第百三十五話【虚しき勝者? 天狗騨記者】

 ほぼ同時刻、東京都C区TKJ、ASH新聞東京本社入り口ド真ん前、石造りの植え込みスペースの縁に天狗騨記者が脚を組み堂々腰掛けていた。

 『今日も残暑厳しい一日になる』との予報の中、直射日光を浴び続けている。ASH新聞東京本社に出入りするあらゆる人間の視線も浴び続けている。

 そんな中、独り天狗騨は考え続けている。


(国立追悼施設は……失敗に終わった。これは俺の望みだ……)


 これは厳密には『国立追悼施設の神格化』の失敗、を意味する。国立追悼施設の建設目的が『靖國神社に取って代える』目的なのであるから、代えられなかった時点で〝推進派〟としては完全に失敗なのである。


(だが、失敗させたのは俺じゃない。俺は中国国家主席の感情を利用しただけだ……俺の会社の上司、同僚……俺の本当の主張などまともに聞く者は誰もいなかった……なのに外国が怒った途端に手の平返しやがって——)


 相変わらず背広の前のボタンをとめず、ワイシャツのボタンを上までとめず、ネクタイはゆるんだままである。その風体が似つかわしい精神状態にこの男はあった。まだ午前9時代だが早くも気温は上昇曲線、ダラダラ流れ落ちる汗も気にかけず。


(だが、最初のきっかけは中国でも国立追悼施設を失敗させたのは中国じゃない。『中国が非難している』という記事だけじゃ潰すことはできなかった——。アメリカだ! アメリカ政府が非難をした後のオレの会社の新聞紙面はなんだ? 『A級戦犯』を持ち出された途端にパクッと釣られやがって)


(いやASH新聞だけじゃない。どいつもこいつもワシントンの代理人みたいな紙面を造りやがって!)


(いつまで『A級戦犯』なんて価値観に神通力があると思ってるんだ?)


(『A級戦犯』と聞いた途端に考えることを停止し服従する。これはナニカの宗教か?)


(過去を遡っても、この現在まで視野を広げてみても、アメリカ人にも一人もいないし、ロシア人にも一人もいない。日本人処罰目的で造られた『価値観』だ。対象が日本人限定なのだから明らかな人種差別・民族差別だろう。現在の価値観では存在することすら許されない価値観、それが『A級戦犯』だ)


(『A級戦犯』を追悼対象に含むと日米同盟が傷つく? 日本人を永遠に犯罪者にしておくことで成り立つ『同盟』など同盟ではない。だいいち——)


「——日米同盟を傷つけただけで政権を危うくできるなら、どうやって沖縄米軍基地問題や日米地位協定問題を解決すると言うんだっっっっ⁉」天狗騨は思わず声に出して叫び、偶然近くを通りかかった人間がぎょっとした顔で一瞬天狗騨を見た。だがすぐに知らぬ顔に戻りそそくさとその場を立ち去っていく。



 時に、古溝官房長官はアメリカについてこんなことを思っていた。

 〔それとも腹の底になにかがあって故意に日本に於ける反米感情をアメリカ合衆国自身が煽っているのか?〕と。

 日本の政治家には誰しもどこか〝親中傾向〟があり、それが物事の解釈に歪みを与えている。

 天狗騨記者にはソレがまったく無いため、いとも容易く的を射抜く事ができる。

(アメリカが中国によるウイグル人ジェノサイドを指弾しているその横で、中国国家主席を国賓にして招待するような日本の首相は手段を選ばず潰すということだ)



 天狗騨記者は再び黙考状態に戻る。

(『内心の自由』を護ることは正しい。国会議員も、国民もほとんどの人間が正しいと考える筈だ——)


(世論調査で懸けてもいい)


(強制参拝など論外だというのにその正しさを、正しいというのに誰にも理解されない一方で、外国政府が何かを言った途端に世論が瞬間的に変わる……)


(結果オーライでは割り切れない)


(皮肉な事に今の靖國神社には自由がある。

(他方国立追悼施設には自由は無い。

(失敗する前はそういう施設だったろうが)


(これにも懲りず会社の奴ら、まだ国立追悼施設に執着してやがる)


 ASH新聞紙面では臆面も無く、ASH的御用識者を総動員して『わたしならこう変える・国立追悼施設』という記事が連載されていたのだった。

 『A級戦犯を追悼対象から除く、と明確にした国立追悼施設建設』に邁進しようとしていた。


 だが天狗騨に言わせればこれこそが狂気の道であった。

 そうなった暁には加堂首相の行った如き全国会議員の強制参拝を再び激しく支持し出すことが、あまりにあからさまに目に見えていたからである。


「ひょっとしてオレは別の意味で靖國支持派になってしまったのかもしれん……」天狗騨が静かにつぶやいた。そしてゆらゆらりと立ち上がる……


「キシャアアアアアアアァァァァァッッッッ!!!!!!」突如、そして久々天狗騨が叫んだ。通行人がとっさに振り向いた。

 


 その通行人は直後振り向いた事を後悔した風で一刻も早くその場を離れようと歩を急いだ。それはそうだろう。さぞかし危ない人に見えたことだろう。比較的いつものことではあるが。


 そうした危なさそうな人間の方へと躊躇いもせず近づいていく人間が一人いた。

「天狗騨、ずいぶん荒れてるな」

 それは社会部長だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る