第百十ニ話【皇居前広場】

 なぜか国賓として日本に招待された中華人民共和国国家主席・集鑫兵。彼が羽田空港に到着する数時間前からSNSには間断の隙間無く異状な画像(むろん動画も含む)が投稿され続けていた。

 ASH新聞社会部所属・天狗騨記者もこれに気づき朝から東京の中心の中の中心、〝皇居前広場〟へとその身を急行させていた。


 いったい現場ではなにが起こっていたのか?

 早朝から膨大な数の人間達が集まり始めていた。

 端的なことばでそれを表現するなら、それは〝赤色の群衆〟だった。天狗騨の見たところ集まった人々のおよそ半数は赤いTシャツなど赤い服を着用していて、それが〝赤色の群衆〟を形成していた。


 しかし天狗騨にとって意外なことに、そこには『日章旗』も存在していた。皇居前広場に集まった人々は両手に『五星紅旗』と『日章旗』の小旗を手にしていたのである。そして定期的に誰かの合図で一斉に小旗が打ち振られていた。


(今のは一応は日本語だが……)と、その〝合図の声〟を聞いて思う天狗騨。そして同時に(動画の正体はこれか)とも合点がいった。

 小旗が一斉に振られる様を遠望すれば、あたかも大波がゆらめいているように映るのだった。


 そして様子がおかしいのはこの皇居前広場だけではなかった。

 天狗騨は〝現場の中の現場〟であるここをチョイスしてこの場に足を運んだのだが、現場がここだけでは収まらないことはSNSが既に証明していた。

 どこで聞きつけたものか中国国家主席・集鑫兵の車列が通過するそのルートにはどこもかしこも早朝から十重二十重以上の人垣ができていたのである。


(中国の国家主席は芸能人でもなんでもないし、まして日本人の間ではむしろ不人気だ)


(なのにこの人数はどうか? 天皇の即位パレード並みの集まり方じゃないか)


 天狗騨はにただならぬものを感じ取っていた。



 予定では中国国家主席・集鑫兵は日本到着後まず天皇を表敬訪問する。そして夜は宮中晩餐会。日本滞在日程をこなし、離日する直前にも天皇と会うことになっている。


 たとえ一国のトップでも国際会議での来日なら天皇と三度も会わない。いや、会えない。宮中晩餐会などというものも開かれることはない。

 国賓か、国賓じゃないか——この扱いの差、比べればかなりの〝違い〟がある。

 日本というのは或る意味解りやすい国なのである。



 中国国家主席・集鑫兵は天皇との会談で、一回目と二回目は外交上の修辞に徹し、最後の三回目で直接中国訪問を招請する予定としていた。


 

 ASH新聞・天狗騨記者は皇居前広場に詰めかけた人々に片っ端から声をかけ取材を敢行していく。新聞記者であることが解りやすいよう古色蒼然としたシンボリスティックな〝新聞社の腕章〟というアイテムを装着し事に望んでいる。


 天狗騨が記者として訊いたのはシンプルなものだった。それは——

「あなたは中国人ですか?」だった。

 最初のうちは愛想よく「ええ」とか「そうです」とかいう返事が戻ってくる。そういう人に対し次に天狗騨はこう尋ねるのだ。

「今日ここになぜ来たのですか?」

 ここで訊かれた相手は顔を引きつらせつつも「友好のため」だとか「歓迎のため」だとかを口にする。

 その答えを確認するや天狗騨は次の人にも同じように尋ねていく。

「あなたは中国人ですか?」


 そしてその次も、

「あなたは中国人ですか?」

「あなたは中国人ですか?」

「あなたは中国人ですか?」

「あなたは中国人ですか?」

「あなたは中国人ですか?」と。


 こうして尋ねること10人目辺りから周囲の空気は変わり始めていた。訊かれ続ければ訊かれた側もその意図を察するようになる。

 天狗騨は突如後頭部を小突かれた。

 天狗騨が振り向くと誰も彼もが素知らぬ顔。次の瞬間、

「うわっ!」、と今度は思わず声が出てしまった。

 天狗騨は背中を強烈に押されつんのめり、目の前の人間にぶつかりそうになった。


 天狗騨記者は忖度不能な人間である。忖度不能であるから外国人にも忖度しない。アメリカ人相手(リベラルアメリカ人支局長)にもまるで忖度しなかったが、中国人相手にもまるで忖度しない。

 ここ皇居前広場に中国国家主席・集鑫兵歓迎のために集まった人間達は、この記者の腕章を巻いた男にことを悟りつつあった。

 即ち『ここには中国人しかいないのではないか?』——と。


 なおも天狗騨の行為は中断されることなく続いている。

 目の前の赤いTシャツを着た人間に、またも尋ねる————


「あなたは中国人ですか?」


 その刹那天狗騨は誰かに強引に足を引っかけられた。文字通り足元をすくわれ思わず転倒しそうになった。

「誰だっ⁉」と、さすがに声を荒げる天狗騨。


 もはやその時には天狗騨の周囲の空気は明らかに変わっていた。さしもの天狗騨と言えども身の危険を感じるほどになっていた。

 ピピピピーッ!ピーッ! と突如カン高く笛の音が響いた。同時にジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ! と早駆けに駆けてくる足音。あっという間に天狗騨は両隣にぴたり、制服姿の警官に挟まれていた。


「ちょうど良かった。取材活動の自由が脅かさ——」まで天狗騨が言いかけたとき、一人の警官がその言を遮った。

「ちょっと来てもらいますよ」

「オイ、どういうことだ⁉」

 しかし躊躇無くふたりの警官は天狗騨の両腕を掴み引きずり始めた。たたらを踏むようにそこから強制的に動かされてしまう天狗騨記者。


「ここは立ち入り禁止区域じゃないぞ! なぜ取材陣の私が排除される⁉ あの連中の中に自由な報道の妨害者が——」


 だが天狗騨の言い分など二人の警官にはどこ吹く風。結果、這々の体で退却せざるを得なくなったのは天狗騨の方となってしまった。

 天狗騨が警官に連れられていく様を見ていた周囲の者達からは、バサバサバサバサ、ぱちぱちぱちぱち、バサバサバサバサ、ぱちぱちぱちぱち、バサバサバサバサ、ぱちぱちぱちぱち、バサバサバサバサ、ぱちぱちぱちぱち、響く旗の打ち振られる音と拍手の音。

 皇居前広場の異様な空気はさらにその濃度を濃くしていた。



 十重二十重の人垣から十二分に離されてしまった地点で天狗騨の両腕はようやく警官達から解放された。もちろん天狗騨は感謝するでもなく、

「官憲横暴ーっっ!」と、時代がかかったセリフを渾身の思いを込め解き放った。


 しかしやはり警官達はどこ吹く風。それどころか一方の警官がこう言った。


「あんた、自分の身に危険が及んでいたっていう自覚が無いのか?」


 それは〝感謝しろ〟と言わんばかり。しかしその口上に天狗騨の眼鏡の奥の目が光った。


「やはりあの場には日本人なんていないんですね?」


 が、またもまたも警官はどこ吹く風だった。

「身分証の提示をお願いします」


(官憲め!)

「報道の自由を侵害しておいて後で吠え面かくなよ!」と、天狗騨は怒鳴りつけた。

 ——そうしてみたのだが、警官達には〝対応を変えよう〟などという様子はどこにも見えない。それどころか遂には、

「本当に記者ですか?」とまで言い始めたのだった。


(俺の腕に巻いた腕章が目に入らないのか⁉)と思った天狗騨だったが、この対応からして〝まがい物〟としか思われていないようだった。


 ここまで来ると渋々ながらもASH新聞の社員証を示す他なくなる天狗騨記者。

 しかし社員証を見せても警官にあまり効いている風は無い。警官は義務的に天狗騨の所属と氏名を無線機に向かって告げるのみだった。〝身分照会〟がどうのこうの、というやり取りを天狗騨の耳が拾った。


「もういいな!」と天狗騨は大声を出すや社員証を仕舞い、取材活動を再開すべくジャッと十重二十重の赤い人垣の方へ向け足音を一歩分たてた。

「ああ、天狗騨さん、ちょっと待ってくださいね」とすかさず一方の警官が天狗騨のつま先が指し示す進行方向前面に立ちはだかった。〝あくまでここは通さない〟という身体を使った明確な意思表示である。


「オイ! 取材活動の自由を警察が侵害していいと思っているのか⁉」天狗騨が再度似たような事がらをわめいた。


 その時だった。警官が身体に取り付けている無線機に何事か指令が入ったようだった。一方の警官が天狗騨の顔を見ながら話しを聞いている。イヤホンを通してなので天狗騨にはその中身は解らない。そして警官は「了解」とだけ口にしてそこで通話は終了した。


 その警官が口を開いた。

「警備担当の責任者が『事情を訊きたい』と申しております。ご足労願えますか」


 有無を言わさずといった風に同行を求められた。


「ハア? そんなものは〝任意〟だろう!」


「二、三不審な点があるので自ら確認したいとのことです」


「俺が偽物の記者だとでも言うのか⁉」


「いいえ。単に上の者が、〝考え〟を確認したいということですので。なに、すぐ済みますよ」その警官はあからさまな愛想笑いをしながら言った。


(嘘をつけ!)天狗騨は思う。


(どうあっても集鑫兵の車列が通り過ぎるまで俺をこの現場から引き剥がしたいらしい。ならばすぐに済む道理などあるわけが無い!)

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