第百二十四話【天狗騨記者の米中対決シミュレーション3  代金のお支払いはドルでお願いします】

「——こんなことを聞いたことがあります」なおも天狗騨記者が話しを続けていく。


 一向に余裕を失う素振りを見せない天狗騨に社会部デスクの表情が厳しくなっていく。


「とある日本企業と、とあるドイツ企業の間で商取引が成立しました。代金を受け取る側が日本、代金を支払う側がドイツです。とあるドイツ企業は言いました。『代金は人民元で支払いたい』と。とある日本企業は『決済は別の通貨でお願いしたい』と言って断ったそうです」


「なにが言いたい?」社会部デスクは探るように訊いた。


「中華人民共和国の富裕層、まあ共産党幹部のことですが、アメリカ合衆国の銀行にずいぶんと貯金をしているようですね。もちろん人民元でなど貯金してません。アメリカですし。外貨建て、即ちドルでです」


「人民元になど信用は無いと言いたいのか天狗騨っ‼」


「私はそんなことひと言も言ってませんよ。むしろ『ある程度の信頼はある』と言いました。先に紹介したとあるドイツ企業は代金を人民元で受け取ったということでしょうし」


「『ある程度の信頼はある』という程度の認識ではお前の認識不足だ! 人民元はIMFも認めた国際通貨だ!」


「しかし国際組織なんぞに人間の意識を変えさせ服従させる力などありませんよ」


「そんなことはないっ!」


「ふむ。ではこんなのはどうです? ちょっとした思考シミュレーションです。『同じだけの価値の現金を米ドルと人民元と好きな方であげましょう』と持ちかけられたら、ほとんどの人が米ドルを選択するのでは?」


「おっ、同じだけの価値なんだからどちらでも同じだ!」


「そうでしょうかね? 『爆買い』が死語になっていますが」


 『爆買い』とはずいぶん懐かしいことばを天狗騨は持ち出してきた。これはかつて日本へやって来る中国人旅行客が、日本人からしても信じがたいほどの額の買い物をするという、その行為を指して誕生した流行語である。

 突然こんなことばを振られた社会部デスクはおうむ返ししかできなかった。


「爆買いだ?」


「中国人旅行客の『爆買い』が定着しつつあったその時、突然中国政府が外貨の持ち出しに制限をかけたでしょう。その結果、中国人旅行客の数だけは以前と同じでも以前のように買い物はしてくれなくなった。つまり〝人民元〟は好きなときに自由に外貨と交換できない通貨であると中国政府が自ら、誰にでも解りやすいように証明してしまったというわけです」


 遂に沈黙するしかなくなる社会部デスク。そこに畳みかける天狗騨記者。


「—— 一方で米ドルはどうです? 他の国の通貨と好きなときに自由に交換できますね。なにせアメリカ政府はそんな制限はかけていませんから。どちらが〝資産〟と言える通貨かは一目瞭然でしょう。現状同じ価値が無いから中国は『デジタル人民元』とやらの普及に熱心になっているのでは?」


「……」


「その上〝人民元〟の将来の価値は不透明ときている」


「〝人民元〟が落ちぶれると言うのか?」


「あくまで〝将来的には〟ですが」


「将来とはどの程度の将来だ⁉」

 こんなものは天狗騨の誘い水だと解ってはいるが、黙っていても好き放題喋られるというのもまた解っていたため、売られたケンカを買った社会部デスクであった。


「将来米中間の戦争すら語られる時勢です。平時の状態でさえ〝人民元〟はこの調子なのに仮に米中開戦となったら〝人民元〟の価値など、どうなるか知れたものじゃないですよ、と言っているんです」


「それはお前のタチの悪い願望に過ぎない! そうだっお前の感想に過ぎないっ!」


 しかし天狗騨記者は社会部デスクにずいと詰め寄った。


「中国びいきのあなたに厳しい現実を突きつけましょう。中国は平時からエネルギー輸入国、食糧輸入国です。米中間に戦争が始まれば、特にエネルギーについては今まで以上の量を輸入するほかなくなる——」


「——もちろん『アメリカ軍に海上封鎖されるんじゃないか?』という視点はアリですが、今は取り敢えず軍事的オプションは横に置いておきましょう」


「——さて米中戦争の最中の商取引、その代金を支払う段になり、中国に物を売った側が代金を〝人民元〟で受け取るでしょうか? 先に紹介したとある日本企業同様、『お支払いは外貨でお願いします』になるんじゃないですか。外貨で支払わないのなら『売らない』という選択肢すら存在します。それが商人の世界の冷徹さというものでは?」


「……」


「米中開戦と同時に中華人民共和国が溜め込んだ外貨はどんどん流出するほかない。流出させないと国民餓死もあり得るので、それこそ革命が起こりかねません」


「——そして戦争を始めたら最後、外貨はもう中国には入ってこなくなるでしょう。中国は戦争遂行のためのあらゆる資源や物資を自国でまかなえるわけではないので外貨が底をつけば戦争遂行が不可能になります。日本は日露戦争の時ユダヤ人から外貨を借りて戦争を続けたわけですが、中国の場合、きっと貸す者もいないことでしょう。なにせ中国はアメリカを敵国にするわけですから」


「——そして外貨無しでは中国の経済成長は止まる。経済成長が止まった中国では民衆がどう動くかも知れたものではありません。食糧の輸入すらも滞り始め富裕層しか手に入れられなくなった、などとなったら、対米戦争以前に自国民との戦争状態に陥った、などというオチにもなりかねない」


 容赦なくキリキリ斬り込んでいく天狗騨。たまらず社会部デスクが叫んだ!

「でっ、電撃戦だ!」


「それはナチスドイツの代名詞では?」


「……」


「それにその手の短期決戦願望という打算は得てして崩れるものです。中華人民共和国指導部は『台湾など一週間で占領できる』とか過去言っていましたが、逆に言うとこれ以上時間がかかると中国の旗色が著しく悪くなると、そう理解しているということじゃないですか」


「いや、それは米中戦争になったら金融面から中華人民共和国の戦争遂行が行き詰まるというだけで、天狗騨、お前は『ドンパチやらずともアメリカは中国に勝てる』と言ったんだぞ! それこそ逆に言うと中国は戦争さえしなければアメリカに対し常に優位を保てるということだ!」


「アメリカ人の連中がそれほど温和しいと思っているんですか? 2020東京オリンピックの際、オリンピック放送を一手に引き受けるアメリカのテレビ局ナショナル・ブランド・カンパニー社のニュースインタビュアーが日本の首相になんと訊いたと思います? 『日本はメダルの数でアメリカを抜いて世界一になるつもりか?』と訊いたんです。コロナ禍でオリンピック開催を決断した国の政府にこんなぶしつけで失礼な質問もないですが、これが彼らのメンタリティーです。己の地位を脅かす者に悪意とも言うべき意志を見せることにまるで躊躇いが無いのがアメリカ人です。たとえ中国が軍事行動に討って出なくてももはやアメリカが潰しに来るのは確実ですよ」


「アメリカの一人勝ちは不可能だ! G2の時代だ!」社会部デスクの言い様が悲鳴に近くなってきた。


「いいえ。G2は幻想、その原因が外貨です。むかし通貨は『金本位制』という制度の下、その価値が担保されていたわけですが、〝人民元〟はどう考えても『外貨本位制』ですよ。国家権力の介入によって自由に外貨と交換できない通貨になっているのですから。こうした通貨は米ドルのようにそれ自体に価値などありません。中華人民共和国が持つ大量の外貨が〝人民元〟という通貨の価値を保証している。つまり中国を弱体化させよう思ったら平時から中国が外貨を貯め込めないようにすればいい。もうこれをなんと言うかくらい解りますよね?」


「け、経済安全保障か!」


「さすがはデスク、その通りです。そして」と言ってのける。そしてさらにずずいと社会部デスクに迫る天狗騨記者。


「しかし、〝ぐろーばるさぷらいちぇーん〟を否定するのは非現実的というか、違和感がある……」


「中国に進出している製造業など日本企業を始めとして、台湾、韓国、ほとんどアジア系企業ばかりじゃないですか? アメリカ人にこれらの企業を気遣う動機があるとでも?」


「だからサプライチェーンと言っているだろうが! 発注者は日米欧のグローバル企業なんだ! こうした国際企業は中国市場無しに成長などできるわけが無いんだ!」


 中道キャップが『中国と戦争をやりたい日本人はいない』という論点に絞り、持ち出すのに躊躇いそして敢えて持ち出さなかった『中国における経済的利益』、を語り出してしまう社会部デスク。

 むろんそんなものでは天狗騨の調子は一切変わる筈もない。


「さて、そうした企業がそうした経営を続けていて〝アメリカ市場を失わない〟と、なにを根拠に言えるんです? アメリカ人はやりますよ。そういうヤツらです」


「いやしかしだな……そうっ、追い出せるわけがないんだ! グローバル企業なんだから!」


「『アメリカ市場で稼いだ利益を』とは考えませんかね? いや、中国市場で稼いだ利益も。アメリカ人はやりますよ。そういうヤツらです」


「……」


「権力者ではない一般のアメリカ人視点も考えておきましょう。私企業の利益、また株主の利益のために普通のアメリカ人がアメリカ合衆国を売りますか? 非富裕層のアメリカ人は中国によって雇用が奪われてきたと考えているようですが」


「アメリカは中国に進出した製造業に死を宣告すると言うのか⁉」


「なんだ。解ってるじゃないですか」


「しかしそんなことをやられれば中国に進出した企業にとって大打撃だ。台湾や韓国も中国進出しているならなおのことだ。これではアジア各国で反米感情が——」


 しかし天狗騨は無情にも語り始めた。

「そのために『人権』という正義ポジションをアメリカ人は獲っているんです。〝女性蔑視発言〟をしたとして東京オリンピック組織委員会会長職を降板せざるを得なかったMR氏、そして日本の公共放送の制作した動画もBLM運動の前に削除の憂き目に遭いました。アメリカ人が『人権だ!』と叫び出した時、日本人が対抗言論戦に勝ったことがありますか? 政治家も我々マスコミも誰も一度も勝っていない! アメリカ人に『人権』を持ち出されたら最期、負け続けているんです! ウイグル人の人権を持ち出されてそれに逆らうだけの理屈が『カネ儲け』では、こっちが百パーセント悪者になります! このままじゃ殺られますよ!」


 天狗騨はもう殺気を隠そうともしなくなっていた。


「今回の集鑫兵国賓訪日が日本にとっての地獄の門を開けたかもしれないんですよ! 『』と私はこの国の政府とASH新聞に憤っているんです!」


 〝またしても〟とはASH新聞には一回目があるという意味である。一回目はナチスドイツの側に日本国を誘導すべく『バスに乗り遅れるな!』とやったアレである。

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