第百十三話【警察官僚VS天狗騨記者】

 熱射が容赦なく照りつける中、二人の警官に挟まれ歩かされ続ける天狗騨記者。

 中華人民共和国国家主席・集鑫兵の車列通過ルート、及びその道に繋がる道という道は一斉交通封鎖が行われ、現在一般車両は閉め出されている。

 そんなわけで車の消えた皇居の外周道にはずらーっと警察車両が路駐状態に。天狗騨は既に皇居前広場から出てしまって、いや追い出されてしまっている。けっこうな距離を歩いて来ている。


「どこまで行くんだ?」しびれを切らし天狗騨が訊いた。


「ああ、あの車です」一方の警官が〝或る車輌〟を指さした。


(なんだありゃ。窓もついて無い)


 そうして天狗騨はひときわ大型な観光バスサイズの車輌へと半ば強引に案内された。どうやらこれが〝警察の指揮車〟らしかった。

 中に入ると一転、実にひんやり。クーラーがよく効いている。これほどの数が必要かといったほどのモニターが並び、専門のスタッフが四人ばかり、その手に余るほどの画面群を監視している真っ最中だった。

 そしてもう一人、なにもしていなさそうな男が床を蹴り固定された回転椅子をくるりと回し正面を向いた。二人の警官はその男に対してやおら報告を始める。男はダークグレーのスーツを着込んだ三十代半ばほど、天狗騨とほぼ同年代である。報告を終えると二人の警官はここでお役ご免、去って行った。


「ASHか」ダークグレーの男がおもむろに言った。ひどく横柄であることがそのたったひと言で解った天狗騨記者。


(警察官僚か)天狗騨は思った。


「ASH新聞だからなんだ?」天狗騨は反抗的声色を隠そうともせず問い返した。


 しかしダークグレーの男はその問いにまともに答える様子も無く、

「オダだ」と名乗った。


 名刺も出さないので〝小田〟だか〝織田〟だか解らない。しかし名前を名乗っただけマシとも言えた。


「天狗騨、記者といったか。なぜわざわざ皇居で一騒動起こそうと思った?」オダは訊いた。


「一騒動? 皇居で自由な取材活動をしちゃマズイのか?」


 天狗騨的発想では国家権力は新聞を潰しに来る存在なのである。もっともこれはASH新聞的発想とも言えるが。だがオダは委細に構わない。


「近頃はASHにも右翼が紛れ込んでいるのか?」


「ハ?」


「〝ハ〟じゃない。皇居で一騒動起こし中国国家主席の国賓来日を失敗させようと企んだだろう、と言っている」


 その口のきき方に天狗騨は密やかにキレた。警察関係は正に社会部の取材テリトリーだが、天狗騨にしては珍しくそのテリトリーで取材活動(?)を行うことになったようだった。


「あまりに不自然な現象が目の前で起これば取材くらいするでしょう」

 それは皇居前広場に集まった〝赤い群衆〟を指している。


「取材、取材と、何を訊いても『報道の自由』一辺倒か」


「そうですよ。悪いですか」


「ASH新聞は親中路線じゃなかったか?」


「全員が全員そういう人間であるわけないでしょう」


「油断した。つまりは〝確信犯〟というわけか」


「それは心外ですね。私は私の取材行為を悪いことだとも犯罪だとも思っていませんが」


 オダは器用に片方の眉だけを僅かに動かし、

「或る行為が問題を引き起こすことをあらかじめ解っていながら、そのようにする人間も〝確信犯〟と言うが」


「私がしたのは〝或る行為〟なんかじゃありません。〝取材〟です。問題が起こったとしてもそれは結果的に起こっただけで起こすのが目的ではありません」


「これ以上は堂々巡りというわけか。もう埒があかないな」


「『埒があかない』はこっちの台詞です。やはり責任者に取材しないと」天狗騨は言った。


「責任者は私だ」オダは言った。


「ご冗談を。責任者はほら、すぐそこ。警視庁本庁舎内にこそ警備責任者がいるんですよ」天狗騨はおおよその方角の見当を付け、そちらの方を指差した。


「ふざけるなっ! 警視庁記者クラブに所属もしてないブンザイで」

 どうやら身分照会の時点で天狗騨記者について一通り調べていたようだった。


「記者クラブに所属してないと取材すら不可ですか?」


「警視庁の目と鼻の先で何をするかと思ったら、警察に対する嫌がらせが目的か!」


(存外キレやすい男なのか?)天狗騨は思った。しかし天狗騨としてはそのような些末な目的は持ち合わせてはいない。

「いいえ」と即答する。そしてたった今の〝警視庁の目と鼻の先〟でピンと来ていた。


 皇居というのは元々江戸城で、江戸城のいくつかある〝門〟の中に『桜田門』という門がある。『桜田門外の変』で有名な門だがこれは〝警視庁の異名〟でもある。警視庁は皇居のお膝元にある。


「『こんなところで何かがあったら警察の面目丸つぶれ』というわけですか。しかしそれはあまりに内向きの論理じゃないですかね」


 しかしオダは天狗騨の挑発に直接答えずこう口にした。

「その何かというのはキミの身に何かが起こることを意味するが」


「ここは日本です。日本での出来事を日本人の記者が取材しないで誰が取材するんですか?」


「まるで特攻隊だな」


「私が死んでもどこにも祀ってはくれませんがね」


 この一言を真顔で言ってのけた天狗騨記者。オダは眉間に皺を寄せ言った。

「ASHの東京本社に連絡してある。キミを引き取りに来てもらう手はずになっている」


「それはわざわざどうも」と天狗騨は嫌みをかます。


「礼には及ばない」


「皇居前広場に中国人しかいないのはなぜですか?」天狗騨はあまりに直截な問いを発した。むろんカンである。しかし現場を歩き回った上での確度のあるカンだとの確信があった。そしてここから追い出されるまで時間の余裕が無いと解ったが故の〝問い〟でもある。


「もう用は無いと言っているのだが」オダは質問にまともに答えなかった。


(まともに答えない。やはりココが要点か)天狗騨は質問内容を微妙に変えてみせた。


「現在中華人民共和国は種々の人権問題で国際的非難を浴びています。その国家主席が来日。抗議のデモ隊の姿が皇居前で見当たらないのはなぜですか? ここが一番耳目を浴びる場所でしょうに」


 オダは非常にめんどくさそうな顔を示したのだが、微妙に外した返答だけはしてみせた。


「キミはプロサッカーのゲームを見るか?」


「たしなみ程度には」


「客席にまで注意を払って見ているか?」


「と、言いますと?」


「具体的にはアウェーチームのサポーター席だ。その席とそうじゃない席の境界はどうなっている?」


 天狗騨にはピンと来ていた。しかし故意に答えるのをやめた。

「さて、そこまでは」


「もっとよく見ることだ。境は敢えて数列を空席にしてある。アウェーチームのサポーター席を囲むようにな。これがなぜだか解るか?」


「その〝例え〟から察するに、あなたは日中関係の現状を正確に理解している。要するに仲の悪い者同士が直接接触することを避けるためなんでしょうから」


 オダは露骨に嫌な顔をした。こんな話しをするんじゃなかったと後悔しているかのようだった。そこに天狗騨が追い討ちをかける。


「サッカーで例えるならここは日本のホームなのに、どうしてベストポジションにアウェーチームの観客が入場できたのでしょうか?」


「お引き取りを」オダは言った。


「政府を忖度しての判断だとしたらそれは国民を裏切ったことになりますよ」


「キミは我々に〝政治運動〟をやれと言うのかね? 違う。警察の仕事は警備だ」オダは言った。


 天狗騨の中には迷いが生じていた。個人的にはこの『オダ』なる十中八九警察のキャリア官僚とは仲良くなれそうもない。

 しかしわざわざ自身を呼び出し多分過ぎる比喩含みであるが事情を説明し諭したとも言える。

 とは言え『現場には中国人しかいない』との言質は遂にとれなかった。それは〝『現場には中国人しか入れなかった』と同じ意味になるから〟であろうことは容易に察せられた。そこを突こうとさらに粘りを試み天狗騨は次々言葉を発したが、

「仕事中だ。これ以上は公務執行妨害になる」とオダに言われ指揮車から追い出されてしまった。


 むろん天狗騨は指揮車の外に出されても、再び皇居前広場の〝赤い群衆〟の元へと突撃しないよう警察官二人に挟まれている。しかもご丁寧にこの場へと天狗騨をエスコートしたのと同一人物達であった。

 この処置について『警備上の理由』と警察は言うが、天狗騨からすればこれは明らかに取材活動の妨害であった。



 そこそこ以上にしばらくすると、なにかしらの無線連絡が入ったらしく付き添いの警官が、

「迎えの車が来たようです。こちらへどうぞ」と言って鉄柵をこれでもかと並べ立てた検問所の方へと天狗騨を誘導し始めた。


 検問所前、ASH新聞の社旗を翻した黒塗りのセダンが止まっていた。

(こんな車がまだあったのか)と妙な感慨を抱く天狗騨記者。

 前部バンパーの両端、左右のウインカーのほぼ横に短い旗指のポールが二本。そこにそれぞれASH新聞社の社旗が取り付けてあった。


 その車の前に立っていたのは天狗騨の直接の上司、中道キャップであった。実に苦々しい顔をしていた。

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