第百二十話【正義ポジションを巡る攻防 中道キャップ、天狗騨記者に当たり始める】
「なるホド、極めて論理的ダ。だが異様なカルト集団の中デハ、真っ当ナ意見の方が弾圧ヲ受ケル」リベラルアメリカ人支局長が己の感想を述べた。
(こいつウチの会社〔ASH新聞〕のことをカルト集団と言いやがったな!)
一見、あたかもどこにも愛社精神など持ち合わせていないような天狗騨記者だったが、彼にも人並みの愛社精神くらいはあったということだった。
しかしながらその思いは敢えてことばには出さなかった。この現代に『親中する』という行為にまるで大義名分が見いだせなかったからである。
「テングダ、失業しタラ私を頼レ。アメリカでの就職口ヲ紹介してヤル。マ、英会話をどうにかスルノガ前提ダガナ」そう言うやリベラルアメリカ人支局長は呵呵と高笑いし部下の記者一名を伴ってエレベーターのすぐ前へと歩を進めていった。
天狗騨は同じエレベーターに乗る気が起こらずそのままフロアに立ち尽くしていた。ほどなくエレベーターが降下してきてその扉が開いた。エレベーターの中に二人のアメリカ人が消えていく。
(政治家の無能は著しい罪だ! 日本政府が中国国家主席を国賓にして招待したせいで、アメリカ人に正義ポジションを与えてしまった!)天狗騨は憤った。
「天狗騨!」「天狗騨っ‼」
天狗騨記者が声の方に振り向いた。あの中道キャップがメラメラと怒りの炎に包まれているかのようだった。そこには別の方向で憤っている人物がいた。
「俺がアメリカ人と戦っているのに、なぜお前が迎合している?」中道が詰問を始めてきた。
「迎合? してませんが」
「『中国はナチスか?』と問われて『中国はナチスです』と素直に認めるとはどういうことだ⁉ と言ってるんだ!」
「むしろ私の意見に相手が迎合したと考えていますが」
「自惚れるな! それが反論を手控えた理由になると思ってるのか⁉ お前だったらあのアメリカ人を蹴散らせた筈だ! それともこれは俺の買いかぶりか⁉」
「ストップです」天狗騨は左手を軽く挙げ話しを中断させた。
「なんだ⁉」
「キャップがアメリカ人に果敢に戦いを挑んだのは実に素晴らしい。このASH新聞などはアメリカメディアの記事を引用し日本を攻撃するという奴隷根性な記事が載らない月は無いほどなのに」
「誉めた後に墜とすつもりだな」
「ええ、よく解りましたね」
「いかにもお前のやりそうなことだからな」
「キャップのその心意気は買いますが無謀な戦いを挑まないで下さい。キャップは私に『あのアメリカ人を蹴散らせた筈だ』などと言いましたがこのケースじゃ蹴散らせませんよ」
「どうして蹴散らせない?」
「キャップが中華人民共和国の肩など持つからです」
「中国のためには〝やるつもりが無い〟からじゃないのか?」
「どうして中国にそこまで思い入れているんですかね?」と天狗騨は独り言のように疑問系を口にし、しかし中道の求める答えには回答した。
「中国を擁護する行為は『アメリカ人に易々と正義ポジションを明け渡す』ことを意味しているからです。これでどうしてアメリカ人に勝てますか? 勝つつもりならまずポジショニングから考えないと」
「ポジショニングだと? サッカーの話しでもしているのか⁉」
「ええ。優秀なサッカー選手は『ポジショニングが良い』と言いますね。なぜかいつもフィールド上の重要な位置にいる」
「本当にサッカーの話しを始めるヤツがあるか! 今はアメリカの話しをしてるんだろうに!」
「ではアメリカに戻しましょう。例えば『人権』。ひとつ具体例を挙げるならBLM運動。また例えば『歴史認識』。これも具体例を挙げておくなら『民主主義がファシズムに勝った』。アメリカ人の他者への攻撃パターンはまず自分達が正義の立ち位置を確保した上で他者を攻撃し始めるんです。この立ち位置を私は『正義ポジション』と呼んでいます」
天狗騨が中道キャップの怒りなど歯牙にもかけず、ずいと迫った。それに気圧され思わず一歩後ろに下がった中道キャップ。
「アメリカ人に勝とうと思ったら、こちらもその正義ポジションに入り込んでアメリカ人に自由にプレーさせないことです」天狗騨は言った。サッカー思考がまだ続いていた。
「『親中派』など正義ではないと言いたいのか?」
「政党がふたつあって普通選挙が行われている国と、政党がひとつしかない国が対峙した場合、正義ポジションを確保できるのはどう考えても前者でしょう」
「そこまで正義とか悪とか、ハッキリ二元論で分けて良いのか⁉ 経済は?」
「経済なんて言い換えても所詮カネの話しでしょう。カネと民主主義を秤にかけて、『カネ』の方が重いと公言できますか?」
「それは……」と詰まり始める中道キャップ。
「『民主主義も大事だけどカネも大事だよね』などと言ったら最期、アメリカ人の言論弾によって蜂の巣にされるのがオチです」
「……」
「反論が無いってことは解ってるんじゃないですか、キャップも。どちらが正義を獲るかはそれほど重要だって事です。これはかの『歴史認識』、『民主主義がファシズムに勝った』と同じ構造なんですよ。政党がひとつしかない国はアメリカ人によって容易に悪党にされるんです」
「それは日本の話しではないか!」
「私からしたら構造的には同構造ですよと言うしかない。ファシズムと呼ぼうが共産主義と呼ぼうが『政党がひとつしか存在しない国家』という意味においてはまるで同じです。中国にも当てはまる論理なのにどうして日本にしか当てはめないのかと、発言者にはなにか日本という国に含むところがあるのではと、日本限定の話しにすればそうした疑念がふくれるだけですね」
「それは俺に〝反日〟と言ってるってことだぞ!」中道キャップが似合わぬ大声をあげた。反論ができないと言われた男のせめてもの小さな意地が言わせたのかもしれない。エレベーターホール周りにいた人間達が一斉にふたりを見た。
しかし天狗騨記者は眼光鋭く中道キャップを射るように見ると、こう言った。
「要するにあなたはアメリカ人のタチの悪さを未だに理解していない。自分達が正義の立ち位置を確保した上で他者を攻撃し始めるということは、『敵の側には正義は一切無い』という考え方だ。当然正義の名の下の攻撃だからまったく容赦せず叩きつぶすまで徹底的にできる。アメリカ人と戦うのなら自ら正義ポジションを放棄するような真似はしてはならない。中華人民共和国の側に立つなど正に正義ポジションの放棄でしかなく、こんなことをするヤツはアメリカ人からしたら容易に狩れる獲物でしかない」
部下から説教を受けた中道キャップとしてはどれほど理詰めで来られても『はいそうですね』とはいかない。これが感情論というヤツである。
「お前が偉そうに何を言おうとアメリカ人から『中国はナチスか?』と問われて『中国はナチスです』と素直に認めたんだ!」
「それについては私はトラップを仕掛けたんですがね」
「そんなものかけたか?」
天狗騨は軽く溜め息をつく。
「ほら、私が『中国はナチスだ』と言ったなら『ユダヤ人団体に通報するんじゃないですか?』と訊いたでしょう。これがトラップです。ちなみに私のカンですが『唯一無二のナチスの罪を中国を持ち出し薄めようとしている』とか言って抗議してくる確率は50%はあると思っています」
「——そしてもしユダヤ人団体が抗議してくれたなら『中華人民共和国はナチスではない』と他ならぬユダヤ人が保証してくれたことになりますから、地位あるアメリカ人はこの価値観に逆らえずたじろぐだろうと、そう踏んだわけです」
中道キャップは心の中で唸った。唸るしかなかった。
「しかしあのリベラルなアメリカ人はたじろがなかった。存外ユダヤ人の影響力は無いのかもしれません。なにせ彼はユダヤ人が持つであろう懸念を一蹴してしまいましたから。『ユダヤ人団体の言うことにアメリカ人は逆らえない』を前提としたこの手のトラップは米中対立の前には無効かもしれません」
「——ちなみに、『唯一無二のナチスの罪』とか言い出してきたら、『その割りにはドイツは歴史の反省をしたのに日本は歴史の反省を未だしない、と言ってるのはなぜですか? 日本を引き合いに出しているってことは唯一無二の罪でないと、あなた方自身の口が言っているのでは?』と言ってハメようと思ったわけですが、まあこういうのは相手がいることで、常に上手くいくとは限りませんね」実にシレッと天狗騨は言った。
中道キャップはもう黙りこくってしまった。
だがこんなことで天狗騨の内心は晴れない。
とっくの昔に冷戦時代などではない。『中国は共産主義だ!』はまったくネガティブキャンペーンにもならない。それに既に共産主義ではない別のナニカが政権を壟断しているとしか言い様のない状態。
さりとて、
『中国は権威主義だ!』
『中国は専制主義だ!』
と言ってもインパクトに欠ける。
ウイグル人ジェノサイドを持ち出した上で、
『中国はナチスだ!』
と言った方が破壊力が数段違う。
(アメリカは本格的に正義ポジションを獲りに来ている。それもアメリカンリベラルまでもが。これはいよいよ手段を選ばずの全面的な米中対立になる……)
(こんな中で日本が正義ポジションを自ら放棄するような外交をしてしまったのだ!)
しかしそんな憂慮を抱いているのは天狗騨くらいのもの。この日のASH新聞社内はリベラルアメリカ人支局長も指摘した通り、異様な熱気に包まれていたのは事実だった。
それは次の日の社説が証明することになるのである。
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