第九十三話【〝日本の安全保障〟攻勢4  嗚呼、青春の(?)南ベトナム・編】

『しかしアメリカ合衆国には敵国と戦っている同盟国をも見殺しにしたという実績もあるのですよ』————

 妙に自信たっぷりな天狗騨記者のこの言を受け、リベラルアメリカ人支局長は間髪入れず己の頭の中の高速検索を始めた。一番最初に思い当たったのは——

(台湾か?)


(しかしアメリカ合衆国政府は台湾に対する武器売却を続けている。それに『台湾は国ではない』という建前があるのだから同盟国になどなりようがない——)


 次に思い浮かんだのは——

(ならば中東方面か?)

 中東にはアメリカ軍が常に存在し、駐留アメリカ軍の数をいかに減らしていくかがアメリカの定期的な政治課題として存在している。


(しかしアメリカはISとの戦いを放棄したわけではなく今だって戦い続けている。間違っても『見殺しにした』などというネガティブキャンペーンを、できる道理が無い)


(アメリカが見捨てた同盟国など一切思い浮かばない。ならばどうせテングダのこじつけだ。『台湾』か、あるいは『イラク』か『アフガニスタン』か。そこいら辺りの名前を出して来るに決まっている!)

 リベラルアメリカ人支局長はそう結論し、心の中で(反論はそう難しいことではない)と自分に言い聞かせながら身構える。そして——

「どこヲ見殺しにシタと言ウ?」と挑戦状を叩きつけるような語調で天狗騨記者に突き返した。


「ベトナム共和国、通称南ベトナムです」天狗騨は答えた。


「ハ?」意表を突かれ過ぎて一瞬頭が真っ白になるリベラルアメリカ人支局長。



 『南ベトナム』。或る年代に学生生活を送った世代にとっては、聞いた瞬間青春時代がフラッシュバックしてしまうような、特別な韻のようなものが染み込む固有名詞である。



「アメリカ合衆国は南ベトナムを見殺しにしました。その結果この国は滅亡です」続けて天狗騨はその国の行く末について言及した。



 『南ベトナム』、天狗騨の言った通りそんな国は今現在この地球上に存在していない。

 正式名『ベトナム共和国』。インドシナ半島東部、南シナ海に面しており、北緯17度線より南がその国土である。

 1955年建国、1975年滅亡。


 現在となっては当のベトナム人でさえも「俺の祖国南ベトナムを返せーっ!」とは言わない。

 現在のベトナム、『ベトナム社会主義共和国』は一党独裁でもあるので、ベトナム人が南ベトナムを懐かしんだりすると、何らかのとばっちりを受ける可能性は無きにしも非ず、とは言えるのかもしれない。

 ただ、いわゆるドイモイ政策によって、今や『ベトナム社会主義共和国』は急激な経済成長を遂げた。暮らし向きも格段に良くなりベトナム戦争以降の世代は誰も南ベトナムなどという国を省みない。

 そんな調子であるのでまして外国人であるリベラルアメリカ人支局長の頭の中に『南ベトナム(ベトナム共和国)』などというそんな国名が思い浮かぶ筈も無い。頭の片隅にあったことすら忘却の彼方だった。

 その南ベトナム視点で語り出す人間が未だにいるなど想定外も想定外、リベラルアメリカ人支局長の構えはあっという間に崩されていた。



「あなたはアメリカ人ですから『トンキン湾事件』をご存じでしょう? 『敵が撃ってきた!』と敵の先制攻撃をでっち上げ、自らの軍事行動を正当化。正にアメリカ版満州事変です!」

 なんと天狗騨、ここで戦前の日本とアメリカを結びつけてみせた。


「日本人ガ何ヲ言うカ! それを暴いたノハアメリカ人自身ダ! 戦争ニ負け、初めテ真実ヲ知るニ至っタ日本と同じニなるワケないダロウッ!」リベラルアメリカ人支局長が怒鳴り返す。


 『トンキン湾事件』、それはアメリカ人の永遠のトラウマである。

 ただ、アメリカ人にとっては幸いなことにベトナム人の国民性が、例えば韓国人の国民性とあまりにかけ離れているため、普段はさほどに悩まなくて済むのである。だが天狗騨はそれをほじくり出してきたのだ。



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 『トンキン湾』とはむろん地名であり、南シナ海北西部、雷州半島と海南島に囲まれた湾である。

 『トンキン湾事件』の基本構造は以下の通り。

 1964年8月、この湾でアメリカ合衆国と北ベトナムの間に軍事衝突が起こった。

 時のアメリカ政府は『トンキン湾公海上を巡視中のアメリカ軍駆逐艦が北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受けた』と発表、『直ちに反撃のため北ベトナムを爆撃した』と軍事行動の開始を宣言した。こうしてアメリカ合衆国はベトナム戦争へと突入していく。ところが、このアメリカの正当性を担保する筈の発表がでっち上げだったことが後に分かる。ベトナム戦争の大義を失わせる事件となった。


 むろん1964年8月のその時に『でっち上げだった』ことなど大多数の者には分からない。

 当時の大まかな事件の経過は以下の通り。

 『北ベトナム軍による魚雷攻撃』を受けアメリカ合衆国大統領ジョンソン(ケネディ暗殺のため副大統領から大統領へと昇格した人物)は上下両院に対し『アメリカ軍に対する攻撃を退け、さらなる侵略を防ぐために必要なあらゆる手段をとる権限を大統領に与える』という決議の採択を要請した。

 アメリカ下院では410対0、同上院では88対2という圧倒的多数の支持で『トンキン湾決議』が採択された。この票差が全てを雄弁に語っていた。一般のアメリカ人目線では正に『第二のパールハーバー』、熱狂の渦の中アメリカ国民は北ベトナムへの攻撃を支持した。


 アメリカ人達をここまで逆上させた重要キーワードは『公海』、である。

 改めて。

 『トンキン湾が北ベトナムの魚雷艇の攻撃を受けた』。これがアメリカ政府の主張である。

 〝公海〟とは文字通り公の海。どんな船種の船だろうと自由に航行できる海である。『自由な海を航行しているだけなのに攻撃を受けた』、つまり『アメリカ側は理不尽な先制攻撃を受けた』ということになり、パールハーバー化するのである。


 ところが4年後、事態はとんでもない方向へと展開していく。実は『第二の満州事変』でした、とすら言えるような強烈なオチがついたのである。

 リベラルアメリカ人支局長の所属するニューヨークのリベラル系新聞が、アメリカ政府の内部資料(いわゆるペンタゴン・ペーパーズ)を入手し、トンキン湾事件がでっち上げであることをすっぱ抜いた。

 以下はその中身である。

 実は当初アメリカ軍駆逐艦が北ベトナムから魚雷攻撃を受けたのは〝一回ではなく二回〟とされていたのである。即ち1964年8月2日と同8月4日。

 うち〝8月4日〟の方は北ベトナムによる攻撃自体が存在しない完全なでっち上げ。

 〝8月2日〟の方は攻撃自体は存在したものの、アメリカ軍駆逐艦は南ベトナム軍の北ベトナム攻撃に随伴していた事実が明らかになった。つまり米艦は、いわゆる〝無害通航〟をしていたわけではなかったのである。

 さらにはジョンソン大統領が用意した決議文及び攻撃目標のリストが、トンキン湾事件の2ヵ月も前にホワイトハウスで作成されていたという事実も明らかにされてしまった。

 かくして圧倒的大差をつけ上下両院で採択された『トンキン湾決議』は1970年、敢えなく取り消されることになる。以上が『トンキン湾事件』の顛末である。


 一方北ベトナム側の主張は以下の通り。

 8月4日の攻撃は当初から否定。8月2日の攻撃の方は認めている。ただし、アメリカ側主張(官民ともに)とはかなり趣を異にする。

 8月2日の事件について北ベトナムは『北ベトナム領海を公然と侵し、漁船をおびやかしていた米艦を北ベトナム巡視艇が追い出した』と主張。そもそも現場は公海などではなく、アメリカ軍に対応したのは巡視艇(魚雷艇とはなっていない)だと言うのである。

 こうなると沿岸警備隊の船を海軍が襲ったというトンデモない事件ということになる。

 それを裏付けているのだろうか、『当時北ベトナムは魚雷艇を装備していなかった』という指摘もある。即ち攻撃手段が無ければ当然攻撃など起こりようがない、というわけだ。

(https://www.y-history.net/appendix/wh1603-065.html参照)


 アメリカ合衆国は北ベトナムに戦争で敗けたが占領を受けたわけではない。故に彼らの歴史観は外部の力による影響は受けず保存される。一方北ベトナムは戦争に勝った。故にアメリカの歴史観を受け入れさせられてはいない。したがって今なお二つの歴史観は並立し続けるのである。

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(〝8月2日〟にアメリカ軍駆逐艦が北ベトナムから攻撃を受けたのに〝8月4日〟の事件をでっち上げたのは『南ベトナム』の方から「我々もいっしょに現場にいた」という情報が外部に漏れることを怖れ〝念には念を入れた〟結果だろう。そう考える他合理的な説明がつかない——)そう天狗騨は思う。


(ただ、アメリカメディアは8月2日の掘り下げが浅いのではないか)


(8月2日の事件を日本に例えて考えるなら、海上保安庁の船に中国海軍の軍艦が攻撃してきたようなものだ。こんなものは日本側の開戦の根拠にはなっても中国側の開戦の根拠になるわけがない。現にそういうところを考えているから中国は大型艦を白ペンキで塗りたくり、「軍艦でない」と言いつくろうために『海警』などと名乗っている)


 8月2日にアメリカ海軍駆逐艦に対し出動した北ベトナムの船の船種。

  それは非常に重要な問題なのである。

 だがその部分について明確な結論が出ているとは言えない。


(結局のところ『トンキン湾事件』とは、アメリカ政府がアメリカ国民を騙した・裏切った問題になっているだけで、アメリカ政府が外国を侵略した問題としては扱われてはいない。なにしろアメリカ的時系列としては『8月2日の北ベトナムの魚雷攻撃⇨アメリカの北ベトナム爆撃』となっていて、「相手が先に撃ってきた」という点において、アメリカ政府もアメリカメディアも寸分の違いも無い。こうした主張では侵略になどなりようがない)


 そういう意味でこの一見英雄的アメリカメディアの報道も、巧みにアメリカ合衆国という国家が致命的な打撃を受けぬよう予め逃げ道を与えている報道でしかないように天狗騨には思えてしまうのであった。


 だが、常にアメリカ側が嘘をついているとも断言できず、まして発生から優に半世紀以上も経っている事件なのである。

(ある意味真相は藪の中だ)と天狗騨は思うしかない。



 リベラルアメリカ人支局長が天狗騨を睨みつけている。

『日本人ガ何ヲ言うカ! それを暴いたノハアメリカ人自身ダ! 戦争ニ負け、初めテ真実ヲ知るニ至っタ日本と同じニなるワケないダロウッ!』とのリベラルアメリカ人支局長怒りの自負に天狗騨はこう応じた。


「生憎こっちは『トンキン湾事件』を追求したいわけではありません。単なる前振りです」


(なにせ『トンキン湾事件』には逃げ道が既に用意されているんだからな。まして日本人が『トンキン湾事件』などと言いだしアメリカ人を責め立てれば『満州事変』になって戻って来るだけだろう)と天狗騨は判断したのである。それ故自ら先手を打って『トンキン湾事件』と『満州事変』を結びつけてみせた。

 彼はアメリカ人が日本軍慰安婦問題を追及してきたことを大儀として米軍慰安婦問題を追及している身だから当然そういう発想にもなる。


「前振りダト?」リベラルアメリカ人支局長が眉間に皺を寄せ訊き返した。


「ええ、私の言わんとしている主題はあくまで南ベトナム。私は一旦始めた戦争には最後まで責任を持て、と言っているのです」と天狗騨は答えた。


(『トンキン湾事件』は開戦時の問題だ。ではなくてこっちは終戦時の問題を追及しているのだ)天狗騨はこう思っていた。


「責任をモッテ戦争を止めたノダ!」リベラルアメリカ人支局長は当然の如く『アメリカの良心』を強調する。

 だがやはり、と言うべきか天狗騨にはまるで効いていない。天狗騨はことばを矢のように解き放つ!


「それはアメリカ人の一方的な都合を語っているだけですね。アメリカ合衆国がこのような謀略を用いなければベトナム戦争は始まらず、当然南ベトナムは戦争当事国とはならず。したがってこの国は滅亡することもなかった!」


(なんだとおっ‼————)しかし声が声にならない。

「¡ ! ¡☆ッ」


「——韓国からはアメリカ軍は撤退していないのだから同じ事をするべきだった、と言っているのです。そうすれば南ベトナムという国も滅亡することはなかった」


「☆★☆★☆★☆★☆★‼ッッ」


 目を白黒させるリベラルアメリカ人支局長。このような論理で責め立てられたことなど今の今まで一度も体験したことが無い。狼狽と混乱の渦中、しかし表面沈黙を続けるリベラルアメリカ人支局長に対し、あたかも北ベトナムのテト攻勢の如く追撃をかけ続ける天狗騨記者!


「ベトナム戦争開戦のいきさつを考えたならアメリカ合衆国には南ベトナム見殺しを正当化するいかなる理由も存在しない! だがアメリカ軍は撤退しその結果南ベトナムは滅んだ!」


 リベラルアメリカ人支局長、なお沈黙————


「アメリカ合衆国には敵国と戦っている同盟国をも見殺しにしたという実績がある。嘘じゃあないでしょうが!」天狗騨は切った啖呵に堂々回帰してみせた。


 追い詰められるリベラルアメリカ人支局長。

(しかしなにかを言わねばアメリカが悪党にされる!)彼はアメリカ人としてもはや温和しくは引き下がれない土俵際まで追い込まれていた。

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