第百三十八話【天狗騨記者、アメリカ栄転?】

「この天狗騨がアメリカからヘッドハンティング⁉」素っ頓狂な裏返ったような声を上げたのは社会部デスクだった。

「コイツはろくに英会話もできないんですよ!」とあからさまにバカにしたひと言も付け加えた。


 当の天狗騨記者本人も口を開いた。

「私にはアメリカ人の知り合いは一人しかいません。それもついこの間知り合ったばかり。その上明らかに互いに親近感を抱いてはいないと断言できる人間です」


 天狗騨の頭の中にはもちろんその人物の姿があった。、その人だった。


 社会部長が口を開く。

「二人の疑問に手短に答える。天狗騨、正にその〝一人〟、あの東京支局長だ。英会話についてはアイビーリーグの大学院にツテがあるそうだ。先方が言うには『卒業する頃にはできるようになっている』、ということだ。ま、『習うより慣れろ』ということなんだろう」


「受験はどうするんです? まさかその〝ツテ〟を使うと何もしないで入れるとか言うんじゃないでしょうね?」持ってしまった猜疑心を隠そうともしない声で天狗騨が言った。


「俺も不思議に思ってそれを訊いたら『日本の世襲政治家の息子だって入っている』とさ」社会部長は答えた。


「それは、あまり名誉なことじゃないですね」


 天狗騨個人の思いとしては『どんな名前だろうとこの歳になってもう一回大学になど行きたくない』なのである。記者になるために学士の資格が必要だから一回は行ったが、大学で教授とガチバトルした後のその後の扱いから彼は大学にろくな思い出は無いのである。


「しかしそれはあくまで転職のための下準備でしょう? その先はどうなるんです? 私をニューヨークのリベラル新聞社の社員にしてくれるんですか?」


「いや、転職先はメディアじゃない。名門シンクタンク、だそうだ」


「それじゃあ『日本の世襲政治家の息子』そのまんまのコースじゃないですか」


「そうだな」


「いったいなんのために? 私はもちろん総理大臣経験者の息子でも孫でもありませんよ」


「訊きたいのはこっちだ!」

 本来なら社会部長が答える順番というのに怒声とともに割り込んで来たのは社会部デスク。

「なんでこんなヤツがアメリカの名門大学の大学院に無試験で入れるんだ! しかもその後はシンクタンク? こんな不条理があっていいんですか⁉」もう怒りが収まらなくなっている。


 しかし天狗騨記者は喜んではいない。むしろ怪しんでいる。

「これは私にASH新聞を辞めさせる策では?」と口にした。


 これがさらに社会部デスクの怒りに、さらに油を注いだ。

「自分を会社に無くてはならない存在のように言うな天狗騨っ!」


「俺は案外ソレが動機なんじゃないかと思っているがな」しかし社会部長はあっさり言った。


「コイツは公然と社論に逆らい組織の和を乱すトラブルメーカーですよ!」すかさず社会部デスクが異議を唱える。


「我々は腐ってもASH新聞だ」社会部長は言った。


「『腐っても』は余計です」

 しかし社会部長はそのツッコミを無視し話しを続ける。


「天狗騨の価値観とASH新聞というブランドが融合を果たしたら、アメリカの価値観を根底から揺さぶる恐るべき影響力を日本社会に与えると、そう思われたのかもしれない。逆に言うと天狗騨には再びASH新聞を日本のオピニオンリーダーの地位に押し上げる可能性がある」


「買いかぶりすぎですよ! コイツがそんなたいそうな者であるわけない!」


「そうかな? あのアメリカ人とのやり取りを生で聞いていた身としては、むしろそうした可能性を考えない方が奇異に見えるが」


「私にはそうは見えませんでしたが!」


「アメリカ人にとっちゃWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)解除の刻がいよいよ現実のものになってきた、というところじゃないか」


「それは『歴史修正主義』です!」


「そのことばは遂に天狗騨には通じなかったがな」


「……」


「一ついいでしょうか?」ここで天狗騨が口を開いた。


「うん」と応じる社会部長。


「私はそのような虚言に乗りASH新聞を退社するつもりなどはありません!」


「私はあのアメリカ人がなぜ私の所にこの話しを持ってきたかを考えている——」

 なぜか天狗騨の残留宣言に積極的に応じようとしない社会部長。

「——こういう場合は普通なら本人に直接話しを持ってくる筈、そうだろう?」


「何かを企んでいるのは間違いないですね」と天狗騨が応じた。


「見方を変えれば一人〝証人〟を立ち会わせているとも言える。虚言を弄しているとは思えない」


「しかしあまりに話しが上手すぎるのでは?」

 天狗騨記者は疑い深い。


「確かにそう感じる。が、あのアメリカ人は駐日大使のパーティーには欠かさず出席しているし、政界の有力者になにかのコネクションがあっても不思議ない。天狗騨、俺が確認したいのは、これが虚言じゃないとしてもASH新聞を退社するつもりは無いか、ってことだ」


「むろんです! 私はイジメ問題撲滅という社会正義実現のため社会部記者になったのです! アメリカのシンクタンクへ行っても日本のイジメ問題解決にはなんの解決にもなりません!」


「私にはこの集まりの意味が解らなくなった!」唐突に社会部デスクが両手を挙げた。


 社会部長はそんな社会部デスクに視線を向ける。

「これくらい解るだろう? 天狗騨をみすみすアメリカなどに渡せるか。人材を引き抜かれないためには好条件の提示は当然のことだろう?」


「それが社会部挙げての天狗騨支援ですか?」


「そうだ。これでこの集まりの意味が解ったろう? そしてたった今天狗騨本人の意志を確認した」


「私はそんなの嫌だ!」社会部デスクがそれでも抵抗した。


 社会部長は眉間に皺を寄せた。

「君は今し方『こんな不条理があっていいんですか』と言ったろう。なら君には天狗騨支援に反対する動機は無い」


「それは一方的な断定です!」


「そうかな? 正直な気持ちの吐露に思えたが。天狗騨にはアメリカ栄転という未来がある。その一方で我々二人には未来は無い」


「なななな、なぜ⁉」声が震え始める社会部デスク。


「なぜもなにも、薄々自覚してなきゃおかしい。あの『国立追悼施設』の華麗なる手の平返しでな」


「たかがそれくらいのこと! その程度今までだって大丈夫だった!」叫ぶ社会部デスク。


 しかし社会部長の目は冷たいまま。そんな目をしたまま喋り始める。

「あのアメリカ人が天狗騨を引き抜く文句として何と言ったと思う? 『テングダはラッキーだ。沈みかカッタ泥舟カラ、一足早く逃げラレルのダカラナ』だ。アメリカ人から見てもこのASH新聞社は倒産寸前に見えているんだ」

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