第七十七話【〝南京大虐殺〟攻勢6  そして誰もが歴史修正主義となった・編】

 天狗騨記者はこう言ってのけた。


『実は『南京大虐殺30万人』という基準値そのものが歴史修正主義なのですよ』、

『『南京大虐殺30万人』は東京裁判に反しています』と。



 その真意を天狗騨は語り始めた。


「東京裁判の中にはむろん『南京大虐殺』に関する判決もあります」


(どう来る⁉)緊張感で身体が硬直してくるリベラルアメリカ人支局長。


(天狗騨は東京裁判を攻撃した——それを基準にする筈がない)


 そこが直感的に腑に落ちなかった。そんなリベラルアメリカ人支局長の内心を読んだのか外連味たっぷりに絶妙の間をとる天狗騨。


「判決によって認定された犠牲者数は『30万』より少ない数字です」


「!ッ」


「しかも十万単位で少ない」天狗騨は二段階で衝撃波を放った!


 リベラルアメリカ人支局長はかろうじて『嘘だっ』と言い出しそうになったのを押さえ込んだ。内心(後で調べてやる!)とは思っていたが下手なことは言えない。天狗騨のこの自信たっぷりの態度からして(事実である)と直感が彼に囁いた。下手を打てば無知を晒しかねない。それこそわざわざ天狗騨の優位を自ら造り出してしまう。


「さて、あなたは『東京裁判』を取るか、『南京大虐殺30万人』を取るか、この場で答えて頂けますか?」

 天狗騨は究極の質問をリベラルアメリカ人支局長に向けて放った。この人物が東京裁判についての事実を知っていることを前提にどんどんと斬り込んでいく。放たれた方は声にならないうめき声。



 なぜリベラルアメリカ人支局長はそうまで追い込まれるか? それはこういうことである。


 東京裁判を否定しない道を選択した場合、従来から主張してきた『南京大虐殺30万人』が歴史を修正した結果の数値、歴史修正主義だったという事になる。そしてこれまで『南京大虐殺30万人』を主張してきたアメリカ人と中国人が歴史修正主義者の汚名を着ることになる。


 かといって、『南京では中国人30万人が虐殺された!』と従来通りの主張を続ければ東京裁判を否定する事になる。そしてそれは東京裁判の結果生まれた『A級戦犯』に大いなる疑義を差し挟むことを許し、以降『A級戦犯』を使った日本人攻撃ができなくなることを意味した。


 むろんそれらの理屈を無視し、強引にこれまで同様の攻撃(東京裁判を肯定し『南京大虐殺30万人』を唱える)を日本人に対して行うことも可能である。しかしその場合その攻撃には名聞は無く〝理屈無き日本人攻撃〟となり、人種差別主義者・民族差別主義者という最悪の汚名を着ることになる。

 果たしてアメリカ人と中国人は正義の糾弾者から一転、悪党となるのである。


 両面袋小路とは正にこのことであった。



 リベラルアメリカ人支局長は渋面を作りいかにも苦しそうである。しかしここでふと違和感を覚えた。

(なぜテングダは東京裁判で認定された〝その虐殺数〟を口にしない?)


 これまでのこの天狗騨の調べっぷりからして(〝解らない〟ということはあり得ない)と彼は思った。

(少しおかしい。なにを企んだ?)


「デ、いくつなのダ?」リベラルアメリカ人支局長は探るように、おそるおそると〝その数〟を訊いた。


「何事か直感しましたか?」天狗騨が不思議と勝ち誇ったような顔で訊き返した。


「人に誤っタ答えヲ選択させてカラ後で嘲弄するヨウナ事を口にスルつもりダロウ!」


 言われた天狗騨は否定もしなかった。


 (やはりそうなのか)という思いしかリベラルアメリカ人支局長の中にはない。


「しかしそれを嫌うなら選択すべき答えはひとつしかありません。『南京大虐殺30万人』も『東京裁判』も両方とも否定するのが賢明な答えということになります」天狗騨が言い切った。


「それガ嘲弄ダト言うノダ! とっトト判決で出た数ヲ言エ!」


 第三の衝撃波を天狗騨は放った。

です」


「は? どっちダ⁉」


「ですから言った通り。、ですよ」


(まさかそんな……)この三段目の衝撃波は想像の埒外だった。その効果を確認したかのように再び天狗騨が喋りだす。


「東京裁判は『南京大虐殺』の犠牲者数について、『10万人虐殺』と『20万人虐殺』の二通りの判決を出しています。東京裁判には上級審も無いのに判決が二種類あるとはおかしなことです」


 リベラルアメリカ人支局長は目まいを覚えた。しかし早急な反撃だけは必要だと彼は反射的に動いた。考える間など無い。


「いずれにセヨ『南京大虐殺』が認定されたナラ問題は無い筈ダ!」


「大ありです。〝虐殺〟である以上はその数がいくつであるか、これがどうでもいいなどということはありません。裁判とは〝真実を明らかにする場〟の筈です。裁判である以上『犠牲者の数はよく解らないけどお前は虐殺した』などという判決はありません。一般の刑事事件でも犠牲者の数は量刑の判断に影響を与えるのですから、数をハッキリさせることは裁判の使命です」


「数は万単位ダ!」


「数をぼかす辺りどうやら察しがついているようですね。あなたの勘は正しい」と言い、にやりと笑う天狗騨。図星を突かれ黙り込むリベラルアメリカ人支局長。

「——『南京大虐殺』は最初からその犠牲者数がひどくいい加減なものでした。『2万』から始まって『4万』になり、そして突然『34万』と、その数はその場その場で変転し続け、そして東京裁判もこうした流れの延長線上にあっただけのシロモノでした。東京裁判はそれくらい信用ができない」


 逆にリベラルアメリカ人支局長の方はというと『東京裁判は信用できる!』と言えるだけの反論材料を持ち合わせてはいない。反論どころか(こう来るとは!)と、もはやリベラルアメリカ人支局長の内心は千々に乱れ狼狽の極地に陥っている。

 それもこれも〝東京裁判を否定するのに『南京大虐殺』を使う〟という前代未聞のアクロバティックな主張なのだから無理もない。これぞ天狗騨。『南京大虐殺』を持ち出し攻撃した結果がこうしたことになるとはリベラルアメリカ人支局長はまったく夢にも思わなかった。



「——ひいき目に東京裁判の中に〝それでも真実はある〟と仮定してさえも、どちらかの判決が嘘をついていることになります」


「東京裁判の判決が嘘ダトッ⁉」リベラルアメリカ人支局長が甲高い声を上げた。決壊するように思わず出てしまった声だった。それはほとんど〝反応〟というだけのものでまるで反論になっておらず悲鳴にも近かった。

 しかし天狗騨の声の調子は一切変わらない。


「なるほど、『にわかには信じがたい。中身について説明を求める』、というわけですね。では説明しましょう——」頼まれもしないのに天狗騨が語り出した。

 彼の中には(しょせん作り事というものはどこかで整合性がとれないもの)という確信が既にある。

 またも言いたいことをまんまと言い当てられ、天狗騨ペースに巻き込まれ続けるだけのリベラルアメリカ人支局長。


「——あなたは『松井岩根』という人物を知っていますか?」と天狗騨が切り出してきた。


 当然〝何か〟を察知したリベラルアメリカ人支局長だが、その〝何か〟がなんだか解らず答えられない。天狗騨の方からは『どうせ知らないだろう』ともう見切られて、その答えは彼の口から発せられた。


「『A級戦犯』です」

 またも〝A級戦犯〟が来た。当てつけのようにしか思えないリベラルアメリカ人支局長。しかし沈黙したまま。天狗騨がなお続ける。


「この人物は〝『南京大虐殺』の戦犯〟として処刑されました。肩書きは南京攻略戦時の司令官、陸軍大将です。彼の個人判決では『10万人の虐殺』が東京裁判によって認定されました——」


 天狗騨は絶妙の間をとる。


「ところが、同じ東京裁判の南京攻略戦についての一般判決では『20万人の虐殺』と認定されたのです」


「…………」

(悪夢だ……まさか東京裁判がこれほどとは……)




「——いったいどちらが真実の判決なのでしょうか?」リベラルアメリカ人支局長に考える充分な間を与えた後に容赦も無く天狗騨は訊いた。


 だが彼は答えられない。彼の奥歯がキリキリと鳴る。


 リベラルアメリカ人支局長が答えられないことをを十二分に見計らった後、天狗騨は口を開く。


「これがあなた方アメリカ人が神格化する東京裁判の真実です。真相は藪の中。『南京大虐殺』の犠牲者数について、


(ぬうぅ……)


「——これが何を意味するかはもうお解りでしょう。他人の言う数字など修正のし放題ということです。いみじくもあなたが言った通り。『南京大虐殺』についてはどんな数を唱えようと全員〝歴史修正主義者〟ということになります」



「——だから私はこんな東京裁判の主催者達よりも当時現地南京にいた記者達の方を信じるのです!」天狗騨は改めてこれを宣言してみせた。それの意味する数字は当然『ゼロ』である。




(このテングダという憎悪する敵になにか一矢報いる方法はないかと)必死に考えるが、なにも、なにも反論できないリベラルアメリカ人支局長。もはや反応すらもできない。反駁のことばも思いつかない。

 彼は東京裁判を神聖視していたが、その中身についてまったくといっていいほどの無知だったことが露呈したのだった。


 そして天狗騨は天狗騨で既にもう何十分も前から辟易としている。一連の『南京大虐殺』を巡る攻防戦に終止符を打つべく彼は言動を開始することにした。


「あなたは『A級戦犯が祀られているから』という理由で日本の政治家の靖國神社参拝に反感を持っている。それがここに来てこんなことをしているそもそもの理由でしょう? しかし『A級戦犯』という価値観がこのようないい加減な裁判によって生み出されたとなれば『A級戦犯』を根拠とした主張など説得力はゼロです」

 天狗騨がまたも〝ゼロ〟ということばを使った。これはアメリカ人の歴史観に対する死刑判決に等しかった。




 返事は、来ない————


 天狗騨は目の前のアメリカ人を心底軽蔑した。


(だがしかし、無知は目の前のアメリカ人だけではない)とも思う。日本の法律の専門家、即ち法学者達も東京裁判に対する認識も実はほぼ変わらない。


 『東京裁判ハ神聖ニシテ侵スヘカラス』、なのである。


(なんのこともない。戦前は〝天皇〟だったところに今は〝東京裁判〟を代入しているだけだ)天狗騨は吐き捨てるような思いに囚われる。

 東京裁判は知れば知るほどデタラメだった。こうした知識故に猜疑心と怒りが益々強くなっていく。


(権威が権威としての仕事ができないからこうした無知の者が幅をきかせ我を通せる世になっているのだ!)


 〝権威〟とはむろん日本の法学者達のことである。法学界のことである。

 天狗騨が法学の教授にいくばくかの遺恨があることは既に触れた。それも手伝っていて彼は腹が立って立って仕方がなかった。


(こういうアメリカ人が増長しないよう法学の論理を使って追い詰めることこそ学者の仕事だろう!)


(日本の法学者達はなぜだか東京裁判を否定しない——)


(——事後法についても然り。連合国のA級戦犯が存在しないというのも法の下の平等に反する。そして『南京大虐殺』の事実認定についてすら同一裁判内で二通りも認めてしまうような裁判もどきを非難できない者を法学者と言うのか?)


 少し前に学術会議の推薦名簿に名前がありながら、政府が推薦通り任命しなかったという〝事件〟があった。その数6人。しかしこと法学の学者に関しては天狗騨は全く同情する気になれない。


(——この程度のこともできない法学者など自称法学者に過ぎず、そうした人間に学術会議会員などとそういうご大層な価値を与えてしまったら政府の表示する偽ラベルそのものだ)


 なによりも『学問の自由』を堂々政府非難の理由として公言するところに天狗騨は頭に来ていた。


(東京裁判を否定できないってことはアメリカ人に対して『学問の自由』を行使できていないってことだ。既に『学問の自由』を放棄している自称法学者が何を偉そうに。普通の法学界ならパール判事の意見が多数派になるのが当然だ)


 これは天狗騨が怒る典型的パターンである。

 『日本政府には何でも言えるが怖い怖いアメリカ政府には従順になる』。

 〝弱い者相手にはなんでも言えるが怖いものだと途端にものが言えなくなる〟


 正に日本には死刑廃止を要求できるがイスラム世界には要求できない弁護士達を始めとする死刑廃止論者の構図とまったく同じであった。

 真の正論なら誰に対しても言えるはずだ、というのが天狗騨記者の行動原理なのである。これに触れる者は差別主義者となり悪党と断ぜられる。





 天狗騨が勝利の余韻(?)にひたっている間にリベラルアメリカ人支局長の顔が真っ赤になっていた。まるで左沢政治部長のように。


「『南京大虐殺』の犠牲者が『ゼロ』ナドあり得ナイ! では、おびただシイ死体写真にどう説明をツケル? 動画だってアル! 虐殺の証拠はアルンダ!」リベラルアメリカ人支局長が突然咆哮した。


 どうやらこれが彼の思いついた新たな〝考え〟のようだった。そして天狗騨は未だに〝勝利〟を手にしてないようだった。まだまだリベラルアメリカ人支局長はこの戦いをやめるつもりなど無いようだった。

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