第七十九話【〝南京大虐殺〟攻勢8 〝複眼的〟・編】
「真相に迫ろうと思うならば物事は複眼的に捉えなければなりません」天狗騨記者は唐突に語り出した。
〝複眼的〟。
これはハッキリ言ってマウントである。知る人ぞ知るASH新聞社説の常套句で『俺はお前よりも物事を多角的に考察できる』という寓意なのであった。少しだけ時間を要したものの、天狗騨はその頭の中で反撃方法を構築し終えたのである。
ほのかに漂わせるその〝マウント〟という意図が伝わったものかリベラルアメリカ人支局長は声を荒げた。
「今は『南京大虐殺』の証拠の話しをしテイルッ!」
「残念ながら『南京大虐殺』の写真や映像などでどれほど議論の時間を費やしても、それは単眼的考察に過ぎませんよ」
再び天狗騨記者はマウントをとるような口上を述べた。
それを聞いたリベラルアメリカ人支局長が高笑いを始めた。そしてやおらこう口にした。
「テングダ、証拠を突きつけラレ、さてハ反論が無いンダロウ!」
彼もまたマウント返ししたのである。両者マウント合戦状態となった。
しかし天狗騨は詰まりもせず即座に切り返した。
「ぼやけた不鮮明な映像で何が解るというんです? それに『南京大虐殺の証拠写真』の中に撮影者の氏名の分かっている物が何枚ありますか?」
言われたリベラルアメリカ人支局長はたじろいだ。ここまで面と向かって証拠能力に疑義を唱える日本人もまたいないからである。
確かに4K・8Kの時代ではない。映像が鮮明ではないのはある意味〝仕方ない〟で開き直れるとしても、だがそれ以上に衝撃だったのは写真の撮影者の氏名を問われたことだった。
『南京大虐殺』の証拠写真。言われてみれば誰が撮ったのか分からないものばかりだった。
さらに天狗騨が口を開く。
「あなたは『南京大虐殺』の話ししかしていない。〝南京〟に異常な執着を見せている。どうして〝他のケースとの比較〟をしようとしないのでしょう? だから私は〝複眼的に〟と言ったんです」天狗騨が同じことば、〝複眼的〟を再び口にした。
「さてハまた〝フィリピン大虐殺〟とか言い出すつもりダロウ! だがフィリピンに関しテハ『日本の手ガ汚れてイナイ』とは言わせナイ! フィリピンが戦場になったノハ日本軍がそこニいたカラダ!」
リベラルアメリカ人支局長は先手を打った。少なくとも本人は打った気になった。
しかし天狗騨は予想外の素っ頓狂なことを口にした。
「あなたは『沖縄大虐殺』はあると考えますか?」、と。
「ハ? どうシテ『沖縄大虐殺』ダッ⁉」
むろんリベラルアメリカ人支局長はそんな語彙など生まれて初めて聞いた。
通常『南京大虐殺』から『沖縄戦』へと話しは飛ばない。その上『沖縄大虐殺』などと口走るのも前代未聞である。しかしそれが天狗騨記者という人間なのである。彼は本領を取り戻しつつある。
その天狗騨は言った。
「沖縄戦では10数万人もの民間人が命を落としたからです」と。
確かにそれはその通りだった。
「話しを他へ逸らすナヨ!」
狼狽したリベラルアメリカ人支局長が口にできたのは反射的反応のみ。
「逸らしてませんね。私は『固有名詞を取っ払い、論理を骨組み化すべき』と言っているんですよ」
「『ホネグミ』だと? また訳の解らないコトを言いダシ議論を混沌に陥れるツモリダロウ!」
「なるほど、説明、ですね——」と天狗騨が都合の良いように解釈し、勝手に講釈をし始めた。
「その土地に土着の人々がいる。そこに外国の軍隊が攻め寄せる。そうして現地軍との間で戦闘が始まる——」
「!」
リベラルアメリカ人支局長は天狗騨が〝なぜこの場で沖縄戦を持ち出せるのか?〟その理屈についてこの時点で気づいた。なおも天狗騨の喋りは続く。
「——日本軍が南京を攻撃したのも、アメリカ軍が沖縄を攻撃したのも、この構図です。あなたはフィリピンの話しをしていましたが、そのケースでは日本軍もまた外国軍でありフィリピンの軍ではないのでこの構図には当てはまりません」
こうまで理路整然と説かれると『南京大虐殺』から『沖縄戦』へと展開されても〝話しを他へ逸らしてごまかそうとしている!〟とは言いにくい。逆に執拗に『南京大虐殺』にこだわる方が不自然と取られる。
(テングダのことだ。そんなことをすれば『日本人だけを狙った日本人差別だ』とかなんとか言い出すに決まっている——)リベラルアメリカ人支局長はその意図を悟った。
(——しかし『沖縄大虐殺』とはなんだ? そんな〝虐殺〟などあってたまるか!)リベラルアメリカ人支局長はその怒りをストレートにぶつけた。
「確かニ沖縄で多くノ民間人が死亡シタ。しかしそんなモノハ日本軍が沖縄の人々を戦闘に巻き込んだカラニ他ならナイ!」
これはほとんど間髪入れずのリベラルアメリカ人支局長の反撃だった。しかし天狗騨は——
「それは私が期待した答えとは少し違いますね」と言って小首をかしげて見せた。
(わざとらしい仕草をしやがって!)リベラルアメリカ人支局長の心の内は沸騰した。
「ナラ横着セズお前の口で言エ!」
当然これは〝なにかの罠〟であるとの予感が既に彼にはあったがこうなれば売り言葉に買い言葉ということだった。
「私は『沖縄では民間人が実際10数万人も死んでいるのにどうして虐殺されたことになっていないのか?』と訊いているんです。つまり〝解釈〟の問題です」
天狗騨はなめらかにリクエストに応えてみせた。
逆に、言われたリベラルアメリカ人支局長はまたもたじろぐ。これを自分の口から答えて良いのかどうか、そこを迷っている。
「解らない筈はないでしょう?」と天狗騨は訊く。だがリベラルアメリカ人支局長は答えない。
天狗騨は攻め続ける。
「私はアメリカ軍の『沖縄大虐殺』を糾弾しているわけではありません。沖縄では10数万人もの民間人が死んでいるのにそれがなぜ『沖縄大虐殺』と言われないのか? その理由を問うているだけなんですよ」
「ダカラ日本軍が巻き込んだカラと言ってイルダロウ!」
「沖縄は1941年12月8日の真珠湾攻撃以前から日本国でした。日本国に日本軍がいる。そして日本国の国土を防衛するために攻めてきた外国軍と戦闘する。これは当たり前のことではないですか」
「グッ!」
通常、日本の左翼・左派・リベラル(自称)は間違ってもこんなことは口にしない。
彼らは逆に『沖縄に日本軍がいるから悪い!』と言い出すのである。だが、実際のところこうした主張はアメリカという国、そしてアメリカ人を非常に利しているのである。
天狗騨はそうした外国人の〝利〟をことごとく潰していく。
そうして天狗騨はさらにダメを押した。
「『日本軍のせいで戦闘に巻き込まれた』と言えるのはあなたが先ほど口にしたばかりのフィリピンの方ですよ」
(ぐぬっ!)
「仕方ありません。どうやらあなたが私の問いに答えてくれそうもないので私が言いましょう。『アメリカ軍が沖縄大虐殺をした』と言われないのは戦闘が終わり勝敗の結果が出てから民間人を殺したわけではないからです——」そうは言ったが天狗騨は続けざま信じがたいことを口にした。
「——そこを踏まえた上で『沖縄大虐殺』を主張する方法が実は無いではない」
「どういう意味ダッ! テングダァッ!」リベラルアメリカ人支局長が激高し吠えた!
彼はその瞬間『お前の国は虐殺国だ!』と言われる側の気分を無意識に自覚したと言える。
しかし天狗騨の方は変わらず平坦な声。
「沖縄戦は1945年6月23日、日本軍司令官・参謀長らが自決して終わりました。その翌日の6月24日ならば民間人の遺体はそこかしこにあったことでしょう——」
「お前、マサカ……」
「ええそうですよ。さすがに10数万人全員は無理があるでしょう。しかし〝2万人ほど〟なら主張はできないこともない。あまたの遺体の写真に『6月24日以降に殺された』と、そうしたキャプションをつけるだけで『沖縄大虐殺』にできます。何しろ写真には死亡日は写りませんから」
「そんなモノは妄言ダッ! 歴史修正主義ダッ!」
リベラルアメリカ人支局長が猛然と天狗騨の眼前に迫った。今正に殴りかからんとする勢いだった。
しかし天狗騨はまったく表情を変えない。
「またそっちですか? 私は〝他のケースとの比較を〟と言っているんですよ。比較のために『沖縄戦』の話しをしているんです。ここがポイントですが犠牲者の死亡日時が戦闘終結以前か以後か。終結以前なら『戦闘に巻き込まれた』、終結以後なら『虐殺があった』となるんです」
「お前はツマリ『南京大虐殺』の証拠写真が捏造だと言うノカ⁉」
「我々は記者なんですから、『その写真は裏が取れていない』と言うべきでしょう」
「折り重ナル死体の写真を見テよくモそんな冷酷ナことガ言えるモノダッ!」
「そういう写真は沖縄でも撮れた筈です。死体、死体と言いますがそりゃあ南京に死体くらいあるでしょう。別に日本軍は南京に招待されたわけじゃありません。占領するために軍を動かし攻撃したんですから。これで戦わずして相手が逃げてくれれば死体など存在しないでしょうが、普通は攻撃された側は自衛のための戦闘くらいします。よって当然そこは実弾が飛び交う戦場となり、戦場に死体があるのは当たり前です」
「開き直っタナ!」
「いいですか、『南京大虐殺』は日本軍の南京占領後、即ち1937年12月13日以降に行われたと云われているんです。その前日の12月12日以前に死体になった中国の方は、日本軍によって殺されていてもそれを虐殺とは言いません」
「おっ、お前は日本軍の中国侵略を少シモ悪いと思っていないダロウ!」
「私は侵略は認めましたよ、〝『中華民国』『連合王国ことイギリス』『オランダ王国』そしてあなたの国『アメリカ合衆国』を侵略しましたね〟と言ったじゃないですか」
リベラルアメリカ人支局長には確かに聞き覚えがあった。
〝アメリカが日本に侵略された〟などと天狗騨に口に出されたことに猛烈に腹が立ったものだった————確かに侵略は認めていた……
「ダガまったく悔恨と謝罪の念が感じラレナイ!」
「ええ、慰霊の場ならそうした思いは必要です。しかし日本軍が南京を占領したからといって『大量虐殺があった』ことにするのは非常に問題ですね。私は日本軍の南京占領は悪いことだと考えていますが、だからといってやってもいないことをやったことにして日本に罪をかぶせる行為を正しい行為とは考えません」
「どこまでも面の皮が厚いヤツダ! いいか! 『日本軍は戦闘が終わッタ後も中国人捕虜を殺害しテイタ』という証言がアルノダ!」
「それについての〝模範解答〟は既に私は言いましたが」
「もう一回言ってミロ!」とリベラルアメリカ人支局長の口から反射的に飛び出すことば。
「あのGHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーの父、アーサー・マッカーサーはフィリピンで言いました。『正規軍ではないゲリラは兵士としての資格に欠け、したがって、もし捕虜となった場合、戦争における兵士の特典を享けるに値しない』と。これを言うのは今日二度目です」
「……!」
「覚えてはいませんか? あなたのところの新聞、ニューヨークのリベラル系新聞に当時『中国兵が安全区内でかく乱工作員となって強姦や略奪を繰り返しそれを日本兵の仕業に見せかけていた』、という記事が載っていると私が言ったのを。これも今日二度目です。ぜひ帰社したら調べてみて下さい。これこそ正に『兵士としての資格に欠けるゲリラ』ですよ」
「…………」
天狗騨の感覚は〝おかはいさうに〟という日本人の情緒的感覚からはあまりにかけ離れていた。同僚からはその名字の通り〝天狗〟と妖怪扱いされるだけのことはある。天狗騨のそうした感覚はむしろ欧米人に近かった。
しばらく絶句していたリベラルアメリカ人支局長はようやく、といった感じで腹の底から振り絞るような声で喋り始めた。
「いいカ……これはお前への最後の〝チャンス〟ダ……」
「どんなチャンスです?}
「『南京大虐殺』について問ウ。南京デハ中国人が1人も虐殺されてイナイと言い切レルカ⁉」
「
「いいカ……もう一度訊く……1人も、ダ。南京デハ中国人が1人も虐殺されてイナイと言い切レルカ⁉」
「ですから『0』です。『1』でもありません」
「……1人も、虐殺されてイナイと言い切レルカ?」
「もし『
しかし一旦こういう言い方を許してしまえば『アメリカ軍の来襲のために沖縄で何人の民間人が死んだのか』という主張がまかり通り始めてしまう。リベラルアメリカ人支局長的には、あくまで南京で中国人が虐殺されていなければならないのである。
「いいカ……今一度訊く……南京デハ中国人が1人も——」
「ネタ切れなら私から言っておきたいことがあるのですがね」と天狗騨は話の腰をポッキリと折った。
(まったく通じてない‼‼)
先ほどからリベラルアメリカ人支局長が何度も何度も同じ事を訊いているのは、実はこれは『レスバトル戦術』なのであった。
〝相手の全部を否定してはいけない〟というある種甘くそして真面目な人間(それは極めて日本人的とも言える)相手に非常によく効く戦術をリベラルアメリカ人支局長は用いていたのだった。それが通称『レスバトル戦術』だった。
しかしこれをやられた肝心の天狗騨記者は己が攻撃されているという自覚がまるで無く、単にリベラルアメリカ人支局長の『ネタ切れ』だとしか思っていない。
『レスバトル戦術』、いったいリベラルアメリカ人支局長はどういう理屈で〝これで天狗騨に勝てる〟と思い込めたものか————
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