第十七章 国立追悼施設に〝神風〟吹く!

第百二十八話【天狗騨記者、ASH新聞上層部を脅迫し始める】

 それから僅か三十分後、

「やったぞーーーーーーっっ!」

「遂に中国がお怒りになられたーーーーっっ!」


 ここは東京都C区TKJ・ASH新聞東京本社社屋内。異様な声が高速で移動していく。声の主は『論説委員室』と記された重厚そうな扉を蹴破るように開け中に突入していた。


「なにやってんですかーーーーっっっ‼ 社説で全紙面で国立追悼施設つぶしましょーーーーーーっ!!!!」


 エレベーターで一足飛びに最階上へ上がり最上級幹部に殴り込みをかけている一人の男がいた。むろんそうした行状をやってのけられる人間など、この建物の中には天狗騨記者の他には無い。

 当然怒鳴られているのは日常的に天狗騨とやり合っているいつもの社会部の上司などではなかった。あっけにとられる論説委員のお歴々を無視し部屋の中を大股でヅカヅカと奥へ奥へと押し進む。その最奥の奥の席に着座している論説主幹の前に〝ぬおぉぉーーっ!〟と立ちはだかりそうしてまくし立てたのである。


 論説主幹は平素から自分が最上級の上司であるにも関わらず、どこか気弱で自信なさげである。『論説主幹』などとは名ばかり。他の者どもから見ればいざという時に全責任を負ってくれる〝体の良い風よけ〟でしかなかった。ただでさえそんな人物があの天狗騨記者の突撃を受ければ一方的な受け身となるばかり。その上現在、重大事件が発生した直後なのである。



 生中継中のテレビカメラは異常事態の発生を告げていた。

 国立追悼施設の円形状の石台の上で加堂首相と集鑫兵国家主席が何事かを話し始めた。音声は拾えない。だがその映像そのものがなによりの異常事態発生の証拠となっていた。こんな場所で会談するという、そんなセレモニーは当然予定には無いからだった。

 予定では加堂首相と集鑫兵国家主席が並んで黙祷し、そして円形の石台を降りる、ただそれだけだった。なのに黙祷をせず、集鑫兵国家主席が加堂首相を残し一方的に石台を降りてしまったのだ。


 中華人民共和国国家主席が日本の国立追悼施設を訪れる。確かに訪れるだけは訪れたが、どうひいき目に見ても〝追悼行為〟をしたようには見えなかった。


 歴史的行事は完全に失敗していた。それは別の意味で〝歴史的行事〟となっていた。



 この大事件の発生で論説委員室にいる誰も彼もが動揺し平常心を失い社内での地位の意識もおぼろげになり、目の前に怒鳴り込んできた無礼な男が平社員であることも忘れ、嗜めることも怒鳴り返すことも不可能な精神状態に陥っていた。

 天狗騨の異様な迫力に一同は一方的にただただ圧倒され続けていた。論説主幹の顔には明らかに苦悶の表情が現れていた。彼はかろうじて口走った。


「しかし……今叩けば靖國神社を国立追悼施設にとって代えるというもくろみが……そんなことをすれば大嫌いな靖國神社の復権が揺るぎないものに……」


「何を愚かな‼」


 ダァンッ‼ 天狗騨記者が怒鳴ると同時に論説主幹の前の上製のテーブルから破裂するような音がした。天狗騨が両手で激しく天板を叩いていた。

 『いつまでしらばっくれているつもりだ‼ 証拠は全て挙がっているんだ! おとなしく白状しろ‼』というまるで古の刑事ドラマの刑事の如くであった。


 論説主幹は左手の人差し指でテーブルにぐにゅぐにゅ文字のようなものを書いているようだった。首は頭を支えきれなくなり頭は重力に任せるままだらりと傾いていた。 


「中国の御墨付きですぞーーーーっ!!!!!!」


 天狗騨が半分のびて半分気を失っているいる論説主幹にそれでも渇を入れる。天狗騨は国立追悼施設を批判するよう強圧をかけ続けている。


「し、しかしそれでは『戦没者を追悼しない』と紙面で言っているようなもの……そんなことをしたらまた部数が……」


 この騒ぎを聞きつけ部外者までもがこの階に集まりつつあり、扉が開け放たれたままの論説委員室の前には既に人垣ができあがっていた。その人垣の厚さもどんどん増していくばかり。ASH新聞一般社員にとって聖域である筈の論説委員室はかくも無法状態下に置かれていた。しかし論説委員のお歴々はそれを注意し、不遜な輩を追い散らすことすらできなくなっていた。


 その時論説主幹の着座する席の内線電話が鳴る。論説主幹が無意識に受話器を取る。その電話の声が天狗騨記者にははっきりと聞こえた。

「たった今青瓦台(韓国政府)が非難声明を出しました」

 論説主幹は「なにぃっ⁉」と言った後で、

「かっ……韓国までもがかーーーーっ‼」と思わず声に出してしまった。


 天狗騨記者の〝国名の様付け〟がすっかり伝染ってしまっていた。


「中国に続いて、韓国までもが、国立追悼施設にお怒りになっている」天狗騨が言う。さらなる追撃をかける。

「あなたにはこの重みが分かっている筈だ」

 喋りを一旦止めた天狗騨記者の口は笑ったような形状で開かれていた。論説主幹はひたすら己の首からぶら下がっているネクタイを引っ張ったり握ってみたりひたすらいじり続けている。顔が蒼い。


「あなたにはこの重みが分かっている筈だ」

 再び同じことばが繰り返される。天狗騨記者の攻勢が続く。まだ続く。



 論説主幹はこの言葉に雷に打たれたようになり、反射的としか思えない反応で喋り始めた。

「し、しかし我が社はこれまで『国立追悼施設を造れ』と言ってきたし……あの施設ができたときも大いに評価してしまったんだぞ‼」

 もはや反論と言うより哀願になっていた。そしてぼそりと付け加えた。


「それを舌の根も乾かぬうちに主張を翻すなど……」

 しかし天狗騨は間髪入れず言い返した。

「アジア諸国ですぞ! アジア様ですぞ‼ 日本がアジアで孤立してもよいとおっしゃる⁉」


 天狗騨記者は全く容赦しなかった。これはもはや脅迫の域に達していたが、誰一人異議を唱える者はおらず、誰も抵抗しようとする者はいなかった。

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