第八十一話【〝南京大虐殺〟攻勢9  〝虐殺現場〟に外国人ジャーナリストがいる『南京』 〝虐殺現場〟に外国人ジャーナリストがいない『◯◯◯◯』・編】

 リベラルアメリカ人支局長相手に遂に〝ネタ切れ〟とぶちかました天狗騨記者。いよいよ討って出る刻と、反転攻勢を始める。


「あなたは『南京大虐殺』についての議論の過程でアメリカの行状が引き合いに出されたことに非常に腹を立てている」天狗騨は一方的に断定した。そのもの言いになんら反駁できないリベラルアメリカ人支局長。身動きがとれない。なぜならそれは事実その通りだったからである。

「——そこで、アメリカ以外の国の事例も引き合いに出すとしましょう!」


(どれだ? ルワンダか? アルメニアか? ポルポトか?)

 リベラルアメリカ人支局長の頭の中に浮かんだ様々な〝虐殺〟のイメージは、しかしそのどれもが天狗騨の意図するところではなかった。


 天狗騨記者が持ち出してきたのは——


「近頃世界各国のメディアはそれでもいくぶんは厳しくなったようで、チベットやウイグルでの人権侵害を非難する報道もよく目につくようにはなりました——」


 ——よりにもよって〝中華人民共和国〟だった。即座にリベラルアメリカ人支局長は天狗騨の喋りを遮った。


「ハッ! 『南京大虐殺』の当てつけニ、チベットやウイグルを持ち出すトハ。よほど中国が憎らしいヨウダナ」リベラルアメリカ人支局長はやや低レベルを自覚しつつもそう嫌みをかました。かまさずにはおれなかったのである。これが憎悪だった。


 しかし天狗騨、

「むしろここは感嘆して欲しいところだったんですが」と、しれっとした顔で言ってのける。


「やはりお前のやり口などパターンは決まってイルンダ! 相対化ダ! そんなモノニ誰が今さら驚くカ‼」


「パターンを言うなら『アメリカに対し攻撃的なことを口にする人間は中国には甘い』ってのがパターンでしょう。私はそこを外しているんですよ」


「話しを逸らスナ! テングダ! こっちハ『相対化のつもりカ?』と訊いている! まともニ答えロッ!」


「とは言えあなたが私の話しの腰を折ったんですがね。しかしまあいいでしょう。その話しの続きはどうせするつもりでしたから」と天狗騨。


(ふん、思考を読まれ先回りされて内心焦ってるのはお前だ!)


「相対化のためには『チベット大虐殺』『ウイグル大虐殺』と言わなければなりません。しかし、世界のどの国のメディアもそこまで中国には言えていません。せいぜい『人権侵害』、もう少し強い表現でも『虐待』程度です」


「なにガ言いタイ?」


「この程度の表現ではまるで、チベット人やウイグル人達が〝命までは奪われていない〟かのようですよ」


 天狗騨が『相対化戦術を使わない筈は無い』と確信していたリベラルアメリカ人支局長はその思考が読めなくなってきた。中国に対する意趣返しと言うよりはメディアの話しになっているからだった。天狗騨の話しは続いていく——


「——しかし『そんな筈は無い』と、誰もが気づいてはいる。なにしろチベット人やウイグル人達のあまたの証言もあるんですから。なのに〝報道〟は決して『大虐殺』や『虐殺』といった語彙を使わない。書けない。口に出せない。これはなぜなんでしょう?」


「……」


「よもや〝チャイナマネー〟を思い浮かべましたか?」


「それはお前の新聞社も含めてとイウ意味ダゾッ!」


「我々ジャーナリストはお互い、薄汚れた〝経済界〟とは一線を画しているはずでしょう?」


 どこまで本気で言っているのか解らない天狗騨のもの言いである。むろん、このASH新聞社会部フロアの中にも背筋がヒヤリとする者は当然にして、いた。


「私が言いたいのは『中国から金を貰ってるから〝虐殺〟という語彙が使えないのだ!』とかいう典型的な陰謀論ではありませんよ」


「お前の悪い癖ダナ! 結論を早く言エ!」


「単純に取材の自由が無いからです」天狗騨は結論した。


「……」


「チベットや、ウイグル即ち東トルキスタンという地域で我々外国人ジャーナリストが取材活動をできないからハッキリしたことが書けないんです!」


 リベラルアメリカ人支局長はただ立ち尽くしたまま。


「中華人民共和国が我々外国人ジャーナリストを排除し、取材をさせないのだから虐殺の証拠を集められない。集められないが故に『チベット大虐殺』や『ウイグル大虐殺』と書くことができない」


 リベラルアメリカ人支局長は裏をかかれたことについて自身に腹が立っていた。てっきり目には目を歯には歯を『南京大虐殺』には『チベット・ウイグル大虐殺』を、のノリで来ると思い込んでいたのだ。そしてこの時彼には天狗騨が何を言わんとしているか、おぼろげながらに見えてきていた。むろん彼にとってこんなものは好ましい流れとは言えない。

 しかし天狗騨の話しはここでは終わらなかった。意表を突いてきた。中国以外の国も俎上に載せ始めたのだ。


「これと構造的に酷似している案件が『ジェニン』という街でも起こりました」


 リベラルアメリカ人支局長が一瞬で顔色を変えた。『ジェニン』と聞けばピンと来ざるを得ない。そう、これは〝〟の件なのである。


 再び、改めて指摘をしておこう。常人には中々理解しにくいのかもしれないがここASH新聞社内においては北朝鮮及び北朝鮮系や韓国が非難されると我が身が傷つけられたかのような感覚を覚え激高する者は決して珍しくないのである。

 これと同じようにイスラエルが非難されると我が身が傷つけられたかのような感覚を覚え激高するアメリカ人もまた少なくない数が実在するのである。リベラルアメリカ人支局長がそうしたアメリカ人であることを、天狗騨は見切ったかの如くだった。そうして涼しい顔でこんなことを言い切った。

「中国だけを攻撃すると〝中国人差別〟だとして腹を立てる人々がいるということです」と。

 その人々とはむろんこの社会部フロアにいるASH新聞社員達のことである。それはまるでリベラルアメリカ人支局長とASH新聞社社員の間の分断工作のようでもあった。


「そうした人達のためにもざっと概要に触れておきましょう」

 天狗騨はいかにも〝バランス感覚に優れた人間〟と、自分で自分のことを誉めているかのようである。一方リベラルアメリカ人支局長は心臓の鼓動が早くなっていくのを自覚していた。


(まさかそれを口にするのか⁉)


 しかし天狗騨は口にし出した。

「——時は2002年4月、イスラエル軍が『パレスチナ自治区ジェニン』の難民キャンプを30台あまりの戦車で包囲し砲撃を開始、その大義は『自爆テロを繰り返す過激派の制圧』という定番のものです。だがここから後がこの事件の特異な点です。イスラエル政府は数週間に渡り『ジェニン』を封鎖。メディア、そして救急車すらも立ち入り禁止にしました。当然その地で何が起こっているのか、外からは解りません。そして完全封鎖の間ブルドーザーで現場を整地してしまったのです。傍目からは虐殺の痕跡を隠すための〝証拠隠滅〟にしか見えません——」


「イッ……、イスラエル!」甲高い声がリベラルアメリカ人支局長の口から漏れ出る。

 よりにもよって天狗騨記者はイスラエル共和国を中華人民共和国と同列に並べて語り始めていた。


「私が言いたいのはチベットや東トルキスタン同様、ジェニンでも外国人ジャーナリストを立ち入り禁止にしたため、今も〝報道〟は『ジェニン虐殺』とは書けていないという事実です」


「じぇじぇ、ジェニン虐殺ッ⁉」出すその声はうわずったまま。


「なにをうろたえているのです?」


「おっ、お前ハたった今ユダヤ人を差別したんダゾッ!」 


「〝虐殺疑惑〟を検証するために結成された国連調査団は結局イスラエルの反対で現地入りすらできませんでしたが、ニューヨークに本部のある国際連合に対し、あなたは『ユダヤ人を差別した』と言ったことがあるんですか?」


 問われて答えられないリベラルアメリカ人支局長。国際組織に露骨に敵意を露わにしてしまったら『アメリカ・ファースト!』と口癖のように言っていた彼の大嫌いなかの大統領と同じになってしまう。それはできなかった。


「日本人相手にだけしか言えない〝言論〟など言論たり得ません。それこそ差別というのです。一度日本人に言ったからには誰に対しても言わなければならない」天狗騨はそう言い渡した。

 『慰安婦問題』や『死刑廃止問題』など、あらゆる問題について同じスタンスをとるのが天狗騨記者というジャーナリストなのである。


「……」沈黙するリベラルアメリカ人支局長——


「正直私はあなたの〝立ち位置〟を疑い始めています。果たして正義の立場でものを言っているのでしょうか? 虐殺疑惑を晴らすための国連調査団を拒否するような国を非難するのは許さないが『南京大虐殺』で日本人だけを攻撃するのは正義だと、そう考えるのがアメリカ人ですか?」


「ヌッ!」


 天狗騨は絶妙の間を取る。

「私が何を言いたいか? もう察しはついているはずですよね?」


 察しは既についていた。しかしそれを自分の口からは言いたくないリベラルアメリカ人支局長だった。察しはついているのに答える意思無しとみた天狗騨が語り出す。


なのです。なのです」


「く!」歯噛みするリベラルアメリカ人支局長。天狗騨の思考は既に見切っていたが反論法がまるで思いつかない。そこに天狗騨はダメを押し始めた。


「改めて『南京大虐殺』について指摘をしておきましょう。当時、南京在住外国人で構成された『南京安全地帯国際委員会』の面々が日本大使館に対し送った抗議文の中には『49件の殺人』とあるだけです! その委員会のメンバーである1人のアメリカ人が、委員会の見解に基づかない『2万人虐殺説』という独自の見解を当時の貴紙(ニューヨークのリベラル系新聞)の記者に語りました。それは一度は紙面に記事として載ったが、その後貴紙紙上において『南京大虐殺』のキャンペーン報道が展開されることは無かった。結局その言説の裏を取ることができなかったということでしょう」


「——当時の南京には貴紙に限らず外国人ジャーナリストが滞在でき記事も書けた。一方で、チベット、東トルキスタン、ジェニンといった地域には外国人は立ち入れない。ジャーナリストを立ち入らせない。中華人民共和国やイスラエル共和国が外国人ジャーナリストを排除し報道をさせない政策を採っているからです」


「どうして外国人ジャーナリストを排除する国々についての報道がせいぜい『虐殺疑惑』程度で済んでいるのに、外国人ジャーナリストの滞在すら許可していた当時の南京で日本が『南京大虐殺』をしたことになっているのです?」


 さらに天狗騨が畳みかける!


「——外国人ジャーナリストを排除するということはそこに見られたらマズイなにかがあるということです! そういう国は『疑惑は疑惑に過ぎない』などと言ってごまかそうとするのでしょうが、こういうことをする国に明らかに悪意があるのは動かしようがない! この点に限っては断じて〝疑惑〟で片付けられるものではない! ジャーナリストを排除する悪意ある国が結局利得を得ている現状をあなたはどう考えているのか? これを容認するのがジャーナリズムですか⁉」


(くそうっ!)怒りで身が震えるリベラルアメリカ人支局長。しかし天狗騨の主張に曇りがなさ過ぎて言い返せない。


「『南京』と『チベット・東トルキスタン・ジェニン』がいかに対照的な現場かに気づけない無能は記者という仕事を続けるべきではない!」


 なんと天狗騨、〝無能〟と言い切った!


「くッ!」


「それともジャーナリストとは特定の国の宣伝担当官なのでしょうか、記者の仕事は特定外国の政治プロパガンダなのでしょうか」


 〝無能〟か〝工作員〟か、どちらかを選べと、究極の選択を迫る天狗騨記者! 他人のプライドなどまったく顧慮しない無慈悲さ。


「——少なくとも私はそうしたジャーナリズムの仲間になどなりたくない!」


 その上自分だけが真のジャーナリストだと言わんばかり!

 ちなみにここでも天狗騨は自身の勤めるASH新聞のことは棚に上げていた。のだがなんの突っ込みもリベラルアメリカ人支局長からは戻ってこない——だが、その代わりにこんな奇妙なことばが戻ってきた。


「イスラエルをあの中国と一緒にするトハ! お前の言動は全てイスラエル大使館に通報スル!」

 リベラルアメリカ人としてはこの際〝中華人民共和国〟などどう扱われても構わないらしかった。


 それを受け天狗騨はこう口にした。


「ようやく『南京大虐殺』の話しが終わりましたか」、と。


 結局話しを逸らしたのはリベラルアメリカ人支局長の側だった。『南京大虐殺』について、攻勢限界既に訪れ、これ以上攻撃が効かないという時点で逆に反撃を食らいつつある中での〝転進〟——。

 天狗騨記者の言った通り終わったのだった。リベラルアメリカ人支局長はこれほどにまで激闘したが失敗した——しかし未だ彼は言論による戦闘をやめようとはしなかった。こんなことばを口にし始めた。


「ASH新聞社にイスラエル政府や在米ユダヤ人団体カラ猛抗議がいくカラナ!」


 大使館のみならずユダヤ人団体まで加わっていた。それはほとんど〝恐喝〟に近いもの言いだったが、なぜか晴れ晴れと勝ち誇ったかのような顔をしている。

「お前達は謝ル他に道は無イ!」


 それは完全なる〝虎の威を借る狐〟だった。〝お前〟ではなく〝お前〟と、さりげなく複数形になっているのもミソだった。

 

 アメリカ合衆国においては社会的地位が高い者ほど『反ユダヤ主義者』というレッテルを怖れる。貼られたら最後、待っているのは社会的抹殺だからである。新聞記者という仕事にどれほどの社会的地位があるかというのはまた微妙なところだが、少なくとも『反ユダヤ主義者』ならその仕事を続けるのは困難である。本人が辞めたくなくても組織が辞めさせるのである。

 ただしこれはアメリカ人のアメリカ社会での感覚だった。その感覚のままリベラルアメリカ人支局長は喋っていた。



 さて、〝大使館への通報〟と聞けば〝〟である。なにせ死刑廃止を求める弁護士団体の弁護士達の主張口上をわざわざイランやサウジアラビアの大使館に報せたというのは間違いなく天狗騨記者のかつての行状である。今正にその天狗騨の身に同じ事が起ころうとしていた——


 天狗騨記者はどう反応するのだろうか? これはある意味ブーメランが突き刺さった状態とも言える————


「天狗騨! 謝罪だ。すぐに謝罪しろ!」左沢政治部長が横からわめきだした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る