第百二十一話【中国国家主席国賓訪日・初日翌日のASH新聞社説】
『(ASH新聞社説)中国国家主席国賓訪日 対中国、懸念だけでは
欧米を始め中国の軍事的台頭に対する強い警戒感が世界各地から伝わってくる。信頼醸成や対話への取り組みはどこかおざなりである。中国と平和的で安定した関係を築くには何をすべきか。今求めるべき視点はそこではないだろうか。
今回日本政府が中華人民共和国集鑫兵国家主席を国賓として招いた。私達ASH新聞はこの外交を支持する。この外交について世界各国からは多くの懸念の声が届いているが、各国政府も懸念を表明するだけではなく懸念の先を示す必要がある。
中国が台湾周辺での軍事活動を活発化させ、米国は台湾支援を鮮明にしている。確かに、海洋進出を強め各国と対立を深める中国に日米両国がどう協力して向き合うかは最重要課題である。米国の要請に応える形で米軍と自衛隊の一体運用も進む。また欧州からは特に英国が東アジア地域に対する関与政策を強めている。しかし米国主導のこうした対中政策が軍事に偏重しているのが気がかりだ。軍事力を頼みとするばかりでは本当の意味での地域の安定や平和は得られまい。
しかしこうした主張が日本国内で市民権を得ているとは言いがたい。中国の脅威を煽るような言説の氾濫は気がかりだ。
確かに中国の国防費は日本の防衛費の約4倍。潜水艦や艦船、戦闘機など近代的な装備の数でも自衛隊を大きく上回るのは事実である。だがしかしそれをことさら強調ばかりしていては地域の緊張が増すばかりだ。攻撃的な情報発信が対抗措置を招き、相互不信から際限のない軍拡競争へつながる事態は避けねばならない。また、偶発的な衝突がエスカレートしないよう、意思疎通を緊密にすることも不可欠である。政治家の発信力が今ほど問われる時代はない。
そうした観点から最近国会内で注目すべき動きがあった。集鑫兵国家主席国賓訪日に先立ち、与野党横断的に現在から将来への日中関係を考える『日中新時代議員連盟』が新たに発足した。「多様性を包含できるリベラル勢力が国会内になければならない」を合言葉に多角的な視点から今後の日中関係を大いに論じ合おうという議連だ。
尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺での中国海警局の船の領海侵入や香港や新疆(しんきょう)ウイグル自治区での人権侵害を踏まえつつ「(中国の)好感度は最低に近い所まで悪化している。中国のやっていることが納得できないからだ」として、国民の対中感情の悪化を事実として認めながらも非難だけを目的とはしていない。
「中国と縁を切り、全部米国の世話になるほど簡単ではない。地政学的に日本が引っ越せるわけではなく、経済で補完的にやっていることもある」
「今の中国が変わらないかといえば、そうではないかもしれない」
「人権侵害によって作られた品物を売っている『UQ社(大規模小売カジュアル衣料品店)』の製品は買わないということで、人権問題が解消するだろうか」
といった視点も披露された。
惜しむらくは内々での会合に終始し、国民一般や広く海外に訴えるという姿勢に欠けているところだ。そこは今後の活動に期待したい。
しかし集鑫兵国家主席国賓訪日をきっかけに日本国内でこうした新たな動きが出てきたことは喜ばしい。国内の対中感情の悪化は事実でも「中国と戦争をしたい」と考える国民がどれほどいるだろうか。過去の戦争の悲惨な体験を今こそ思い出さねばならない。やはり力による対決ではなく協調による共存を目指すべきだ。そのためには外交や経済を含めた総合的な戦略と重層的なアプローチが必須である。政府や野党も含む全ての政治家たち、何よりも国民全体としての取り組みが問われている。
集鑫兵国家主席国賓訪日はそのための第一歩であり、今日予定されている集主席の国立追悼施設訪問が、両国国民の間に横たわる種々のわだかまりを解く〝日中新時代の記念碑的足跡〟となることを信じたい。』
「なんじゃぁこのぶち抜き社説はっ!」と言って天狗騨記者は広げて手にしていたASH新聞をぐしゃっと潰した。今日も今日とてASH新聞社会部フロアである。
「なんだ天狗騨! その態度は!」とその後ろから社会部デスクの声が鋭く飛んだ。
同じ社説はweb版ASH新聞にも掲載されているのだから、パソコンかスマホで読めばいいのに、わざわざ紙媒体で読んでそれをぐしゃっと丸めた行為が会社に対する反抗であるかのように読み取られたようだった。
しかし新聞を紙媒体で読むのは天狗騨の癖である。それにweb版の方は記事の続きが最後まで読めないようになっていて少なくとも私物のスマホからは読めない。だったら最初から紙の方がいいや、というわけでもあった。
天狗騨は振り向き社会部デスクの顔を見たが、思ったほどには怒りが感じられなかった。なぜだか不可思議な余裕がある。
「この後もし天皇訪中が実現してしまったら日本はどうなるんです? 平成の頃とは時代が違う。中国を巡る国際環境はまったく変質しているんですよ!」天狗騨は日本の将来に不吉な影を感じていた。
「時代というのは変わるんだ!」しかし社会部デスクはそう高らかに言ってのけた。
(これが夜郎自大というヤツか)と思った天狗騨。集鑫兵国賓訪日で態度がでかくなっているとしか思えなかった。
「おまえのそうした態度は部長が甘すぎるからだ」再びべらべら訊かれもしないことを喋り出した社会部デスク。
夜郎自大状態が延長しているのか上司の批判まで始めたのである。さすがに天狗騨はこれにはカチンと来て(お前も似たようなもんだろ!)と思ったがさすがにそれは口には出せなかった。
昨日天狗騨記者は中国・集鑫兵国家主席を迎えるために集まってきた人間達に取材すべく皇居前広場に突撃した。その取材行為が警察に咎められ、警察から本社に通報され、社に連れ戻されたのだった。
天狗騨の直接の上司中道キャップによれば『社の上層部の逆鱗に触れた』らしい。
天狗騨的には〝そこでどんなバトルが待ち受けているか〟と思いきや、本社に戻って起こった出来事といえば、偶然遭遇したリベラルアメリカ人支局長に嫌みを言われただけ。肝心の呼び戻し命令を出した筈の社の上層部からは何も言ってこない。
上層部に代わり対応したのがどうやら社会部長らしかった。
話しは極めて短かった。
「天狗騨、社会部の記者は事件を取材する者で事件を起こす者じゃない」
社会部長の説教はこれだけで終わった。
だが天狗騨にとって重要なのは社会部長の次のことばだった。
「集主席が離日するまで取材は禁止だ」と言い渡された。
記者に向かって『取材するな』とは懲罰以外の何物でもない。天狗騨は瞬間的に食い下がったが『集主席が離日するまで』はあとたったの2日である。社会部長の意味ありげの目配せにさすがの天狗騨もこの場は引き下がらざるを得なかった。なにせこの件は社内限定案件ではなく警察まで絡んでいるのである。
社会部デスクとしては天狗騨記者に対して、その思想的にも普段の行状についても積年の恨みがあり『パワハラ地獄を味わえ!』とザマア感覚でいたところ、あまりに拍子抜けな対応だったため、ついついことばに不満が出てしまったのである。
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