第十三章 遂に大反攻開始! 日本の安全保障 天狗騨記者、日米同盟を大いに疑う!

第九十話【〝日本の安全保障〟攻勢1  天狗騨記者の勝利の方程式・編】

(ようやく不利な話しを終わらせることができた)とリベラルアメリカ人支局長は内心ほくそ笑んでいた。そして敵を完全なるキル・ゾーンに誘引した気分だった。


 ところが天狗騨記者の方も内心ほくそ笑んでいた。

(〝辺野古のジュゴン〟を持ち出した甲斐があった。ようやく歴史噺を終わらせ、このアメリカ人を安全保障に誘引することに成功した)と。


 かくして互いが互いにほくそ笑み合うという奇妙な事態となっていたのである。しかしそんなものは表からは見えないので本人達も含めこのASH新聞社会部フロアにたむろする誰もが気がつかない。



 さて、その『辺野古』である。

 辺野古、辺野古と、執拗に辺野古にこだわる天狗騨記者。そしてこだわっているのはASH新聞とて同じ事。ここは両者の価値観は一致をみていた————

 そこで、改めて〝辺野古〟について触れておく。厳密な地名は沖縄県名護市辺野古。


 話しはアメリカ海兵隊・普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)から始まる。

 沖縄本島、住宅街の真ん真ん中に存在するこのアメリカ軍基地は当のアメリカ政府の高官の口をして『世界で最も危険な基地』とまで言わしめた。

 『重大な事故が起こってからでは遅い』と日米両政府の間で返還交渉が始まり、1996年にひとつのゴールに到達する。

 無条件で『ホイ』と普天間基地を返してくれれば話しは早い。が、アメリカ政府は普天間基地の代替基地を用意するよう日本政府に要求し、日本側はこれを受け入れた。ここで初めて、代替基地建設地となった『辺野古』の名がクローズアップされることになる。


 沖縄県名護市辺野古・アメリカ軍キャンプシュワブ。

 このアメリカ軍施設に隣接する海を埋め立て拡張し、その埋め立てた部分をアメリカ海兵隊のための新たな飛行場とすることになった。海の上なら近隣住民などいる道理が無い。『これで騒音、事故の危険など、迷惑施設にはならないだろう』、というある意味ありがちな思考であった。これを『普天間合意』という。


 

 ところがである、この辺野古の海がたまたま海洋性ほ乳類ジュゴンの餌場だった。そう、ジュゴンはクジラやイルカの仲間なのである。天狗騨はこれを奇貨とし(使わない手は無い)と考えた。何を使うかといえば、リベラルなアメリカ人の価値観、『』である。


 そんな折も折、まるで図ったかのようにアメリカ合衆国の新駐日大使(アメリカの政治の名家・K家の御令嬢)がSNSでつぶやいた。和歌山県太地町のイルカ猟を非難したのである。天狗騨からしたらこれはなんともおあつらえ向けの発言でしかない。

 この後、ASH新聞社会部所属天狗騨記者は執拗にこの駐日アメリカ大使に『太地町のイルカと辺野古のジュゴン』と言って取材を申し込み続けることになる。(当然それは反対側からみれば〝嫌がらせ〟となる)


 むろん辺野古のジュゴンで騒いだのは天狗騨記者だけではないのだが、天狗騨と他の者の行動原理には決定的な違いがあった。

 例えば、アメリカ国内では、辺野古埋め立て工事がジュゴンに及ぼす影響について『アメリカ国防総省は沖縄県や名護市と協議しておらず、アメリカ文化財保護法が定める義務を果たしていない』として裁判を起こした人間達(アメリカと日本の環境保護団体)がいた。(しかし裁判は一審、二審で原告敗訴している)

 また、辺野古のジュゴンのドキュメンタリー映画も造られた。この映画、実は造ったのは日本人でそれもニューヨークで公開した。(ちなみに、公開はしたのだが、日本のイルカ猟を告発する映画『ザ・コーヴ』のように、アカデミー賞を与えられるようなことは無かった)


 しかしである、リベラルアメリカ人達の過去の日本に対する言動を引き合いに出し、公然とクジラやイルカと絡めてくるのは天狗騨くらいのものである。

 アメリカ国内での裁判もジュゴンのドキュメンタリー映画も、『アメリカの良心に期待したい』というスタンスを結局棄て切れていない。


 そんなやり方など天狗騨からしたら極めてヌルイ攻撃でしかなかった。

(クジラやイルカと絡めない非難などアメリカ人にとって痛くもかゆくも無い。本気で戦っているのか⁉)という感覚しかなかった。

 天狗騨の天狗騨たる所以は『だからクジラ猟やイルカ猟に口を出すな!』ではなく、『』なのである。


 正に、ひとたび死刑廃止を日本に要求したからにはイスラム諸国にも要求せよ!

 正に、ひとたび日本軍慰安婦問題を問題としたなら米軍慰安婦問題も追及せよ!


(己が口にした価値観に殉じよ! 殉じないのならお前達は人種差別主義者である!)とやる。本気で〝殉じさせよう〟とするのである。こうした価値観に微塵のブレも無い。

 安全保障を持ち出せばたいがいの日本人はアメリカ人に対し温和しくなるのだが、天狗騨のこうした価値観は正に、アメリカ人からしたら日米同盟など歯牙にもかけない狂人の言い様だった。



 天狗騨記者の駐日アメリカ大使に対する取材攻勢は、結局最後の最後まで無視され続けたが、その後ひとつだけ或る奇怪な事件が起こった。


 2015年に陸上自衛隊とアメリカ海兵隊の間で極秘合意が結ばれていた。

 なんと、使のだ。その日本人とは〝自衛隊〟である。合意の中身は陸上自衛隊の『水陸機動団(離島防衛部隊)』をアメリカ軍キャンプシュワブ(沖縄県名護市辺野古)に常駐させるというもの。

 『普天間合意』が結ばれた当時にはそんな構想は微塵も無かった。にもかかわらず突如として湧いた日米の共同基地化。実際嘉手納も普天間も沖縄において飛行場は聖域でアメリカ軍専用なのである。即ちこれがいかに〝奇怪な事件〟かは多少でも普天間基地問題に関心を持っていたならすぐに解る。これは1日限りの『基地公開イベント』などではないのである。

 さらに奇妙なことに、極秘に合意を結んだはずなのに、なぜか5年ほども後の、2021年にこの合意が突然極秘でなくなったのである。しかも辺野古の埋め立て工事がその軟弱地盤のために頓挫し未だ完成もみていない中途半端な時期に突如秘密解除されたのである。自衛隊側から見れば、できてもいない基地は共同で使いようがない、いつから使えるのかまったく見込みも立っていない、となるしかない。


 『辺野古埋め立て基地をアメリカ軍だけでなく自衛隊も使うことになっていた』、と明らかになったとき、当時の沖縄県知事は腹を立ててみせた。

(実につまらない対応をする)と天狗騨は思ったものだった。(日本の公権力そのものである自衛隊を沖縄県の、それも飛行場と一体運用されるアメリカ軍基地に入れるということを異常と感じる嗅覚に欠けている)とも思った————



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 辺野古の話しが続いている。ここで天狗騨記者の普天間、辺野古以外、即ちその他〝在日アメリカ軍基地一般〟についての認識についても一応触れておこう。

 大ざっぱには基本ASH新聞の社論と大差ない。そこはそこ。ASH新聞記者なのである。


 有り体に言って『』、ということである。


 例えばこんな具合である。

『オリンピック期間中だけでもアメリカ軍横田基地の滑走路を民間機乗り入れのために貸して欲しい』と日本政府が在日アメリカ軍に持ちかけたことがあった。2020東京オリンピックの頃合いの事である。しかしこの提案は即座に在日アメリカ軍によって一蹴されている。天狗騨はこれに憤った。


(東京近郊でさえこの有様で、〝まして沖縄では〟だ! 沖縄にはアメリカ兵による交通事故や犯罪に県民が泣き寝入りさせられてきた歴史がある。そして現在進行形だ! アメリカ兵が交通死亡事故や性犯罪を起こしても、アメリカ軍基地の中にさえ逃げ込めばもはや日本側は手も足も出ない!)


 2004年には基地の中のみならず基地の外でさえ日本側に手も足も出ないことが発覚してしまった。『沖縄国際大学アメリカ軍ヘリコプター墜落事件』である。日本の警察(沖縄県警)は事故現場の現場検証もできなかった。

 ちなみにこの事件が起きた当時、アテネ・オリンピックの期間中で日本のメディアはオリンピック報道にかまけ事件報道を怠りろくに問題にならなかったという事実を知って以来、天狗騨はこの僅か2週間ばかりの国際スポーツイベントに対し実に冷ややかな認識を持つに至っている。


 天狗騨からしたら〝親米派(当然日本人)〟の言い様も気に食わない。

(『近頃はそれでも在日米軍基地の側もアメリカ兵の犯罪や不祥事に厳しさを持ち始め、日本に協力的になった』、などと曰う。しかしそれはあくまで『アメリカが特別な対応をしてあげている』といった態度で、その場限り個別の運用でお茶を濁しているだけの状態だ。そして相も変わらず日米地位協定はそのまんま。制度上在日アメリカ軍基地は、いわば治外法権の〝聖域〟であり続けている!)


 故に天狗騨はこう考える。

(アメリカ合衆国は在日米軍基地に、僅かでも日本の公権力を関わらせたくないと考えている)と。

(だからアメリカとしては日米地位協定を改定してしまえば日本の公権力の介入を常時認めることになるからこれはやりたくない。むしろ『特別な配慮』とやらを示し、あたかも日本に恩を売るかのような態度に終始するのだ)



 ただ、ASH新聞社論と天狗騨記者の間には、在日米軍基地の絡む問題について、決定的な差異もあった。


 『』、というフレーズを社説の中で公然と使うのがASH新聞社論。たいていの場合『憲法9条改正がなぜ不必要か』というテーマの中で語られる。


 しかし天狗騨からしたらこうした言論は(アメリカ人が怖いので建前を喋っている)ようにしか思えない。

 天狗騨は()と、およそ日本人なら考えそうもないことを実にナチュラルに考えていた。ここがASH新聞社論と天狗騨記者の考えの決定的な違いだった。


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 『この矛は裏切る可能性がある』、こんなことを日本人がアメリカ人に言ったらたいへんなことになる! 余人なら誰しもそう思うところである。しかしそこは頭のネジが飛んだようなところがあり、忖度能力不能な天狗騨記者である。これを言ってもアメリカ人をぐうの音も言わせないような理屈、を考えられてしまった。

 〝辺野古埋め立て基地の日米共同基地化〟は天狗騨に妙な自信を与えた一件となってしまったのである。かなり〝自惚れ〟も入っている。しかしこういうものは思った者勝ちでもある。


(アメリカ人としては日本人のクジラ猟やイルカ猟を散々非難してきた手前、同じ海洋性ほ乳類の仲間、ジュゴンで責め立てられるのが怖いのだ。『海洋性ほ乳類、辺野古のジュゴンを殺したアメリカ人!』と言われないためには、というわけだ)


(俺の取材攻勢は無視され続けたが、その影響は確実に及んだ)と、天狗騨は自画自賛している。


 天狗騨はこれでアメリカ人に勝つ方法に、いよいよ確信を得た。



 天狗騨は、今から『アメリカという名の矛は裏切る可能性がある』と、当のアメリカ人に向けて言論弾をぶっ放そうとしていた————

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