第十六章 遂にやっちゃった! 中国国家主席国賓招待!

第百九話【実現! 全国会議員参加・国立追悼施設強制参拝!】

「くそっ、遂にこの日が来ちまった!」天狗騨記者が吐き捨てるようにものを言った。それも周囲の誰にも聞こえるようなレベルの音量で。


 梅雨の晴れ間の或る日のことである。天狗騨はASH新聞社内で苦々しげにテレビの画面を眺めていた。

 なぜ心の中で思うに留めず声に出したものか。不毛であるとは頭では理解していたが、口に出し音として誰かの耳に入れなければ気が収まらなかったのである。


 天狗騨がかねてから反対していた『全国会議員参加による国立追悼施設での追悼行事』、それが今この時間に行われている。テレビは公共放送が時間枠をとったわざわざの生中継であった。

 しかし天狗騨の憤りに反応する者はASH新聞社内にはいない。直接の上司、中道キャップからもその悲憤慷慨は無視された。


 それは異様な光景だった。玉砂利を敷き詰めた、だだっ広い国立追悼施設の敷地内に、ぎっしりと衆参全国会議員他多数参加者が整列し、未曾有の追悼式典が滞りなく行われている。なにかの落慶法要、なにかの開眼供養のようだった。


(新興宗教にしか見えない)天狗騨は思った。


 内閣総理大臣の加堂は、天狗騨に言わせれば〝教祖様〟のようにご託宣を読み上げている最中、であった。衆参全国会議員は頭を垂れそれを温和しく拝聴している。


 その様子がどう報道されたかも天狗騨にとっては重大事である。

 抗議は右派側が多いようであったがその中には僅かに左派もいるようだった。が、いずれも小団体。こうしたいくつかの団体の抗議運動はテレビも新聞も極めて小さくしか取り上げず、あるいは全く取り扱わず、何の問題も起きていないものとしてその後の日々も平穏に過ぎていった。



 それからさらに何日か後の事である。八月二十日を何日か過ぎたその日である。

 突如加堂首相の緊急記者会見が始まった。首相官邸に記者を集め、その上公共放送を使っての緊急生中継が始まったのである。

 

 それはまったく噂にも上っていなかった。

 中華人民共和国国家主席・集鑫兵の国賓訪日が突如発表されたのである。これだけでも驚きだったが、その上をいく驚愕があった。

『中国国家主席が新営の国立追悼施設に足を運ぶ予定』と、加堂首相の口から飛び出したのである。彼が言った『その後の仕上げ』(第二話)がなんであるか、遂にその全容が遂に明らかになったのである。


 これはあくまで〝足を運ぶ〟であり、〝追悼する〟とは微妙にニュアンスが違う。しかしその言い回しはギリギリの折衝が行われたことが示唆されたものと言えた。

 その様子をまたも会社でテレビを見ているだけの天狗騨。

(なるほど、そういうやり口か)さすがの天狗騨も加堂首相の〝やり口〟に感嘆せざるを得なかった。

 ちなみに『やり口』なる表現は肯定的評価を与える場面では決して使わない表現である。

(国立追悼施設強制参拝に野党系が全面降伏したのは中国絡みだったということか——)天狗騨は歯ぎしりした。


 やがて加堂首相得意満面の発表が終わると報道各社の質疑応答の時間へと移っていった。

『所属と氏名を名乗ってから質問をお願いします』との定型の注意を進行役が終えるや一斉に記者達の手が挙がった。


 耳を凝らし首相と記者のやり取りの音声を拾っていく天狗騨記者。


(なんでヤツらウキウキしてるんだ?)率直に疑問に思った。質問者の声が朗らかすぎる、そう思った。

(記者会見ってのはもっと殺伐としているべきもんだろう)天狗騨は思った。


 中国絡みである。こうした場面でいかにも冷や水をぶっかけそうなのが保守系のSNK新聞だが進行役に指名されない。それ以外の社の記者達が次々指名を受けていく。そして——


『ASH新聞の——』まで聞いたところで天狗騨はハッとした。声は『左沢ですが』と続いた。


 なによりもこの声には間違いがなかった。


(なんで政治部長のアイツが⁉)


 政治部長という肩書きは『管理職コース』を歩んでいます、という肩書きで、同時に『記者はやめた』という宣言をしているという意味でもある。そんな人間が首相に質問などしていた。その意味が無意味となっていた。

 それはどう考えても強引に特例を認めさせ押しのけて自らをねじ込んだとしか考えられなかった。


 その声はこれまで質問に立ったどの記者の声よりも弾んでいた。〝日中間の軍事的緊張の緩和〟だとか〝平和〟だとか〝世界経済の牽引役のアジア〟だとか、さながらそれは与党議員による首相に対しての質疑応答のようだった。


(何かがおかしい。『緊急記者会見』などと銘打ってはいるが、首相官邸からウチの上層部にあらかじめ何か知らされていたんじゃないのか?)天狗騨は思ったが現段階では邪推でしかない。


(ウチの部長〔社会部長〕はなにか知っているだろうか?)


 これは天狗騨の直感だったが同じ部長でもこちら側には情報が無いように思えた。


(いずれにしてもこの調子では明日のウチ〔ASH新聞〕の一面は、いや一面どころか全面が醜悪な記事とコラムで埋め尽くされるだろう……)天狗騨はイラついたが社の編集方針になんらかの影響を与えられる力など自身は持ち合わせていなかった。

 国立追悼施設建立も、中国国家主席国賓訪日も、いずれもASH新聞という組織が是とする価値観である。紙面の予想は極めて容易いことだった。


 一対一のデュエルでは左沢政治部長など者の数ではない天狗騨だったが、こと社内政治力という点では遙かに及ばない。しょせんはヒラの記者なのである。



 次の日以降、天狗騨記者の嫌な予感は当たった。どの新聞、どのテレビも、即ちどのメディアにも加堂首相を支持する提灯記事がそのままドドドと流れていた。SNK新聞は90年代以前に戻ったかのように蟷螂の斧と化していた。

 そのせいでASH新聞が却って目立たないほどに。

 ASH新聞にとっては昔日の栄光、黄金の90年代が帰ってきたかのようだった。

 そうなると必然『海外メディアの動向は?』となる。

 新疆ウイグル自治区でのウイグル人人権問題を重視する欧米メディアはどれも中国国家主席国賓訪日決定に異議を唱えたのだが、その唱え方は、特にアメリカメディアにおいてその〝ヌルさ〟が際立っていた。


 アメリカ合衆国が犯罪者と認定したA級戦犯を祀る靖國神社。『かの悪名高きウォー・シュライン』を形骸化させるであろう施設にダメージを加えることを、アメリカのほとんどのメディア関係者がためらったとしか解釈できなかった。


 悲しいかな日本人、ガイアツを使い日本政府の政策を曲げることを期待する性向があるのは思想の右左問わずである。だが、この件についてはその歪んだ期待は完全に外れていた。欧米メディアのガイアツはいまひとつスクラムを組むほどにはなっていなかったのである。

 こうした性向はアメリカ合衆国政府もまた同様であったから、極めて遠慮がちに懸念を表現しただけに留まってしまった。


 そんな調子であるからして事態は天狗騨記者の予想を超えて進み、いよいよもはや新営国立追悼施設に対し公に異議や懐疑がぶつけられる雰囲気ではなくなっていた。そうした主張はネット空間に閉じ込められ、主張者は右派・右翼ばかりとなった。

 

 対照的に加堂首相は絶頂の極みにあった。

 日本の戦没者の追悼施設に中国のトップが来るとなれば、これは歴史的快挙。内閣総理大臣加堂の名は日本史の教科書に載るほどの重い名前となるのは確実だった。

 正に内閣総理大臣加堂の打つ手打つ手がビタリビタリと当たりまくっている状態。正に相手の心理を読み切った対中、対米外交だった。


 それともうひとつ、ASH新聞にとって非常に重要な〝視点〟もあった。

 〝韓国〟である。

 中国のトップである国家主席が国立追悼施設に来てくれれば、当然韓国のトップである大統領もこれに続いてくれるというのも突拍子もない思考ではない。

 つまり日韓関係改善の足がかりが期待できるのである。


 ASH新聞としては中国のみならず韓国との関係改善も期待できるとあって、今や加堂内閣の広報紙に成り下がり、いっさいの政府攻撃はやらなくなったのである。

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