第百三十七話【銀座・老舗喫茶店での密談、始まる】

 社会部長行きつけの銀座の喫茶店は若者好みのアメリカ資本の店ではない。いつからそこに店があるか分からないくらいの古い小さな喫茶店。


 昼、その喫茶店に三人の中年男が入ってきた。りんりんと鳴る鈴の音。


「マスター、いつものやつ三つ」社会部長が店に入るなりオーダーした。ふたりの同行者の好みなどまったくどこ吹く風。


「今日はひとりじゃないんだ。珍しいね」と、復唱も了解の意志も見せずマスターが応じた。


 社会部長はマスターに向かって軽く右手を上げると先頭に立ったまま四人掛けの席を目指し歩いて行く。そしてその席の一角に腰を下ろした。

 その部長の隣に座るというのも座りにくいらしく、あと二人は向かいの席に並んで腰を下ろした。しかし遠慮がちだったのはそこまで。うち一人の方が〝ようやく〟とばかり、さっそく切り出し始めた。


「部長、なんで私が天狗騨といっしょにコーヒーを相伴しなきゃいけないのです? まずその理由からお願いしたい!」その声の主は社会部デスクだった。

 そう、この場に来ているのは、社会部長と天狗騨記者の二人ではなく、プラス社会部デスクの三人なのである。


「まどろっこしい話しはしない。君は天狗騨が査問にかけられるという話しは聞いているな?」と社会部長は社会部デスクに訊いた。


「論説委員室での傍若無人、自業自得ですな」社会部デスクは底意地が悪そうな笑みを浮かべ言った。天狗騨記者がASH新聞から放り出され路頭に迷う様を想像していると、誰にでも解るような顔をしていた。


 しかし社会部長は無造作にその〝感情〟を無視した。

 『こんな話し社内ではできないだろ? だからこの喫茶店にまで来たのだ』と、言外にその理由を明かした。


 社会部デスクはまずあんぐりと口を開け、次の瞬間にはもう、

「なぜ我々がそんなことをしなければならないのですか⁉」と激しく気色ばんでいた。


 しかし社会部長にはこの反応は織り込み済みだったか、

「『国立追悼施設』を巡って、これまでの社論をバッタリ変える無節操ぶり。こうした体質を社内発で変えていけなければこの新聞に未来は無い。立派な大義があるじゃないか」と美しいことばを放った。


「そんなものはその意志を持った個人がやればいい!」

 明らかに社会部デスクは『大義のために死にたくない』と言い始めた。


「それは散々天狗騨がやって来たと思うが」社会部長は言った。


 これには沈黙してしまう社会部デスク。そして再び口を開く社会部長。


「だから部内で一番反対しそうな君を説得するためにこの席を設けたのだ」と事も無げに言ってのけた。

 この言に『黙ってばかりいては益々不利になる』と思ったか、社会部デスクが口を開こうとすると今度は社会部長はそれを制し、

「天狗騨、そういう方向性でのバックアップが決まったら、乗るか、それとも降りるか?」と訊いた。


「そりゃもちろん乗らせて頂けるなら、それはそれでありがたいことだと思いますが——」

 天狗騨記者としては狐につままれたような話しである。なにせ自身の行動に組織が協力してくれたという体験など、これまでただの一度もしていないのだから。


「ちょっと待って下さいよ部長! コイツが路頭に迷おうとそれは身から出たさびですが、関係無い我々まで巻き込んで会社と戦争するなんて冗談じゃない!」社会部デスクが大声で異議を唱える。わざと『戦争』という語彙を使い、あたかも自身を『戦争反対者』の如くデコレーションしたのだった。


 ここでコーヒーが三つ運ばれてきた。

 テーブルの上に置かれたコーヒーカップを手に取りぐいと一口、社会部デスク。

「ンがッ」と奇妙な声が漏れた。

 運ばれてきたコーヒーはブラック。たまたま社会部デスクの好みじゃなかった。


 天狗騨もコーヒーカップを取った。そして一口。天狗騨の方はブラックもけっこういける口であった。

「なるほど」と天狗騨は短く口にした。


「なにを『なるほど』と思った?」社会部長は訊いた。


「『俺の決めた方針で協力してもらうぞ』という有無を言わさぬ意志をこの三つの〝ブラック〟に感じました」


 社会部長は肯くとコーヒーカップを手に取り旨そうに一口飲んだ。まんざらでもない表情である。


「あなたがそんな人だとは思わなかった! そんな傍若無人な行状はパワハラ上司そのものだ!」社会部デスクが叫ぶように言った。


 ここで珍しく天狗騨記者が社会部デスクの肩を持った。

「気分としては部を挙げてのバックアップは嬉しいですが、やはり『内心の自由』という問題があります。私に協力したくないという他人の『内心の自由』を曲げて無理矢理協力させるというのは応援されても嬉しくはありません」


 社会部長が口元に僅かに皺を寄せ笑った。

「天狗騨、わざわざここへ呼ばれた理由が、実現するかどうかも怪しい『社会部挙げてのバックアップ』というのも奇妙じゃないか?」


「言われてみれば……、確かにそうですね」天狗騨は答えた。


 今度は社会部長は社会部デスクの顔を見た。

「君は天狗騨がこの先『生活に困る』と思っているだろう?」

 あまりに露骨な問いに、しどろもどろになる社会部デスク。


「残念ながら、と敢えて言うが、天狗騨は生活に困らないし、路頭にも迷わない」社会部長は断言した。


「フリージャーナリストとしてでも、この仕事で生きていく覚悟はあります!」と天狗騨記者がすかさず応じた。


「なにを言っている? フリージャーナリストじゃ今より生活に困るのは確実だし、今の時代、元ASH新聞記者の肩書きでは『路頭に迷わない』とも言い切れないぞ」社会部長は言った。


「……」

 さすがにこの言い様には絶句する天狗騨記者。その天狗騨に社会部長はこう言った。

「路頭に迷わないというのはな、天狗騨。お前にアメリカからヘッドハンティングの話しが来ているんだ。こんな『余所へ移る』なんて話しを堂々社内でできるわけないだろう」

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