第百十四話【社旗を翻し車は走る(ただし本社へ)】

 ASH新聞の社旗を翻した黒塗りのセダン。

(こんな車がまだあったのか)と妙な感慨を抱いた天狗騨記者。

「これ、役員専用車じゃないですか。ずいぶんと大業なお出迎えですね」と口にした。


「これで行けと言われたからだ」この車を運転しここまでやってきた中道キャップは憮然とした表情で答えた。


「役員車にも社旗を付けられるなんて、初めて知りました——」そう言いながら天狗騨は中腰で前部バンパーの端の短い旗指に取り付けられたASH新聞社社旗をまじまじと見ている。

「警察がASH新聞の車だとすぐ解るようにして来てくれと言うからだ」同じ表情のまま再び中道。「そんなことより早く乗れ。だがくれぐれも後ろに乗るなよ」


「解ってますよ」と言いながら天狗騨はまっすぐ立ち上がり運転席の方へ廻ろうとした。すぐさま「運転は俺がする。お前は助手席に乗れ」と中道はそう言い渡した。


「上司に運転させちゃ気まずいという心配りですが」


「お前が心配り? 悪い冗談だ」そう言いながら中道は運転席のドアを開けた。


 中道キャップと天狗騨記者がASH新聞の役員車に乗り込むと、あの二人の警官がなぜか揃って敬礼。奇妙な見送りを受け役員車は動き出した。


「黒塗りのセダンにはためく社旗が二本、そして突っ走る。この昭和テイストはシビれますね。こういう車で現場に急行するのが新聞記者ってもんですよ」

 天狗騨は新聞記者が花形だった頃のステレオタイプな想像を口にした。


「言っておくが天狗騨、現場なんかに行かないからな。帰社が目的だ」


「記者が帰社するって、日本語変換プログラムの売り文句みたいですね」


「珍しく軽口だな」


「この車、運転させてくれませんか?」


「さては会社へ戻らないつもりだな」


「その通りです」


(コイツは……)と思う中道キャップであった。


「上司達がカンカンだ。そいつは無理だ」


「カンカンはいつもの事じゃないですか。そんなことより、警備担当の幹部警察官から重要な示唆を受けました。皇居前まで行った甲斐がありましたよ」


「お前を相手にするそんなキャリアがいるもんか」


「いたんですよ。いたんだから〝いた〟と言っているんです。プロサッカーチームの試合でアウェーチームのサポーター席がどうなっているか、というそういう例え話しをされました」


「どういう意味だ?」


「サポーター同士の衝突が起こらないよう緩衝地帯を設けてあるという意味です」


「何が言いたい?」


「今日本には百万人もの中国人が暮らしています。彼らに対し中国共産党から動員令が発令されたとしか考えられません——」


「待て待て! 皇居前広場にいたのが中国人ばかりだとどうして解る?」


「日本にはチベット人やウイグル人、内モンゴル出身者や香港関係者、それに台湾人だっています。彼らには中国に対する抗議デモを行う動機がありその意志もSNS等で公然と示している。しかし皇居前広場に彼らの姿はありませんでした。歓迎する人間しかいなかった。また尖閣諸島の日常的な領海侵犯など今現代の日本人の対中感情から考えるに日本人が中華人民共和国の国家主席を歓迎するために自発的に集まってきたとも考えられません。現場には抗議をする日本人もいませんでした」

 さらに天狗騨が続ける。

「——中国に抗議デモを行いかねない集団が中国人と接触しないよう警察が分離をしたんです! サッカーアウェー応援席の例はそれの示唆です。だが〝分離〟と言えば聞こえはいいが、結局抗議デモ団の方ばかりを集鑫兵の車列が通るルートから排除しています!」


「落ち着け天狗騨、〝国賓〟として招待した以上はやむを得ないのではないか。デモ自体を禁止したという話しは聞かないからこれがギリギリの落としどころだろう」中道はいかにもASH新聞的模範解答を口にした。


「しかし問題は『誰がそうさせたか』、です。私のカンですが〝国賓訪日〟が故に今回は〝忖度〟は無いんじゃないですかね」


「じゃあ何があるっていう?」


「『忖度』は曖昧模糊ですからね。『絶対に間違いが無いように』ということなら『命令』するのが確実です。日本政府が、反中国・反集鑫兵デモを沿道から排除するよう警察に命令したのではないでしょうか。私と話しをしたあの幹部警察官にはどことなく〝無念〟という感情がにじみ出ていたようにも思えるんです。『とばっちりを食うのは警察ばかりか』という」


「——つまりここにはさらなる疑惑があるんです!」さらに天狗騨が先を続けた。


「さらにぎわく?」


「国賓訪日に当たって中華人民共和国からの要請に日本政府が応えた疑惑です。『反中国のデモ隊は見えないところに排除しておく』という要求に応えたのが加堂政権では?」


「憶測だな」


「当たらずと言えども遠からずですよ。果たして在日チベット人や在日ウイグル人が集鑫兵通過ルートから排除されたかどうか、それは彼らに取材すればすぐに解ります」


 その言い様を受け中道キャップは天狗騨にこう宣告した。

「それを聞いたら益々帰社するほかなくなった。それはとどのつまり反中記事で東アジアの緊張緩和にも日中友好にも資さない。警察から連絡が入ってお前の行状に社の幹部連中はカンカンだ。これはお前が無双できた『慰安婦問題』とは訳が違うんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る