第百三十六話【『面白いニュース』と『悪いニュース』】

 社会部長は先ほどまで天狗騨記者が腰掛けていた石造りの植え込みスペースの縁に腰を下ろし、まるでさっきまでの天狗騨のように脚を組んだ。そうして、

「会社の真っ正面で仕事をサボるとは、益々印象がよろしくなくなるな」と口にした。


「記者に向かって『取材に行くな』と言ったのは元々上層部の連中ですがね」と天狗騨は応じた。

 天狗騨記者は中国集鑫兵国家主席の国賓訪日中、自らが勤めるASH新聞社に〝取材禁止令〟を出された身である。


「まだ根に持ってるな」


「当然です」

 しかし天狗騨としては解らない事だらけだった。部長がこの時間に外に出る用事などある筈がないのだ。会社の上司と並んで植え込みスペースの縁に座るというのも妙なので、天狗騨は立ったまま社会部長に訊いた。

「つまり部長は私に用があるという事ですか?」


「そうだ」


「よくここにいると分かりましたね」


「そりゃあ、有名人がこんな目立つ場所にいたんじゃあな」


「有名人? この私がですか?」


「少しは自覚を持った方がいい。ほら、そこの守衛さんにまで顔を覚えられている。会社の正面でここまで堂々不審者をやっていて、声もかけられないだろう」


「誰だか解ってるってことですか?」


「そうだ。今や海の向こうでさえそうなりつつある」


「何のことです?」


「まあそれについてはいずれおいおいと、だ。で、時に天狗騨、伝達事項が二点ある。『面白いニュース』と『悪いニュース』だ。どちらから訊きたい?」


 天狗騨はこの物言いに違和感を感じた。『悪いニュース』と組み合わせるならそこは『良いニュース』と表現すべきだろうと。


「では『面白いニュース』から」


 社会部長は肯くと語り出した。

「加堂首相は国立追悼施設に対することを発表した」


「本当ですか⁉」


「これで全ての国会議員を集めて追悼行事をすることは事実上不可能となった。今後、お前が気にかけていた『強制参拝』は無い」


「しかしその加堂内閣がどこまで保ちますか? 後継の首相が諸外国の修正要求を全て呑んでしまったら『強制参拝』の危険は続きますがね」


「修正を呑む、か。そこはどうだろうな、そうなると与党の支持基盤がどれだけ崩れるか。まあ民衆党に政権交代したらそこいらは問題は無いだろうが」


「確実にウチの社(ASH新聞)はその方向で動くでしょう。なるほど、なぜ部長が『良いニュース』という表現を使わなかったのか解りました。つまり『悪いニュース』とは諸外国の満足いくように国立追悼施設を改造し強制参拝が再び可能となるよう、加堂内閣を倒閣する動きが早速始まっているという事ですね?」


「そうだ。案の定〝加堂降ろし〟が始まっている」


「つい一ヶ月ほど前の参院選では勝ったばかりだろうに」


「衆院の任期の方は一年を切っているという事だろう」


「チッ、議員ども、またぞろか」


「毎度のパターンだな」短く社会部長が応じた。


「あれほど国立追悼施設を支持してきたってのに、自分の身分だけには執着しやがって!」天狗騨は吐き捨てた。


 しかし社会部長はまったく違うことを口にした。

「だが『悪いニュース』ってのはそんな予想通りのニュースじゃない。天狗騨、近々お前の査問が行われる」


「さもん?」天狗騨はそのことばを反芻した。


「会社の上層部がお前を査問にかけたいらしい。この間の論説委員室での大暴れが効いている」


「何をどう訊かれようと反論は容易いことです」


(そりゃアメリカ人相手にあそこまでやり合ったのではな)と社会部長は思ったが、事はそういう問題ではない。

「端的に言ってASH新聞社員としての身分が危うくなっている。まずは支局への左遷が既定路線だ」社会部長は言った。


「そうですか、まあそういう事も〝さもありなん〟とは思っていましたが、ジャーナリストが上司の顔色を覗い始めたら終いですよ」

 天狗騨記者は頭のネジが飛んでいるようなところがある人間なので〝失業〟の二文字が頭の中に無い。


「うん、そういう回答で来るとは思っていた。だが〝お終い〟では困る者もいる」


「どういうことです?」天狗騨が訊いた。


「銀座に私の行きつけの喫茶店がある。今日の昼つき合ってくれ」社会部長はそう言い渡した。


 『銀座に行きつけの喫茶店がある』とはどれほどの洒落者か、といった感じだがASH新聞東京本社は銀座の外れにある。だから通勤路と言えば通勤路、通り道なのである。元々ASH新聞は銀座とゆかりが深い。初代社屋が銀座そのもの、二代目社屋が有楽町駅前に建っていた。

 ちなみにその二代目社屋には9条護憲新聞に似合わず『軍艦ビル』との異名もあった。


 社会部長が何の話しをするつもりか分からなかったが、ともかくも天狗騨は、

「分かりました」と返事した。


「念を押しておくが天狗騨、これは〝仕事の話し〟じゃない」さらに社会部長が念入りに念を入れた。

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