第百三十三話【古溝官房長官の『戦没者追悼論』】

 本当は病院の廊下などで油を売っていてはいけない。だがぼーっと考え事をしてしまっている古溝官房長官であった。腕時計に目を落とす。

(ま、15分くらいはいいか——)



(——結局靖國神社の方が国立追悼施設よりも人を集めている。衆参全国会議員を集めた未曾有の追悼大会を実行した事実があるにも関わらず、だ。この国立追悼施設叩きの中では来年同じように国会議員を動員するのは無理だな……)


 古溝は嘆息する。


(『靖國神社より明らかに人を集められないでは済まされん』、って総理が力説してたなぁ……)


 古溝は昨夜のニュース番組を思い出していた。『国立追悼施設の失敗が明らかになった以上、靖國神社の方は今どうなっているのか?』と、そういう特集系ニュース番組だった。

 番組内では靖國神社に参拝した人の数について報じていたのである。


 『国立追悼施設ができる前、即ち昨年と同様の人数が集まった』、と報じていた。『その一方で国立追悼施設はさっぱりだった』、とも報じていた。



(都心にある靖國神社とは交通の便が違いすぎる)と古溝は思ってみたものの、交通だけにその原因を求めるのには無理があることもまた理解していた。


(結局済んでしまったなぁ。人を集められなくても……)



 靖國神社が昨年と同様の参拝者を集めた意味を古溝は考えている。尚考える。考えざるを得ない。どうしても考えてしまう。その数は国立追悼施設など造る意味は無かったことの証明のようにしか思えなかったから。


(国立追悼施設が国際問題になるとは、これでは自らの手で問題を造り出してしまったようなものだ。問題を解決しようとして新たな問題を造り出してしまうとは、いったい何のために造ったというのか……)心に有るは、ひたすらの虚無感。


(総理は「歴史の長さ」しか眼中に無かったが、やはり靖國神社と新造営の国立追悼施設には『決定的な違い』があったんだなぁ)改めて古溝はそう思った。


(国立追悼施設を造る前から言っていれば良かったのか……? 気づいてはいたのだが……)



(マスコミ連中が求めていたのはだった。それは間違いない。が、〝国立追悼施設の性格〟では靖國の代替などにはならないのだから、国立追悼施設を造る意味など最初から無かった。やらなくてもいいことをやって政権の寿命を縮めてしまった)


(言っておいたら、そうすれば一廉の者だったかもしれない。が、今さらそれを言っても後知恵と言われるに過ぎないなぁ……)


 それでも古溝はそれを考えてしまった。それはそう難しくない考え方だった。


(靖國神社は祀られている人を『英霊』として祀ってある。ただの可哀想な犠牲者では終わらない。なかなか表現が難しいが、追悼対象者を目を細め眩しい空を仰ぎ見るような感覚がある)


(国立追悼施設は祀られている人を『可哀想な犠牲者』として祀ってある。相手を可哀想と思うというのはそれはそれで思いやりがある心持ちなのだが、どこか自分の方を上に置いている。逆に言うと見下ろしているような感覚がある)


(国立追悼施設も靖國神社も基本は〝故人の霊を慰める〟なのだが、それに付随して何事か祈ったり願ったりもする。例えば「平和」とか。その場合『可哀想な犠牲者』に祈ったり願ったりしてどうにかしてもらおうというのは妙な話だ)


(まだ平時はいい。本気で祈ったり願ったりするのは自分達がほとほと極限に困った有事の時だ。しかしそんな時、祈ったり願ったりの相手が『可哀想な犠牲者』ではあまりに頼りないではないか。この方々にはお願いできないではないか。やはり祈ったり願ったりする対象は何らかの頼もしさがなければ、となる。それが『英霊』という表現に集約される)


(この辺が靖國反対派の言う「靖國神社は戦争を美化している」に繋がるようだ。だがここは靖國神社の欠点、弱点に見えて、実は長所であり強みではないか。『可哀想な犠牲者』と表現するにせよ『英霊』と表現するにせよ死んだ人々には違いない。死んでしまった人々に頼もしさを求めるのは、ある種の合理主義者に言わせればきっとナンセンスなのだろう)


(だが世界の現状は不穏だ。これからの日本に真の国難と言える時が来る。〝平和憲法〟を熱心に拝み続けても歴史は永遠に平穏のままは流れない。そういう時がきっとやって来てしまう。そういう時精神的支柱は必要とされ、精神的支柱たり得るのは『可哀想な犠牲者』ではなく『英霊』の方だ。自分たちが苦しいときに祈ったり願ったりできる相手は『可哀想な犠牲者』ではなく『英霊』なのだ)


(国難の時、人を集めるのは国立追悼施設ではなく、きっと靖國神社だろうな。日本国が外国から侵略を受けた刻には)古溝はそこまで考えていた。



 古溝は病院廊下の天井を見上げた。


(もし外国の抗議が無かったとしても国立追悼施設が靖國神社の代わりをする事は難しかっただろう。同じ『追悼』でも中身がまるで違うのだから。せいぜい良くて〝共存〟だ。歴史が長く続けば権威が付いて〝取って代われる〟と心底信じていたあの総理にはきっと理解できなかっただろうが……)


「……そういうつもりならそんなものは無意味だと、止めていればなぁ……」古溝はわざわざ声に出してしまった。

 しかし——(こんな事にはならなかった)と続いていく後半の言葉を古溝は飲み込んだ。今さら言ってもしょうがないことであったからだ。口の中でひどく苦い味がしたような気がした。


 だが現役の政治家としては感傷的な物思いにふけっている場合ではない。自分達の行状(国立追悼施設建設)で政治的国難を招き寄せてしまったからだ。

 中華人民共和国とアメリカ合衆国、この二国との外交関係を同時に悪くする首相もなかなかいるものではない。

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