第百三十話【やはりアメリカ人は『A級戦犯』と聞くと脊髄反射となる】

「総理、大変です! 米四大紙が揃って国立追悼施設非難です!」古溝官房長官のそのことばに加堂首相の血相がサッと変わる。


「なに⁉ どうしてアメリカがこんなことに首を突っ込んで来る? 靖國じゃないんだぞ! アメリカが介入して事態が好転したことがあるのか? 却って状況を混乱させるだけだろうに!」加堂は一気にまくし立てると、

「その新聞を全部持ってこい‼」と怒鳴り声を上げた。


 直ちにインターネット版米四大紙の当該ページが印刷され、ブツが総理の元へと届く。加堂はそのA4の紙を奪うように手に取ると貪るように読み始める。


「なに? 『A級戦犯を最初から明確な形で除去しないからこうなる。日本側の配慮不足は明らかだ』、なんだこれは!」


「悪意丸出しですな」古溝は言った。


「アメリカ新聞め! 『A級戦犯』について曖昧にしたから国立追悼施設ができ上がったというのに我々の苦労などこれっぽっちも気にかけん!」

 言い終わるや加堂は印刷物を部屋にぶちまけた。その中の一枚を古溝が拾うとさすがの古溝も顔をしかめざるを得ないことが未だに平気で書かれている。


(アメリカの新聞というのは一流なのだろうか?)古溝は思った。


 『ドイツはナチスの罪を認め謝ったのに日本は未だそうした行為をしていないことが問題なのだ』

 平気でそんなことが書かれていた。『A級戦犯』がアメリカ人の、何十年経とうと未だ重要なキーワードになっているのは誰の目にも明らかだった。


(『ドイツ人はヒトラーを拝むことを許さない』、結局アメリカ人はそうした思考の延長線上でしか第二次大戦を見ることができないらしい)古溝は喝破した。


(そもそもナチスの罪とはなんだ? ナチスがなぜ悪いかと言えばユダヤ人をガス室なる殺人のための施設をわざわざ造った上で大量虐殺したからだ。どうしてユダヤ人をガス室で大量虐殺していない日本が同列になるのか? 国名という固有名詞を外して考えればこうした主張の異常性は一目瞭然だ)天狗騨記者ならずとも、古溝官房長官は思ってしまった。


(『ユダヤ人をガス室で大量虐殺した者は罪を認め謝った。さあユダヤ人をガス室で大量虐殺していない者が罪を認めず謝らないのはどうしてだ?』と真顔で言われたようなものだ。普通に頭がおかしい)


(殺人方法は必ずしもガス室のみではなかったとも聞くのでこうも言える。『ユダヤ人をホロコーストした者は罪を認め謝った。さあユダヤ人をホロコーストしていない者が罪を認めず謝らないのはどうしてだ?』と真顔で言われたようなものだ。やはり普通に頭がおかしい)


(これではナチスが悪だと定義できる根拠がガス室に於けるユダヤ人虐殺の実行、即ちホロコーストには無いことになる。だが〝ナチス=悪〟と定義できる別の根拠など聞いたこともない。『開戦したのが悪だ』と言うつもりならそれこそナチスの罪を何十倍何百倍も薄める意味でしかない。古今東西人間の歴史は戦争の歴史だからだ。そもそもアメリカ人はホロコーストが特定民族の完全な絶滅を目的としていると知っているのか? それに『ドイツはナチスの罪を認め謝った』というのもおかしい。どうして『ドイツはドイツの罪を認め謝った』にならないのか? こんな他人事な謝り方で謝ったうちに入るなら日本などそれ以上の真摯な謝り方をとっくにしているのではないか)

 古溝はそうは思ったのだが現実の方こそが無茶苦茶だった。


 確かに言えることは、天狗騨記者がASH新聞社会部フロアでリベラルアメリカ人支局長の持つ歴史観を圧倒しても、それは結局〝田舎の局地戦〟でしかなかったのである。




 この日夕刻、とんでもない情報が入ってきた。

「なんだと?」

 外務省から電話報告を受けた加堂の目がつり上がっていた。アメリカ国務省の声明が発表されたとのことだった。

「ここに直接説明に来い!」

 加堂首相は直ちに外務官僚に説明を求め受話器を乱暴に投げた。だが説明するまでもなかった。原文をそのまま日本語訳にすればそれが全てだった。


『日本の戦没者追悼についての取り組みに失望している。米国は東アジア地域での緊張を高める行為を支持しない。近隣国との外交問題は話し合いを通じて解決されるのが望ましい』


 

 夕方以降のニュース番組は必ずこの国務省声明がトップかその次くらいにきていた。


(まずいな)古溝は思う。


 アメリカが日本に不快感を示しただけで日本国内の空気が変わる。案の定なことが起こっていた。この時点で潮目が変わっていた。



 次の日、

「YMU新聞が裏切りました」さすがの古溝も腹に据えかねるところがあり『裏切り』という直接的な表現でものを言った。


「奴らもまた『国立追悼施設を造れ』と主張していたな」加堂が言った。


「はい」と古溝が応ずる。


「今はなんと言っている?」


「やはり『A級戦犯の扱いについて曖昧にしたのが失敗だった』、と」


「それはアメリカの新聞と言っていることが同じではないか!」


「今までだってそんなものですよ。特に戦前の評価、戦後の価値観が絡んでくると」


「どいつもこいつもできもしないことをしたり顔で言いおって!」怒りを隠そうともしない加堂はさらに続けてまくし立てる。

「もし国立追悼施設から〝A級戦犯〟を取り除いて造ろうとしたらどうなっていたか解っているのか? 国会での答弁が事態をさらに複雑に悪化させるという発想が無いではないか! おそらくこう訊かれただろう。『総理、〝A級戦犯〟は犯罪者か犯罪者ではないか、政府の見解をお聞きしたい』と。そこでもしも『犯罪者だ』と言い切ってしまった場合、過去の国会決議との整合性を問われるし、何を根拠に犯罪者と言っているのか、その根拠を根掘り葉掘り訊かれることになる。まさか『法を後から作ったので犯罪者に該当する』では総理として、いや政治家としての資質が問われることになる。処罰の根拠は後から造れば良いなどと。まるで独裁者の台詞だ! 首相職に置いておくわけにはいかない危険人物として倒閣運動が起こされるのがオチだ。逆に『犯罪者ではない』と言ったら『追悼の対象に含めても問題ないではないか』と詰問される。またこの時点で中国や韓国が今回のように騒いでいた筈だ。本来アメリカ人が答えなければならない質問にどうして日本国の首相の私が苦しまなければならないのか! 東京裁判に正当性が無いから国会答弁が成り立たなくなる!」かなりの早口。


「まあ『東京裁判に正当性が無い』は口にするわけにはいかないでしょうが……」と古溝がなだめる。


「分かってる! だが〝A級戦犯〟云々で揉めているところに無警戒で踏み込んで話しをややこしくしているアメリカ人は自分で自分が嵌るためのドロ沼を掘っているという自覚があるのか!」これでもまだ加堂は言い足りなかったのか、


 」と首相であるにも関わらず最重量級の悪意を解き放った。


「ともかくアメリカがお怒りになった以上は政権が危うくなるのが悲しいかな日本です。覚悟だけはしておいた方がいいかもしれません」古溝は言った。


「なんだと?」 


「つまり国内外を含めてこの施設を支持する者が……、言いにくいのですがゼロになる可能性も……」


「だいたい外務大臣はどうしている⁉ アメリカに追悼問題介入を躊躇わせる活動をしていなかったのか⁉ 私の所に来て申し開きすらしないのか! 国立追悼施設は本人たっての希望で山柿外務大臣が進めていた案件だ。未だ官僚からの報告だけとはどういうことだ! 説明は外相自らがするのが筋じゃあないのかね? あいつは今からでもアメリカに行って誤解を解くための仕事をすべきじゃないか!」


「その事なのですが、外務大臣は逃げました。急に体調を崩したとかでK大付属病院へ緊急入院、だそうです。側近に辞意を漏らしているとか」


「私は礼儀を尽くし、直接持参しました」そう言うと古溝官房長官は辞表を加堂首相の机の上に置いた。そうして言った。

「国立追悼施設の不始末は私の責任でもあります」



 古溝官房長官の不安は……的中した。アメリカ国務省の声明をきっかけに政権に対する逆風が吹き荒れ、それに便乗する者が雨後の竹の子のごとくにょきにょきと。例えば、かのASH新聞の見出しはこんな具合だった。


【国立追悼施設に米社会懸念】


【米国政府も『失望』】


【同盟国の信頼得られず与党内からも政権批判】


【迷走する日米外交・揺らぐ政権基盤】


【参院野党問責決議案提出の動き】


【状況を見誤った曖昧戦略】などなど、紙面の上を巨大な活字が踊っていた。


 ページをめくり社説を見てみると、またしても通常二本ある社説が段を抜いた一本モノの拡大社説になっており、

【国立追悼施設問題と日米同盟】

【アジアや米国との外交立て直しが急務だ】と、タイトル、サブタイトルがついていた。


 フランケンシュタインのような顔をした野党・民衆党の大物政治家がマイクやICレコーダーの林に囲まれながら喋っていた。

「やはり政府のやり方がアジア諸国だけでなく米国にまで受け入れられなかった。私はこの結果は非常に重いと思います」


 特別にジャーナリズムを意識した高尚を自負するニュース番組のキャスターは『国立追悼施設問題を考える』というフリップを掲げ世論調査の結果を読み上げる。

「国立追悼施設を『評価しない』という声が今回初めて『評価する』という声を上回りました」

 テレビ画面に世論調査の無情の円グラフが映し出される。



 国立追悼施設は今や外交安保問題と平然と絡めて語られるようになっていた。そしてこの傾向に疑問を差し挟む声は聞こえてこない。

 まだまだ、まだまだ、この手の報道はとめどもなく続いていた。

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