第八十三話【なぜだか突然〝イスラエル・ユダヤ〟攻勢2 『ユダヤ陰謀論』の起源は日露戦争?・編】
「ハハッ! さらばだテングダ! 明日からは〝ハローワーク〟カナ?」リベラルアメリカ人支局長が甲高い声で言い放つ。顔に浮かぶ憎悪の笑み!
業績赤字で300人もの人員整理をしているASH新聞社の社員にとっては『ハローワーク』は身に刺さる。
『——私が言った前段部分、『ユダヤ人が国際金融と主要メディアを支配し世界を裏から操っている』という部分については、見る人から見ればそれは一面真実だったということです』
ついさっき、天狗騨記者が口に出して言ってしまったこのことば、アメリカでなら致命的である。
リベラルアメリカ人支局長にとっては正に勝利が棚ぼたから転がり落ちてきた瞬間だった——、少なくとも彼の意識では。
この瞬間彼は幸福だった。今までの苦労が報われたと思った。そして世界の危機を未然に防いだヒーローな気分だった。
「『ロシア人から見たらそう見えた』、という考えがアメリカ人にそこまで歪んだ快感を与えるものでしょうか?」危機感も、どこにもなにも見当たらない声で天狗騨が喋り出す。
「関係無いロシア人に罪をなすりつけルナ! どこまデモ卑劣な男ダ!」高揚感に満たされたリベラルアメリカ人支局長はそう天狗騨に向かい怒鳴りつけた。
が、次に天狗騨が口にしたことばは、その〝高揚感〟を一瞬にして粉砕するに充分だった。
「『南京大虐殺』と同様に『ユダヤ陰謀論』にも種本というものがあります。著者はロシア人です」
「……」
リベラルアメリカ人支局長は沈黙した。つい脊髄反射的に〝関係無いロシア人に〟と言ってしまった己を悔いた。同時に(コイツはこれについてもやはり〝隠し球〟を持っている!)と、そう思わざるを得なかった。こうなると迂闊な反応はできなくなってくる。
天狗騨は語り出す。
「思い出してみて下さい。先ほど私が言った『南京大虐殺』の種本のことを。第1の種本は『戦争とは何か——中国における日本軍の暴虐』でした。著者はハロルド・ティンパーリー、オーストラリア人です。この本の核心部分は『4万人虐殺』。その情報ソースはアメリカ人、マイナー・ベイツ。この本の発刊年は1938年です」
「——しかし第1の種本には『30万人虐殺』の数字は無い。今に続く『30万人虐殺』を初めて本にしたのが第2の種本『アジアの戦争』です。著者はエドガー・スノー、アメリカ人です。この本の発刊年は1941年です」
「……」
天狗騨の挙げた二つの本の名は天狗騨によって散々に疑義が呈された。しかもこれら種本同士の虐殺数自体が食い違い過ぎており干渉し合っている。
さらにとどめで『アメリカ人が神聖視する東京裁判で認定された南京大虐殺の犠牲者数は20万と10万』、となれば真実などどこにも無いと言うほかない。
アメリカ人が戦前『日本ヘイト本』製造に関与していたなど、リベラルアメリカ人支局長としては一度聞けば充分すぎる話しである。だからリベラルアメリカ人支局長は沈黙した。それをいいことに天狗騨が喋り続ける。
「——1930年代半ば以降、日米関係が悪化の一途を辿っている正にその時期にアメリカ人が主導し薄弱な根拠を元に日本を悪魔化する本が造られた——」
「テングダ、南京の話しは終わったのではなかったノカ⁉ 私は今お前の口にシタ〝ユダヤ陰謀論〟とイウ決定的な失言の詰問をしテイルのダ!」
天狗騨ももう〝南京〟などに戻るつもりは無い。
「解りやすいように〝分析法〟について、具体例で示したまでのことです」と口にする。
「〝分析法〟ダト?」
「種本の著者の持つ背景、そしていつ発刊されたのかという年代に着目することで、種本の〝執筆動機〟というものが見えてくる」天狗騨は核心部分を口にした。
「執筆動機?」
「まずは著者からです。私は〝ユダヤ陰謀論〟の種本の著者はロシア人だと言いました。名は『セルゲイ・ニルス』」
(セルゲイ・ニルス?)
リベラルアメリカ人支局長はむろんそんな名は初めて聞いた。天狗騨は件の手帳を開き確認する。
「——種本の名は『卑小なるもののうちの偉大——政治的緊急課題としての反キリスト』、これの第三版です」
「なんダ、その〝第三版〟というノハ?」
「初版、第二版には無いものが新たに書き加えられたということです。この書き加えられた部分こそが正に〝ユダヤ陰謀論〟! この第三版の発刊年が1905年なのです!」
天狗騨からは〝もう解っただろう〟という顔をされたが、リベラルアメリカ人支局長としては〝1905年〟に何の意味があるのか、サッパリ解らなかった。
天狗騨は督促じみたことばを口にする。
「私は『ロシア人から見たらそう見えた』と言いましたよ。ロシア人の立場になって考えてみて下さい」
「俺はアメリカ人ダ!」
「そこがアメリカ人のダメなところです。あまりにも自己中心的過ぎる。いいですか、1905年というのはロシア帝国が日露戦争で日本に敗けた年なのです!」
「〝ユダヤ陰謀論〟の発生源が日露戦争ダッテ?」
「そう断言して差しつかえないと考えます」
「つまり、なンダ——」とリベラルアメリカ人支局長は己の考えを整理する。「『日露戦争で日本が勝ったのはユダヤ人のせいだ』というコトカ?」
「ロシア人の心理としては逆でしょう。『ロシアが戦争に敗けたのはユダヤ人のせいだ』ではないですか」
「バカバカしい! 典型的な陰謀論ではナイカ!」
「いいえ。日本に戦争に敗けた腹いせにロシア人が書いた本が後に〝ユダヤ陰謀論〟の種本となったのです」
「そんなデタラメな説を吹聴するノハお前ダケダ!」
「ところがそうとも言えません。日本は戦争をするために必要な物資を結局輸入するしかない。輸入なので支払いは当然『外貨で』ということになる。外貨が無かったら戦争遂行のための物資がたちまちのうちに底を尽いてしまいます。具体例を挙げるなら〝弾〟ですね。これが足りなければ戦争で勝てる道理がありません」
「何が言いタイ?」
「当時日本が発行した戦時外債を引き受けたのはユダヤ人金融家なんですよ」
「⁈」
「ジェイコブ・シフ、ユダヤ風に言うならヤコブ・シフ。アメリカ人です」
(日露戦争の戦費を賄ったのはアメリカ人?)
「むろん、と言わねばなりませんが、アメリカ人だから日本の戦時外債を買ってくれたわけではない。アメリカの銀行家は普通に買ってくれませんでした。利率が六分あろうと戦争で敗けそうな国に投資する外国人はいないということです」
天狗騨は絶妙の間をとり、そして問うた。
「——さて、これをロシア人の側から見たらどうなりますか?」
「……」
「『国際金融が日本の側に立った』ように見える」
「ヌッ!」
さしものリベラルアメリカ人支局長も〝そんな事を言うのはお前だけ〟と切って捨てることができない。
「次にメディアです。元々欧米、特に英米系のメディアがロシアに好意的な報道をすることはありません。これは昔も今も変わり無く日露戦争当時もそれは同じです。しかしそれすらロシア人から見ればユダヤ人の差し金に見えた」
「それハ言いがかりダ!」
「しかし『影響力など無い』と言い切るのも嘘になる。例えば日露戦争の頃にはジョーゼフ・ピュリッツアー、アドルフ・オックスが存命中、共にユダヤ系のアメリカ人です。特にオックスは『自分の成功はユダヤ教から得た精神力だ』と公言すらしています。ちなみに、あなたには馴染みのある方じゃないですか?」
リベラルアメリカ人支局長にとって馴染みはあって当然だった。むろん勤務先関係である。
「英米系のメディアはロシアに好意的な報道をしないのが通常運転なわけですが、その中にユダヤ人の経営するメディアも含まれていたのはファクトです」
「だからナンダ⁉ 全てヲ支配しテイルとでも言うノカ⁉」
「いいえ。しかしカネを貸した方が戦争で敗けると、貸した者が大損をするという理屈だけは成り立ちますから、同じユダヤ人同士である以上はユダヤ系メディアには『ロシアに好意的報道はしない』、という動機があることになる」
「それはロシア帝国の〝ポグロム〟に原因がアル! ユダヤ系メディアがロシアに好意的で無いノハ当たり前のコトダ!」
『ポグロム』というのは、ユダヤ人に対する集団的・計画的虐殺のことである。特に一九世紀後半から二〇世紀初頭にかけてロシアを中心に起きたものをいう。
『ユダヤ人虐殺』と聞けばナチスの専売特許のような印象を持っている者も多いが、この価値観は決してナチスドイツのオリジナルな価値観とは言えない。
「〝ポグロム〟があったから、かなりの確率で損をするかもしれないのにユダヤ人金融家が日本の戦時公債を引き受けたのでしょう。それを解っているから〝動機があることになる〟と言ったのです。私が今、日露戦争当時のロシア人目線で語っていることをくれぐれもお忘れ無く」
リベラルアメリカ人支局長は沈黙する。「では先を続けましょう——」
「——日露戦争は結局アメリカ合衆国が仲裁に入り〝日本勝利〟という形で終わるわけですが、ロシア人目線では『まだロシア陸軍は戦えるのに余力を残して敗けた』ようにしか見えない。『この背後にはアメリカ合衆国政府を動かし日本の勝利を演出した何者かがいるに違いない』、となった。その〝何者〟がユダヤ人ということになった」
「——かくしてユダヤ人は巨額の資金を動かし戦争を起こし、メディアを操り国際世論を一定方向へと誘導し、その上一国の政府すら動かし戦争の勝敗すら決定したというストーリーが日露戦争で成り立ってしまうわけです。しかもある意味当たり前ですが血を流したのは日本人で、ユダヤ人は戦死のしようがありません。なにせ民族的意味での〝祖国〟というものが無いのですから。そうしてこれが〝ユダヤ陰謀論〟の始まりとなったのです」
「ふっ、ふざケルナ! 最初の『日本に戦争のための金を貸したのがユダヤ人』というノハ真実でも、その後の『メディア』とか『アメリカ政府』とか言うノハお前の妄想ではナイカ!」
「そこは分析と言って欲しいですね。私は当時のロシア人になったつもりで考えたのです。いいですか、プライドの高い人間ほど〝なかなか負けを受け入れられない〟という傾向があるのは万国共通でしょう? あなたの国のアメリカでも『郵便投票で不正があった』として、『尋常ならざる手段が採られた結果負けたのだ』、と激しく主張していた大統領がいたではないですか」
「あっ、あれハ特殊事例ダ!」
「いいえ。得てして人間とはそういうものですよ。ロシアといえば大国です。国民にも『大国の国民である』という大国意識があります。そうした大国意識を持った国民からすれば日本など小さな国。そんな国に戦争で敗けたなど素直に認められないのです。だから『何者かが尋常ならざる手段を使って日本を支援した。そうでなければ我々が敗ける筈がない』と思いたいのです。そこでスケープゴートになってしまったのが日本に多額の外貨を貸したユダヤ人というわけです。貸したこと自体は事実なので後はどんどん尾ひれが付くだけです。そうした気分が日露戦争終結年の1905年に本という形になって表れたのが〝セルゲイ・ニルス〟の著作なのです。即ちこれが〝執筆動機〟です」
「ただ——」と天狗騨は続ける。「——種本自体は1905年に誕生していても、この時に大ブレイクしたかというと、そうではない」
天狗騨記者の〝ユダヤ陰謀論の起源〟の話しはまだまだ続く————
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