第百三十二話【山柿外相の弁明】
あれから三日ばかりの後、東京都S区S町K大付属病院に古溝官房長官はいた。緊急入院してしまった山柿元外相を見舞うためである。とは言え〝フルーツバスケット〟もわざとらしい。敢えて手ぶらで参上した。
古溝は山柿のいる特別室へと案内された。一応案内役は看護師である。
(やっぱり元気そうじゃないか)率直にそう思ってしまった古溝だったが、政治家たる者、真っ正直に思ったことを口には出さない。
しかし〝修辞〟を交わすためにここまで来たわけでもない。どのみち面会時間は限られている。そう病院側から釘を刺されている。むろん〝患者本人が頼んで言わせたのだろう〟とも古溝は思っていたが。
看護師は気を利かせたのか他に忙しい用事が立て込んでいるのか、案内を終えると早々にこの特別な病室から出て行ってしまった。
二人だけとなったところで古溝が切り出した。
「総理はえらくご立腹ですよ。山柿さんも政府の役職を離れても自明党の一員であることは間違いないんですから、党内融和のためにも相応の挨拶は早めにしておいた方がいいですよ」
ベッドの上で上半身を起こしている山柿元外相はその〝提案〟には応えず、逆に古溝に訊いてきた。
「古溝官房長官、いや、今も官房長官で良かったのか?」
〝古溝の運命〟の方に話しを逸らした。
(まともに答える気はナシか)
「ええ、辞表は出しましたが取り敢えずはまだ職は解かれておりません。総理は内閣改造で乗り切るつもりです。その時に私はお役ご免でしょう」古溝は答えた。
「まだ続けるつもりなのか?」
「粘れるところまで粘るつもりみたいですよ。それくらい怒っています」
「全部私のせいだと言うつもりか⁉ 国立追悼施設は完璧だったんだ」山柿はまだ国立追悼施設を正当化してみせた。
「あののっぺらぼうの石の柱の意味が誰にも解らなかったということですよ」
「官房長官! それは不正確なもの言いだ! 『のっぺらぼうの石の柱が10基ある』と言ってこそ本当に国立追悼施設を理解していると言えるのだ!」
「だったら一番理解しているあなたが国立追悼施設について改めて各方面に説明すべきでしょう。確か、『シンボル論』、でしたかな」
「そっ、そんなもの言えるわけないだろう! 国立追悼施設が宗教になる!」山柿は慌てふためいて古溝の言を否定した。
古溝はそれ以上なにも言わなかった。しかしこうは思っていた。
(現代日本が主催する新興宗教という理解で合ってはいるとは思うが)
さて、時に、である。山柿元外相と古溝官房長官の間では了解済みの『シンボル論』。それはいったいどういうものであろうか?
山柿は以前、『国立追悼施設』についてこんなことを述べていた。
「キリスト教における十字架のようなものだ。じゃあ〝十字架〟とは何かということになるが、それはシンボルだ。十字架はキリスト教のシンボルなのだ。こうした〝シンボル化〟こそが国立追悼施設成功のために必要なのだ」と。
『のっぺらぼうの石の柱を10基並べる』という〝山柿案〟が提示されたとき、国立追悼施設建設作業チームの中から、当然懸念の声が出た。
「追悼対象を個々人の内心に委ねるという趣旨は解りましたが、石になにも文字を刻まないとすると、追悼者が誰を追悼しているのか外からはさっぱり見えないことになります」と。
「そのために同じ物を10基用意するのだ」山柿は答えた。
「しかしですね、或る特定の1基を選んで黙祷したとして、善意の者は『一般の戦没者を追悼してA級戦犯を追悼しなかった』と考えてくれるでしょうが、悪意の者は逆に『A級戦犯を追悼して一般の戦没者を追悼しなかった』と解釈してくると予想されます。追悼後『誰を追悼したのか?』と記者連中にいちいち訊かれますよ」
「そんなものにまともに答える必要は無い。それこそ今君が言ったとおり『悪意がある』と面前で言ってしまえばいいんだ!」
とは言うもののこれだけではいささか乱暴な主張となる。『懸念ナシ』とは言い難い。
この懸念に対抗しうる山柿の〝答え〟が『シンボル論』だった。それは以下のようなものである。
〝十字架〟にはそれ自体にはなんの説明文も解説文も刻まれてはいないが、誰しもそれをキリスト教と結びつけてしまう。そこに疑問や疑義が入り込む余地は一切無い。
例えば『処刑具がキリスト教を象徴するとは許し難い!』と言ってキリスト教と十字架を切り離そうとする人間は、世界のどこにも見当たらない。これがシンボルというものである。
『のっぺらぼうの石の柱を10基並べる』というこの形態を日本の国立追悼施設のシンボルのレベルにまで引き上げられれば、つまらない一切のツッコミはできなくなる、というのが〝山柿理論〟なのである。つまりはシンボル化である。
ただ、シンボル化のためには権威が必要である。キリスト教には二千年以上の歴史の権威があるが日本の国立追悼施設には長い時間が造り上げた権威というものは無い。しかしシンボル化のためには権威は必要不可欠である。
手っ取り早く権威をつけるには『史上初』という看板が最適だろう。そのための【衆参全国会議員参加の国立追悼施設における初の大追悼大会】なのである。
毎年8月15日に武道館で行われる戦没者追悼式典も〝全国会議員参加〟とはなっていない。国会議員を全員参加させれば史上初の出来事となる。そして史上初の出来事は現実に起こったのだ。
山柿に言わせればここまで事が成った以上はこれはもう〝失敗する筈の無い計画〟だった。
しかしこの〝山柿理論〟にはひとつ欠陥があった。その欠陥についてはさっき本人が言ったとおり、山柿自身が一番よく理解していた。
『シンボル論』を語り出すと、国立追悼施設が宗教施設になってしまうのである。
古溝官房長官としては、もうこの病室にこれ以上長居する理由も無かった。
「では言うべき事も言いましたし、後はご自身の判断ということになりますね」古溝は言った。
山柿元外相は返事もしなかった。古溝のことばには『総理に謝るか謝らないか、あなたの判断を見ておきましょう』という〝嫌み〟しかなかったからである。
返答が戻ってこないことを確認し、古溝はこの場を辞すことにした。
しかし当の古溝もそんな〝嫌み〟で心の内が晴れるわけではない。
病室を出ると、廊下に並べられた椅子の一脚に腰掛け、そしてつぶやいた。
「疲れたなぁ……」
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