第百二話【最後の歴史攻勢? 〝731部隊〟攻勢1 迷著『THE FLYING SAUCERS ARE REAL(空飛ぶ円盤は実在する)』・編】

(なんでまた『日本の過去の歴史問題』に話しが戻っているのか? これがリベラルアメリカ人の典型的な行動パターンなのか)天狗騨記者は改めてウンザリしていた。


 しかし日本の過去を責め立てる歴史攻勢もいよいよ煮詰まってきたことだけは間違いがなかった。


(パターンと言えば攻撃パターンだ。日本に対する歴史攻撃には大まかに言って5種類のパターンがある。5種類しかないとも言える)天狗騨記者は思った。


(一つ目は『靖國神社』。要は『A級戦犯』絡みだから結局『東京裁判』の問題だ。「この裁判を否定する気か⁉」というパターン)


(二つ目は定番中の定番『日本の侵略と植民地支配』)


(三つ目はいわゆる『南京大虐殺』)


(四つ目はいわゆる『慰安婦問題』)


(五つ目は今から始まろうとしている『731部隊』だ)


(つまり、これが事実上最後のネタだ)


 まして天狗騨は『パールハーバー攻撃』や『風船爆弾』すらクリア(?)していたのだ。


 その天狗騨が口を開く。

「あなたは私が『731部隊』についてどういう主張をするのか訊いておきたいだけ、と言いました。結論から言いましょう。巷間言われている『731部隊』についての日本非難、私はこの〝論〟を『極めて眉唾物である』と、そう考えています」


「やはりカ」とリベラルアメリカ人支局長。


「驚いていないようですね。言っておきますが『風船爆弾にペスト菌』も妄想の産物であると考えているのですよ」


「お前のコトダ、どうせ『731部隊』も否定にかかるノハ分かっテイル。その〝言い訳〟にどれホドノ説得力がアルカを知っておきたいダケダ」


「『731部隊』にも、『シオン賢者の議定書』や『南京大虐殺』同様〝種本〟というものがある。『731部隊』を語るについて避けては通れない本です。しかし今度の種本の作者はロシア人でもなく、アメリカ人・オーストラリア人でもなく、残念ながら日本人なのです」


「外国人が相手だとあれホド容赦ナク叩いてオイテ、日本人相手にハ手心ヲ加エルつもりデハあるマイナ?」


「手心? 動機がありませんね。『731部隊の種本』は日本を糾弾する趣旨の本です。私はその本におかしなところがあり到底納得できない、という立場ですから」


「ではお手並ミ拝見とイコウカ」尊大な調子で先を要求するリベラルアメリカ人支局長。それを正面から受けて立つ天狗騨記者。


「種本の名は『悪魔の飽食』、続刊も一冊あります。猟奇的性向の強い人間には非常に興味深い本でしょう。作者の名は『森村誠一』。推理小説作家ですね」


 天狗騨は一拍の間をとる。


「この本は、1950年6月に発刊されたアメリカの有名な本に構造が非常によく似ている。本のタイトルは『THE FLYING SAUCERS ARE REAL』、日本語訳で〝空飛ぶ円盤は実在する〟。作者の名は『ドナルド・キーホー』、元海兵隊員です。彼はこの本で『空飛ぶ円盤は宇宙から来ている』と言い切りました」


(なんでコイツはアメリカのオカルト本の話しを持ち出してくる⁉)リベラルアメリカ人支局長は天狗騨がことあるごとにアメリカのネガティブキャンペーンをしているようにしか思えなかった。その本はその筋ではそれくらい有名な本なのである。


「——空飛ぶ円盤の実在を主張はするがしかし、物的証拠は無い。ではどうしてそこまで言い切れるのか? 関係者の種々の証言によって読者を納得させたと、そういうわけです」


「——では関係者とはどういう人物か? 大手航空機メーカーのエンジニア、航空諮問委員会の委員、空気力学の権威、こうした専門家の人々です。しかし看過できない重大な問題があった」


「——これらの専門家は匿名だったのです!」


 天狗騨はここで件の手帳を開く。


「——この本を批判的に見るアメリカの或る大学教授はこんなことを言っています。『キーホーは自分が親しい軍の関係者、技術者、大学の専門家の証言を使っていますが、その名前を全く明らかにしていません。大勢の匿名の人物の証言を〝証拠〟として積み上げ、自分の主張を組み立てているのです。このやり方は専門用語に不慣れな一般の読者にとっては、いかにもキーホーの主張が本当であるような印象を与えます。「極秘事項なので実名は出せないが自分にだけは匿名で打ち明けた」、そう印象づけることでキーホーの主張はもっともらしく見えたのです』と」


「ちなみに、どうして『自分だけに打ち明けた』などというご都合主義な主張が一定水準以上の説得力を持つに至ったか? それはキーホーの海兵隊における階級です。彼は少佐、将校クラスでした。故に『私には特別な人脈がある』などと一見トンデモな事を主張しようと、妙なリアリティーを人に与える事ができたと考えられます」


「——『悪魔の飽食』はこれと全く構造が同じです。誰が言ったのか分からない匿名の証言集というしかない。そして著者は高名な推理小説作家。『自分にだけは匿名で打ち明けた』と言えるだけの素地は十二分にある」


「待テ! テングダ! 731の証言ハ、世にも恐ろシク、人道に対スル罪に問われカネナイ案件ダ! 匿名トイウ条件でも付けなけレバ『証言』ナド集めラレル筈が無イ!」


「なるほど、確かにあなたの言う通りだと、最初は私も思っていました。いましたが実はね。それで私はこの本の信憑性に疑問を持つに至りました」


「匿名にスル必然の無イ人物、ダト?」


「その顔は〝納得できない〟といった顔ですね。いいでしょう。件の箇所を今から読み上げてみせましょう」天狗騨はそう言うと、すたすたと或る机の前へ。そこは天狗騨の席。引き出しを開け付箋が妙にたくさん挟み込まれた本を取り出した。むろん本のタイトルは『悪魔の飽食』。


 一発でバッと頁を開くと朗読を始めた。


「『記者会見は、はからずもハルピン特務機関による大魔窟の宣伝会のようになった。自由行動となった翌日の夜、M記者は『哈爾浜日日』の木村という記者に誘われハルピンの繁華街キタイスカヤ街のあるロシア・バーに行った——』」


「『——ビールを飲みながら『哈爾浜日日』記者はこんなことを言った。『あのねえ……ボクから聞いたといってもらっては困りますが、きのうの傅家甸(フージヤデン)の話しには別の意味があるんですよ』

 聞き耳を立てたM記者に、木村は言った。

『傅家甸は、確かに恐怖の区域にはちがいありませんが……しかし記者会見でも質問に出たように、関東軍がここに手をつけないのには訳がある。……ここの特務機関や憲兵隊や市警分室などが、必要以上に傅家甸を恐怖の暗黒街にしておきたがっているのですよ。そこに入っていった人間が姿を消していくという恐怖の伝説を作りたがっている』

『すると……謀略じみた話しが?』

 木村はうなづいた。

『二年ほど前の一月に、こんな事件が起きた……傅家甸の入り口に当たる正陽街の道端に若い男の凍死体が転がっていたのです。その男は『満州日日』の森本君とかいう日本人記者だった……警察が調べた結果、死因は森本君が以前からの阿片常用者で、その日も傅家甸の阿片窟で一服したあとふらふら歩いているうちに凍死したのだろうということになった……しかし森本君は阿片飲用の習慣を持っていなかった、同僚記者は異口同音に言っているのです』

『すると……彼はなにか取材のうえで?』

 M記者に一つの想像が走った。

『そうです。森本君は軍回りの記者でした。彼は防給のことに関心を持っていたようです』

『ボウキュウ……それは防給、つまり防疫給水部?』

 M記者はその名に記憶があった。日本を出発する前、陸軍報道部長 谷萩那華雄大佐が笑いながら教えてくれた関東軍特殊部隊の名である。

『すると彼は必要以上に軍の機密に接近したため消された?』

『いや、ボクはそこまでは想像していませんがね』

『哈爾浜日日』の記者は急に歯切れが悪くなり、なんとなく後味の悪いまま、その夜の会話は終わった。木村記者は余計なことをしゃべってしまった自分を明らかに後悔しているようだった——とM氏はいう』」


 天狗騨は朗読をやめいったん顔を上げる。

「〝M〟なる人物、彼は新聞記者です。731部隊の関係者じゃありません。なんで匿名になっているのでしょうか?」


 そんなことを問われてもリベラルアメリカ人支局長に分かる筈が無い。


「続きがあります」と言って天狗騨が再び語り出す。「——この『M記者』なる人物は、この後その他の記者共々〝或る映像〟を見ることになる。『軍用機が爆弾のようなものを落とす映像』です。この映像を記者達に見せた後、ハルピン特務機関 浅岡機関長補佐なる人物が爆弾発言をします」


 ここで再び本に目を落とす天狗騨。

「ハルピン特務機関 浅岡機関長補佐曰く、『この記録映画は、ハルピンの大直街にある関東軍防疫給水部が撮影したもので、ほんのちょっとした試みとして……中支戦線で細菌を使ってみたものです』。これを直接耳で聞いたのが『M記者』だということです。つまり重要証人。しかし『M』だけではどこの誰かも分からず裏のとりようがありません。私には裏をとらせないように『M』にした、ようにしか見えません」


 リベラルアメリカ人支局長はなにかを言おうといったんは試みたが、

(……しかし、しかし、明らかに731関係者以外を匿名にする合理的な理由はこれになるしかない……)というところに行き当たらざるを得ない。


「しかもどこの社に所属しているのか、新聞社名すらも匿名です。その箇所も読んでみましょう」


「——『当時M新聞社東京支社に、ロシア語の堪能な長身、細面の記者がいた。この章から登場するM氏である。当時二十九歳のM氏はM新聞社が満州に派遣する大本営記者団の一人に選ばれていた』」


「『東京支社』、と書かれているところからして東京以外が発祥地になっている新聞社だと考えられます。そして且つイニシャル『M』。かなりの確度をもってMIN新聞だと考えられますが、これ、名前を伏せる必要があるでしょうか?」


「貸セ!」


 リベラルアメリカ人支局長が天狗騨が手にしていた本を奪った。彼の日本語能力は喋れるだけではない。付箋の挟まれている箇所をチェックしていく。


「うぬウ……」


 168頁にM新聞、174頁にはM記者の酒場でのやりとり、184から185頁にはアサオカなる人物の発言をM記者が聞いていたことが確かに記されている。


(敢えて合理的な理由を考えるなら……)とリベラルアメリカ人支局長は思う。


(後で誰かが調べようとしたときでも足がつかないようにした……としか……)


(いやいやいや、なにをテングダに毒されている!)


「しかしこの一部を見テこの本の全部を否定スルというノハ乱暴ではナイカ」かろうじてリベラルアメリカ人支局長はこれを言えた。


「その本の根幹部分に問題があります」天狗騨が答えた。


「モンダイ?」


「もう一度貸してみてください」そう言いながら天狗騨はリベラルアメリカ人支局長の手から『悪魔の飽食』を取り上げた。差し挟まれた付箋をチェックしつつぱらぱらと頁を繰る。

 天狗騨が再び朗読を始めた。


「『私が意図しているものは歴史の空白を埋める満州第七三一部隊の実像復元であって、個人責任追及ではない』」


「『隊員たちの行ったことは、当時の日本人とまったく切り離された特殊な経験ではない』『第七三一部隊における各種生体実験は集団としての日本人が組織の命令で行ったことである』」


 ここで天狗騨は朗読をやめた。

「ドイツが『ナチスという組織に所属していた個人の罪だけを問い、ドイツ民族としての罪を問わない』のとは実に対照的です。ドイツはこれで『立派だ』と言われ、その一方で日本には『集団としての日本人』、つまり民族的責任を問う人間が平然と存在できる」

 天狗騨は本の末尾を開く。

「この本の初版は1983年、もう40年ほども前の本ですが、現代の価値観ならば間違いなくヘイト本の範ちゅうに入る本です」


「——さて、あなたはどう思いました?」天狗騨はリベラルアメリカ人支局長に訊いた。


 しかし『個人責任の追及はしないが集団としての責任は問う理由を答えよ』などと訊かれても、これに対する合理的な答えはひとつしかあり得ない。


「何かシラノ物的証拠、命令書の類いガあるのダロウ」リベラルアメリカ人支局長は言った。なにしろ『集団としての日本人が組織の命令で行ったこと』と聞けば当然そういう答えになる。


「まあ、普通ならそう考えるでしょうね、しかしこの著者が『個人の罪を問わない』ことにした理由はそんなものではありません。1983年の現在、という意味でしょうが『現在学会の第一線で活躍している人も多く、社会的影響が大きいからである』と著者は言っています。だから個人の罪を問わないと」


「ナ……」と言ったきり絶句するリベラルアメリカ人支局長。


「またこの著者はこんなことも言っています。『数百という生体解剖で腕をみがき戦後の医学界に地歩を築いた人も多い』と」


「ここでも共通なのは先ほどの『M氏』同様、それが誰かという〝完全な形での名前〟が一切出てこない、という点にあります」


「……」


「社会部の記者として言わせてもらえば、名指ししたら最後、裁判で勝つ見込みが無いので匿名にし、しかも念には念を入れて『あなたの責任は問わない』ことにした、としか考えられません。相手が医者では裁判費用の支払い能力はあるでしょうし、裁判で負けるような事になればこの本の信憑性が一気に無くなりますから」


(なぜ731でも……)

 しかしリベラルアメリカ人支局長は屈服などしたくない。脳を最大限に回転させる。


「確かニ不必要と思わレル者まで匿名になってイタリ、著者の思想的スタンスに問題ガあるとしてモダ、この本ヲ全て否定するノハ極論に過ぎるダロウ」


 考えた割には同じ口上をリピートしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る