第百八話【お前韓国がどうなってもいいのか⁉】

「オイ、天狗騨ぁ! 米韓関係がどうなってもいいと言いやがったな!」


 声の主は左沢政治部長。


 しかし天狗騨記者は露骨なまでにその声を無視した。

「まだいたんですか」天狗騨が声を掛けたのは直接の上司、中道キャップであった。


「まあ、なんというか、新たな伝説の目撃者となってる最中に途中で降りるに降りられなくなったというかな……」


「終電はもう出ちゃった後です。今夜は社中泊するしかなくなってますがね。家族へは連絡したんですか?」

 同居する家族もいないのにヘンに常識的ことばを発した。


「オイ天狗騨! 下っ端と話し込んで部長の俺を無視してるんじゃねえ!」露骨に無視された左沢政治部長が粗卑な罵声を飛ばす。


 ようやく天狗騨が左沢の方に顔を向けた。

「あのアメリカ人を呼んだのはあなたでしょう? 私が手に負えなくなってアメリカ人の助っ人を呼んでもこのザマだというのに」


「なんだとォっ!」


「言うことといえば怒鳴るだけ。もうまるで中身の無い会話です。しかし私の口からの答えが聞きたいのなら特別に言ってあげましょう。『女性の人権問題』の前では『米韓関係』などどうなろうと構わない。これで満足しましたか?」


「満足などできるかっ! こっちはその歪んだ思想に不満足してるんだっ!」


「ほう、『女性の人権問題』のことを〝歪んだ思想〟と言いますか?」



 この一連の騒動の原点は、中道キャップが左沢政治部長らから受けたパワーハラスメントに対し、中道キャップが〝ハラスメント返し〟をした結果である。そうして計略に嵌まった左沢は天狗騨へと特攻していった——


 なぜそんな〝計略〟に政治部長ともあろう者が嵌まってしまったものか。ここで再び指摘をしておこう。常人には中々理解しにくいのかもしれないがここASH新聞社内においては北朝鮮及び北朝鮮系や韓国が非難されると我が身が傷つけられたかのような感覚を覚え激高する者は決して珍しくないのである。


 しかし左沢政治部長は己の犯した失策について失策とも自覚していなかった。

(『女性の人権問題』で攻撃されればもう天狗騨ペースだ)と直感した左沢政治部長は軸を韓国に固定しようと目論んだ。自覚も無く再び失策の原因に、未だ拘泥し続けていたのである。



「お前は本気で韓国に米軍慰安婦問題を追及させる気か⁉」左沢は天狗騨を追求し始めた。


 天狗騨はふふふと笑い、「当然です」と言ってのけた。この左沢の言動が自身に対する〝追求〟だとも認識していなかった。だからさらにこう口にした。

「さっそく大韓民国大使館に執拗に取材を申し込まないと」


 〝執拗に〟ということばをもうさっそく挟み込んでいた。大韓民国は米軍慰安婦問題の追及を渋るという前提での発言であることは疑いも無かった。


「お前は取材と称し何を言うつもりだ⁉」


「慰安婦問題について日本人に要求したことと同じことをアメリカ人に要求すべきだと、そう言うつもりですが」


「正気か⁉」


「あと韓国人市民団体に対しても取材を申し込みたいですね。『性奴隷国家アメリカ!』『国際レイプ国家アメリカ!』と言って非難するのかどうかを。そうそう、米軍慰安婦像をアメリカ始め海外に建てる運動をするつもりがあるかどうかも取材しなければなりません」


「キサマぁ、それはもう取材とは言わん! お前はもはや言論テロリストだ!」


「いいえ。私はイジメ問題を許さない正義の社会部記者です」


(コイツぬけぬけと〝正義〟などと)

「お前などが正義を自称するな!」


「しかしあなた方は正義でしょうか?」


「なにィ?」


「よくあなた方は言いますね。『国際社会が日本を許さない! 日本が世界で孤立する!』と、これは正しい価値観でしょうか?」


 ほとんどマイケル・サンデルのノリで左沢に詰問を始める天狗騨記者。


「正しい価値観だ!」


「日本は一ヶ国、です。一方国際社会はです。固有名詞を外しこの論理を骨組みだけにすると『多数が少数を許さない! 少数は多数の中で孤立する!』です。数の多寡を語っているだけ。これだけではイジメではないですか? あなたはイジメを正しいと考えますか?」


 左沢は答えられなかった。やはり左沢は天狗騨の敵にならなかった。そしてここに追い打ちを掛けるのが天狗騨である。


「数の多寡と、論理・非論理の間には実はなんの相関関係もありません。数が多くても間違っている場合がままある。日本軍慰安婦問題を女性の人権問題と定義した以上は米軍慰安婦問題も女性の人権問題と定義しなければその論になんらの説得力もありません。そして日本軍慰安婦問題を女性の人権問題と既に定義してしまった以上は、米軍慰安婦問題を女性の人権問題ではないことにする道は既に存在しません」


「……」


「後は具体的証言の比較です。日本軍慰安婦と米軍慰安婦の証言はほぼ同じ内容なのですから、アメリカ合衆国は米軍慰安婦問題で追及を受けなければならない。逆に言うと、日本に対し日本軍慰安婦問題を追求してきた大韓民国にはアメリカ合衆国に対し米軍慰安婦問題の追及をしなければならない義務がある」


「待て天狗騨っ。お前はアメリカという国が米軍慰安婦問題の追及を受けて謝罪すると思っているのか?」


さっきのアメリカ人を見ていてそうは感じなかったのですか? 彼はリベラル。アメリカの良心だということです。人権を何よりも大事にするアメリカの良心がアレですよ」


「キサマぁ! なんというタチの悪さだ! 解っててやろうと言うのか⁉ お前が望んでいるのは米韓関係の破綻ではないのか!」


「破綻して日本が困りますか?」


「日米韓の——」まで言いかけて左沢は答えを飲み込むほかなかった。この連携があっても北朝鮮は核開発を順調に続け、拉致被害者も返ってこない。成果ゼロの役立たずの連携としてとっくに天狗騨に斬り捨てられていたからであった。


「そのアメリカと韓国はツルんで『日本が慰安婦問題で謝らないから日米韓の連携ができない』とか言って日本に圧力を掛けてきましたね。慰安婦問題が原因で日米韓の連携ができないのならなおいっそう米軍慰安婦問題でアメリカ合衆国が謝る必要がある」


 アメリカ人に『アメリカ軍が組織的にレイプした!強姦した!』だの言ったらどうなるか解りそうなものだ!」


「温和しい日本人には慰安婦問題で攻撃できても、恐ろしいアメリカ人には慰安婦問題で攻撃できない。これは正義でしょうか?」


「正義とか悪とかいう問題じゃない!」


「いいえ、これはポリティカルコレクトネスの問題です」


「ぽ、ポリコレ棒で韓国を殴る気か⁉」


「今まで〝過去の歴史〟というポリコレ棒で日本人を殴り続けてきて、今さら殴られたくないは通じませんよ」


「お前には血も涙も無いのか⁉」


 しかし『死刑は野蛮で遅れた刑罰だ!』と日本に死刑廃止を要求している弁護士集団に対し、『それをイスラムにはなぜ言わないんですか?』と平然と問えるのが天狗騨記者という人間である。『妻や子どもがどうなってもいいのか⁉』といった弱者を盾に取った開き直り的脅迫も彼には通じなかった。そんな人間が韓国という国家に対し〝温情〟などかける筈もなかった。恐るべきは忖度不能の人間である。そしてこうした人間は突拍子もない方向へ議論を発展させていく。


「韓国人達にとってはこれは名誉回復の大チャンスです!」


「名誉など無いと言うつもりか⁉」


「これは右派・右翼界隈で頻繁に指摘されていることですが、1945年8月、日本が戦争に敗けるや、朝鮮人達が日本人を襲撃し始めたという記録があります。朝鮮半島だけでなく、ここ日本国内においてさえ、です。今では差別語扱いになっている『三国人』も当時日本にいた朝鮮人達が『我々は戦勝国民だ』という謎の主張を始めた結果生まれた造語です。占領軍のアメリカとしては連合軍に旧日本軍側の人間を加えるなどというふざけた真似は許せなかったということでしょう」


 左沢政治部長は驚愕した。

(このASH新聞社内でまさかこんなヘイトを聞くとは)と。


 『1945ひろしまタイムライン』事件というものがある。

 2020年3月、「もし75年前にSNSがあったら」という設定で、日本の公共放送広島放送局がツイッターを始めた。

 実在の3人の日記を基に、架空の広島市民3人のアカウントが原爆投下当日の様子を実況する形式で話題を呼び、合計41万人超のフォロワーがついていた。

 事件は8月15日の「終戦」以降の世相に対するツイートから始まった。

 その中身は天狗騨が指摘した通り。この日本敗戦の日を境に朝鮮人が態度を豹変させ日本人に危害を加え始めた、というもの。


 結局この騒動の顛末は「朝鮮人」をめぐるツイートについて「差別を扇動している」というものとして削除されるに至った。



 天狗騨は忖度不能の人間であるからして、韓国に忖度もせず、〝削除すべき〟と主張する側の論理を分析し始めた。彼はひとつ象徴的なツイートを見つけた。


『その出来事があり、それを日記に書いた人がいるのは事実かもしれないが、今の世の中に発信することは無色透明な事実ではない』


(事実であるのに事実ではない、とはどういう意味だ?)


(『時代によって発信してはならない事実がある』、これが真だと仮定すると例えば天安門事件という実際にあった事件を発信することが罪となる。『天安門事件を今書くのは無色透明な事実ではない!』こんなものが通用する事になる。これは言論弾圧である。事実に無色も有色も無い! 事実か事実ではないかが唯一の問題だ!)



「戦後の韓国人の行状について触れればそれこそポリティカルコレクトネスに抵触するぞ!」左沢はそう天狗騨に返した!


 が、通じる筈もなかった。


「そういう時は模範解答があった筈です。『』と言うべきでしょう」


 これはイスラム教を語るテロリストがテロを起こした場合に定型文として使われる論理であった。即ち『』であった。


 左沢はもう絶句した。これを使うと『戦争直後に日本人に危害を加えた朝鮮人がいる』ということを認めてしまうからである。

 左沢が呆然としている間に天狗騨はさらに勢いを増した。


「残念ながら事実は事実。しかし、『韓国人は弱くなった途端に弱い者に襲いかかる』というイメージだけは存在させてはなりません」


「おっ、おう」と反射的に返事をする左沢。


「そのためには言論を封じるのではなく、それを韓国人自らの行動によって示さねばなりません。単純な事です。アメリカを米軍慰安婦問題で追及すれば強い者にもものが言えるということが証明できるんです。現状、慰安婦問題で日本人しか攻撃しないその様は、戦争直後アメリカ人に媚びを売り『三国人』という肩書きを取得し日本人イジメを行った一部の朝鮮人グループと印象がかぶってしまう。ここは韓国人達の勇気ある行動で、強い相手にもものが言えることを日本の右派や右翼に見せつけなければ日韓関係改善もありません!」


 しかし正論は正論でもアメリカ人が果たして米軍慰安婦問題で謝罪するかというと——だから左沢は己の懸念に真っ正直に反応した。


「それをやって韓国からアメリカ軍が撤退したらどうする⁉ お前は『有事の際、渡海しなければならない分韓国に援軍が到着するのが遅れる』と解っていながら米韓関係を破綻に追い込もうとしている! 天狗騨っ、お前は韓国が滅亡してもいいのか⁉」


 ことばを『米韓関係の破綻』から『大韓民国滅亡』へとグレードアップ(?)させた左沢だった。


「その答えなら既に言ってますが」


「言ってない!」


「『韓国』と『女性の人権問題』とどちらが大事か? 当然『女性の人権問題』ですよ」


 強烈な目眩を感じる左沢政治部長。しかし気力を振り絞りことばを解き放つ!

「『女性の人権問題』を盾に韓国を滅ぼすつもりだな天狗騨! お前には良心が無いのか?」


「良心が無いのか? と訊くのはこっちです。なんならもっと言ってあげましょうか?」


「なにィ、〝もっと〟だとォ?」


「私は米軍慰安婦問題の追及を巡って、アメリカ合衆国と大韓民国が激しく対立することを誠に結構なことだと考えています」


「バカなっ! それは憎悪を伴ったものになるぞ!」


 天狗騨の髭もじゃの口がニカッと笑った。その笑顔に全身に鳥肌が立ち悪寒が走る左沢政治部長。


「イジメグループが仲間割れを起こし対立し、互いが互いを殺したいほど憎み合う。実に結構なことじゃないですか」


「ふざけるなっ!」


「ふざけているのはあなたで、私が正義です。日本軍慰安婦問題しか追及してこなかった連中はすべからくイジメグループの一員です。したがってアメリカ人と韓国人もイジメグループの構成員だ。その構成員同士が争い始め際限の無い対立に発展していく! 正に『イジメをするとどういうことになるか』という生きた見本になります!」


「おっ、お前の言うことは意味が解らないっ!」


「解るでしょう、これくらい。一対一のイジメというものは存在しません。イジメる側は常に複数。〝複数〟を別の言葉で言い換えると何になると思いますか?」


「知るかっ!」


「『仲間』です」


「……」


「一般論では仲間は素晴らしい。しかしあらゆる〝仲間〟を礼賛できるわけではない! イジメ仲間がいかに信用のおけない仲間であるか、それが解るようにならなければ! 『イジメ仲間は人生のリスクである』。誰かが始めてもそれに加わる者が一人もいなければイジメグループなど形成されず必然的に一対一の構図になるしかない。圧迫力はかなり減殺され問題解決に向け飛躍的前進となる! 米韓が慰安婦問題で激しく憎しみ合い対立すればこれは生きた教科書となります!」


 もはや左沢になにかを言う元気は無くなっていた。


「アメリカ人は慰安婦問題で、アメリカ合衆国という国家の威信を担保する米軍が性奴隷ということばとセットにされ、その威信が際限なく下がる様を味わう。韓国人は常時背水の陣的立地条件の自国の防衛を韓国人だけでやらなければならないという様を味わう。『イジメさえしなければこんなことにはなっていなかった……』という他者の苦しみを第三者は大いに見て大いに思考材料とすべきなのです!」



 ここにはもはや〝理由はどうあれ苦しんでいる人に共感する〟という発想がゼロであった。ただ材料とするだけ。これを表現するピッタリなことばは〝因果応報〟である。

 左沢政治部長は無言で天狗騨に背を向けよろよろとASH新聞社会部フロアを出て行こうとしていた。


(これほどとは思わなかった……こんな狂人には最初から触れるべきではなかった……)


 ASH新聞は心優しくお人好しな日本人のメンタルにつけ込み日本国内で無双をしてきた。その無双時代が確実に終わっていることを左沢は思い知らされたのである。皮肉なことに天敵はとっくに内部にいたのだった。


 去ろうとする者に追い打ちを掛けるのもまた天狗騨流である。


「私は『ASH新聞はやる』と言ったんです! 米軍慰安婦問題の追及を日本軍慰安婦問題並みに! 『やレルもんナラ、やってミナ!』とアメリカ人に言われたことっ! あなたも聞いている筈だっ‼」


 左沢からはもう舌打ちすらも戻ってこなかった。そして残された社会部連中、社会部デスクを始めとして天狗騨によからぬ感情を持っていそうな者からは既に、天狗騨に挑戦しようなどという者は現れることは無かったのである。



 しかし天狗騨からしたら目下最大の懸念である『全国会議員強制参加による国立追悼施設・追悼行事問題』について、社の協力を取り付けるとかいったなんらの前進も得たわけではない。

 天狗騨自身議論に熱中しそれをすっかり忘れていて思い出した時には左沢政治部長は姿を消した後だった。そして相変わらず社会部の連中も冷淡なもの。天狗騨は天狗騨でその内心は憮然としたままなのである。

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