなことになれば日本は欧米メディアから激しい攻撃を受け、日米関係は戦後最悪となり、日本外交は重大な岐路に立たされ、下手をすれば将来『あれが決定的なターニングポイントだった』と言われかねない事になっていた」
「それは確かにその通りです」天狗騨は同意した。
「右派や保守派は『国立追悼施設』を蛇蝎の如く嫌っているが、俺にはどうもアレには運を招き寄せるナニカがあるような気がしてしょうがない」
「どうして部長にはその〝運〟が我々の方に来ると言えるんですか?」仏頂面で社会部デスクが嫌みを露わにした。
「我々は少なくとも、『外国が満足するよう国立追悼施設の改造を行うべし』、とする『国立追悼施設改造論』には与してない筈だ」
「だから『運がある』と? なんとも答えようのない話しです」と社会部デスク。しかし——
「面白いじゃないですか!」と天狗騨記者。「かの明智光秀も謀反の直前に愛宕権現でおみくじを三度引いたといいますからね」
「天狗騨っ! 縁起でもないこと言うなっ!」
「しかしデスク、おみくじ引くのは普通一度でしょう? 三度も引くってことは元々運が悪かったってことですよ」
そのことばを受け社会部長は肯く。
「『我々には運がある』、そうポジティブに思っておくことは成功を招き寄せる。ただ、運は必要だが運だけでは成功しないのもまた事実だ」
「では『運頼み』ではない成功の鍵ってなんですか?」社会部デスクが皮肉混じりに訊いた。だが社会部長はその声を耳で拾っただけで目は天狗騨を見ていた。
「成功の鍵はなんといっても、天狗騨、お前の突破力だ。それ無しにこのクーデターの成功は無い。ただし、」
「ただし?」と天狗騨がおうむ返しに訊く。
「相手を論破して叩きつぶすというやり方だけでは不成功確定だ。ASH新聞の新たな方向性を社の幹部連中相手にぶってもらいたい。何をぶつかは全て任せる」
「なるほど、それで?」とさらに天狗騨が訊く。
「それでもなにも、それだけだ」
「私は大いに持論をぶてますが、しかし私の持論を社の幹部連中が採用するとはとても思えません」
「社の幹部連中が納得するかどうかは度外視でいい。まったく別の道があることを公式の場で公にすることに意味がある。後は私が収拾する」社会部長は言った。
「それって、やっても何も変わらないってことじゃないですか⁉ 変わらないんじゃやる意味が無い!」社会部デスクが叫ぶようにことばを飛ばした。
「誰が〝すぐに変わる〟と言った?」と社会部長。
「は?」
「ASH新聞の中だけに限定すれば、まともじゃない考えの者の方が多数派なんだから、そもそも多数派工作など成り立つわけがない。必然民主主義的クーデターになるほかない」
「クーデターが民主主義だなんて矛盾もいいところですよ!」と社会部デスク。
「問題はまともじゃない考えを『社論』だとして、社の幹部連中が絶対服従させようとしてくる点にある」
「つまり部長は『社論』などに従わないというわけですか?」社会部デスクが執拗に食い下がる。
「しかしその『社論』の社会的受けは非常に悪いという現実を直視すべきだ。我が社(ASH新聞)の『社論』が社会に受け入れられなくなりつつある今、『社論』以外の価値観を認めない『社論』オンリーの一本足打法では致命的になる。その『社論』以外の価値観を我々社会部で担う」
そして社会部長は絶妙の間をとりつつ結論へ——
「社会部の半独立を社の上層部に容認させる」
「半独立? 益々何のことか解りませんが」とまだ食い下がる社会部デスク。
「さっき君は『党内民主主義』などと言っていたが、我々が目指すのは『社内民主主義』だ。我々社会部が政権交代の一番手・野党第一党の役割を担うことを社の上層部が認めざるを得ないところへと持っていく。後はASH新聞の経営が傾けば傾くほど、社内で現政権に対する不満が高まり、我々の方へと社員達の支持が集まるというわけだ」
「しかしそれを待つだけでは時間をいたずらに浪費するだけです!」
これを言ったのは天狗騨だった。「国立追悼施設を巡る前言翻しの節操無しな紙面を造ってしまった後ですよ! 後どれだけの猶予がこのASH新聞にありますか⁉」天狗騨が社会部長に迫る。
「残念ながらそうだな」社会部長はあっさりとそれを認めた。「だから天狗騨、お前には一年で結果を出してもらわねばならん」
「一年? 結果?」
「お前はいろいろ社内で言いたい放題言ってやりたい放題やってここまで来たわけだが、何か成果として結実したことが一度でもあったか? 厳しいことを言うが現状記名記事の一本も書けてないだろう」
「む……」さすがの天狗騨記者もこれにはぐうの音も出ない。
なにしろ天狗騨はこれまでは感情の赴くまま気分の赴くまま暴れているだけの人だったからだ。その割りにほとんど何もペナルティーを食っていないのが天狗騨らしいと言えばらしい。
「発言に影響力を持たせるには会社の中である程度偉くなってもらわなくては話しにならん」
「どうやって偉くなるんです?」
「……」
偉くなり方が解らない、と真顔で問う天狗騨記者。
「……テストが要るな」社会部長は言った。
「ではさっそく!」と天狗騨記者。
だが社会部長は自身の腕時計を見る。
「もうこの場はお開きだ。社会部が仕事をさぼってるなどと悪評を立てられたらアウトだからな」社会部長は立ち上がりながら「マスターお勘定!」。
「ほーい」と喫茶店マスターのお返事。
こうしてこの奇妙な喫茶店会談は終わった。今から社に戻って時間ギリギリというタイミングだった。
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