第百十九話【チャイナチス論】

 『中国はナチス、カ?』とリベラルアメリカ人支局長に訊かれた天狗騨記者。

「私は『民族主義を語る共産主義は存在しない』と言ったばかりですが」と、いなすように応じた。


「それハ『共産主義ではナイ』と言ったダケダ。例えばダ、北朝鮮モ共産主義の看板ヲ掲げてイルガ、国のトップは特定血族の世襲ダ。もう3代目にもナル。ソノ世襲のトップが専制政治を敷いてイルのが北朝鮮とイウ国家ダ。この形は共産主義ト言うヨリハ、世界初ノ共産主義革命であるロシア革命にヨッテ倒されたロマノフ朝の方に酷似しテイル」


「——本当に北朝鮮が共産主義ナラバ、特定血族の世襲でしかナイ現政権を革命にヨッテ転覆しなければナラナイ」


 天狗騨はこの言い様に少なからず驚いた。(北朝鮮の弱点が共産主義とは。しかし確かに理屈ではそうだ)そう思った天狗騨は、

「ほう、けっこう言いますね」と口にした。


「『共産主義ではナイ』だけデハ、答えにナラナイとイウ実例ヲ示したマデダ」リベラルアメリカ人支局長は〝こんなことも解らんのか〟と言った口調で言ってのけた。


「しかしその『中国はナチス、カ?』という質問は、私をトラップに嵌めようとしているとしか思えないのですがね」


「どうシテそう感ジタ? お前はウイグル問題ヲ見たくない人間カ?」


「おそらくその手の質問に対する模範解答は『中国がナチスとは言い過ぎではないか』と言って解答を回避する『答え』でしょう。しかしそうした『答え』を披露した場合、今現在のアメリカ合衆国の政策と世論からして、『ウイグル人を虐殺する中華人民共和国の罪を糾弾せず虐殺者の味方をした!』として『人権無視』の錦の御旗の元、ネガティブキャンペーンが実行される余地が、かなりある」


「当然ダ。お前の言うその『答え』デハ、チベット人やウイグル人に対する中国の行状ニついて、我々は一切ノ価値判断ヲしないとイウ開キ直リでしかナイ!」


「それでは今度は『中国はナチスだ』と言ったとしましょう。そうしたら私のこの発言を録音するなりなんなりしてお宅の国のユダヤ人団体に通報するんじゃないですか? 『唯一無二のナチスの罪を中国を持ち出し薄めようとしている』とか言って」


「〝親中〟を正当化スルためにユダヤ人ヲ人質に取るヨウナ真似ハ許されナイゾ!」


 しかし天狗騨は言った。

「ナチスの話しをする場合必ずユダヤ人の話しをしなければならない、というのはアメリカのセオリーではないんですか? 私は『どちらの答えを選択してもドツボに嵌める事は可能ですね』、と言っているんです」


「〝嵌める〟ダト? つまりお前ハごまかそうとしテイル! 日本政府や日本の財界やコノ新聞社の大勢同様、お前も根の部分デハ親中派という事ダナ!」リベラルアメリカ人支局長は吠えた。


「私は今日その親中派の上層部の逆鱗に触れたらしく、呼び戻されている最中なんですがね」天狗騨は嫌みをかました。


「『親中派ではナイ』との苦シイ自己アピールか?」


「この話をしだすと少々長くなるんですよ。今日はお互いこんなところで立ち話しをしている時間の余裕は無い筈でしょう?」と天狗騨は返した。


「親中派がとかく言って来たナラ、私の新聞ガ徹底的ニ攻撃してヤル。テングダ、この間はあれホドノ大演説を打ッテおいテ今日に限リ答えナイデ立ち去ろうナドト、そんな虫の良い話しハ通じナイ!」

 ここでリベラルアメリカ人支局長は自身の腕時計を見た。

「20分ほどハ大丈夫ダ。こちらノ事ハ気にスルナ」


 中道キャップの失態のせいで面倒ごとに拘束されている天狗騨であった。

 その天狗騨は(最大20分ならまあいいか)と思い直し、それでも話しが短くなるよう頭の中で物事を組み立て始めた。


「『中国はナチスか?』を問う前に、まず『何がナチスか?』を定義すべきでしょう」と天狗騨は切り出した。


「なにがナチスかも解らナイとは! 国際感覚がゼロダト自白しテイルも同じダッ!」


「まるであなたは解ってるみたいですね。じゃあ『何がナチスか?』その定義を披露して頂けますか?」


 今度はリベラルアメリカ人支局長の方が『これはトラップでは?』という疑心暗鬼に取り憑かれ始めた。

(こんなことをしていたんじゃあ時間がかかってしょうがない)天狗騨は状況を見切った。

「信頼の無い者同士の議論がいかに難しいかを証明していますね。有り体に言って『中国はナチスではない』。、ですが」天狗騨は露骨に呼び水を撒いた。


「アメリカ人の持っテイル『ナチスの定義』がおかシイと言うノカ⁉」


「ええ。しかし一般アメリカ人だけじゃありません。同じ定義は国籍問わずユダヤ人、そして韓国人辺りも持っていますから。彼らの定義を使うと中華人民共和国はナチスにはならないんです」


「デタラメを言うナッ!」


「あなたが自分の口で言わないから」

(天狗騨、お前ってヤツは……)感動に打ち震える中道キャップ。

「人を罠に嵌めヨウト企んデモそうはいかナイ! そっちガ言い出シタ事ダ。お前ガ思い込んでイル『アメリカ人のナチスの定義』ヲ言ってミロ!」


 中道キャップの心の震えがまだ収まらないのに天狗騨はこんなことを言い出していた。

「じゃあ遠慮なく。『』。これがアメリカ人・ユダヤ人・韓国人らの持つナチスの定義です。この定義に拠れば1949年に建国した中華人民共和国はナチスドイツと同盟など結べる道理はありませんから、中国はナチスにはならないのです。そしてこの定義だと日本だけをナチス認定できる。実に中華人民共和国指導部を喜ばせる定義ですね。親中派とはアメリカ人の皆さんの事なのでは?」


「言うに事欠イテ他人を親中派認定カ!」


「杉原千畝がユダヤ人を助けた件について私があなたに話したことを忘れましたか? ユダヤ人達は杉原個人には感謝してくれるが決して『日本政府よありがとう』とは口が裂けても言わない。たかだか一官僚が国家の命令に背いたら辞令一枚で即刻左遷人事、呼び戻され本省の史料整理室送りが関の山だというのにそんなことは行われず、杉原千畝はその後も戦時という重大な時期に外交の第一線で仕事をしているんですよ! なのに『ナチスの味方の日本政府に逆らった英雄スギハラ!』とかいう歴史歪曲な価値観をまき散らしている。『ナチスの同盟国もナチス』というナチスの定義を持っていることはここから明らかですよ」


「お前ハ相変わらずユダヤ人に含ムところがありソウダナ!」


「『ナチスの同盟国もナチス』などという価値観で殴られれば怒るのが当然でしょう。こっちはアンタ方の先祖を助けたのに感謝するどころか石を投げてくるのかとね。それともう一つ。さっきから言ってるでしょう、アメリカ人と韓国人とも同じだと。『ドイツは謝ったのに日本は謝らない』と言った人間は全て『』というナチスの定義を持っているんです!」


「そんなフザケタ言い訳ガあるカッ! 言い訳ハもっとしおラシクするものダッ!」


 ここいらが相変わらずの天狗騨記者である。リベラルアメリカ人支局長からしたら『ユダヤ人に含むところがありそうだな』と問われれば『そんなことはありません』と必死に否定するのが模範的日本人というものである。なのに『〝アメリカ人と韓国人も同じ価値観だ〟などと言い出すとは何事か!』というわけである。

 しかし、こういう対処だと確かにユダヤ人だけを攻撃したことにはならない。これにえらく腹を立てたリベラルアメリカ人支局長が天狗騨の言い様を〝言い訳〟だと断定したのである。しかし、天狗騨の方からは挑戦状が戻ってきた。


「で、あなた方の『ナチスの定義』について反論はありますか?」


「大いにあるに決まっテイル! 我々ハ『ナチスの同盟国もナチス』などとイウふざけた価値観は持たナイ!」


「たった今の宗旨替えですか?」


「中国ヲ利する主張ナドにいつまデモ拘束されるアメリカではナイ!」


(遂に開き直ったか。まあ戦後一八〇度の方針転換で〝レッドパージ〟したのもアメリカだったな)と天狗騨は思ったが、ここは所用時間節減のため黙っておいた。


「——中華人民共和国はウイグル人ニ対するジェノサイドを実行しテイル!」リベラルアメリカ人支局長は高らかに言い切った。


「アメリカ国務省の公式見解ですね」


「ソノ通りダ。これハ私が勝手に考えタ個人的見解ではナイ!」


「ナチスと絡めるには『ホロコースト』という表現を使った方がピンと来ますが」


「知っテテとぼけテルノカ、テングダ。『ホロコースト』とイウ表現ハ、ユダヤ人大量虐殺を指して使う語彙となっテイル!」


「しかし中華人民共和国の対ウイグル人政策はただ単に『たくさん殺すだけ』ではなく『民族絶滅政策』ではないですか。断種について証言しているウイグル人女性がいた筈です。ならば使うべき語彙は『ホロコースト』じゃないですかね」


「これはアメリカ国内のポリティカルコレクトネスのためでアリこれも私の個人的見解ではナイ。シカシ、意味としては『ジェノサイド』と同ジ。日本語に訳セバ、双方共ニ『大量虐殺』ダ! これデ『アメリカの定義』の話しハ終わりダ! 『テングダの定義』では中国はナチスかどうカ、私ハそれヲ訊いてイル!」


「一記者の個人的見解にそれほど興味がありますか?」


「あるニ決まっテイルだろウ! なのダカラナ!」


(目を付けられたということか……? こうなるとあれでいくしかないな……)

 それは『固有名詞を取っ払い、論理を骨組み化すべき』という天狗騨戦術である。


「まずは前提からハッキリさせましょう。『民族主義を語る共産主義は存在しない』。だがしかし『民族主義を語る社会主義は存在する』。これはいいですね?」


「『国家社会主義ドイツ労働者党』の事ダナ」


「私は『民族社会主義ドイツ労働者党』と呼んでいますが」

 これは天狗騨が前にリベラルアメリカ人支局長とやり合ったときに既に指摘したことである。要するにこれはナチス党の正式名称なのである。


「ツマリ、中国ハ左翼政権であるノト同時に民族主義を語っテイルからナチスというわけダナ」


「結論が性急すぎますね。もっと精緻を極めないとじき何者かに揚げ足を取られかねません。次の問題はその〝民族主義〟の中身です」


「中身モなにモ解りきっテイル事ダ。『我々ハ優秀民族だが一方で絶滅すベキ劣等民族がイル』というノガその中身ダ」


「私の考えとは少し違いますね」


「どこガダ?」


「私は『劣等民族』の部分を『敵対民族』とします」


「『我々ハ優秀民族だが一方で絶滅すベキ敵対民族がイル』か……しかシ『優秀』の反対語にはならナイナ」


「ええ、対義語になってないので文法的には違和感を感じるでしょうが、ナチスの定義としてはこれでいいんです」


「ナニカが腑に落ちナイ」


「〝劣等〟ではただ単純に『劣っている』という意味しかありません。劣っている者は優れた者の脅威とはなりません。脅威とは〝敵〟です。これが理屈というものでしょう。どうです? 腑に落ちましたか?」


「ナチスは狂っタ集団ダ。あまり〝合理〟を求めレバ却って間違いヲ犯ス」


「根拠はヒトラーの著作『わが闘争』です。『ユダヤ人の裏切りによってドイツは第一次大戦に敗けた』と書いてある。つまり〝ユダヤ民族がドイツ民族に危害を加えてきた〟と考えているのです。つまりナチスの定義とは『自民族の優秀性の誇示+敵対民族の設定』、これに尽きるでしょう」


 『わが闘争』を持ち出されたリベラルアメリカ人支局長は、根拠として充分と考えたか、話しを切り替えてきた。

「デハそのお前の定義ヲ中華人民共和国に当てハメタ場合、中国はナチスか?」


「一党独裁、民族主義を語る左翼政権、資本主義国並みの貧富の格差、自民族の優秀性の誇示、そして『我々の民族に脅威を与える敵対民族』の設定! ナチスの条件が全て揃っています。中国はナチスが政権を執っています」天狗騨は言い切った。しかし「ただ、——」と天狗騨は続ける。


「——『シナチス』という呼称は私はどうかと思うので『チャイナチス』と呼ぶことにしています」と付け加えたのであった。

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