第七十六話【〝南京大虐殺〟攻勢5  0=数千=4万の定理・編】

「私は当時現場にいた記者の方を信じます。戦後になって『南京大虐殺』を認定した東京裁判の主催者連中こそが人間的に疑わしい人間達だ」


 天狗騨記者のこの言い様にリベラルアメリカ人支局長は驚愕した。と同時に〝或る疑念〟が猛烈に彼を襲いたてた。

(美しいことばで包装しているが、これはとんでもない、途方も無いことだ——)


 天狗騨は『南京大虐殺』の犠牲者数についてのあらゆる説にケチをつけた。つまり〝あらゆる数〟にケチをつけた。そしてその最終的結論が『現場にいた記者を信じる』となった。



「テングダ、お前は他人の意見を否定するバカリダ! 実に卑劣ダ!」リベラルアメリカ人支局長はそう断定した。

 もっとも、リベラルアメリカ人支局長は己のことは棚に上げていた。だいたいがメディア・マスコミというものは否定意見を声高には言う一方で、肯定意見は総花的なものしか言えないという傾向を持つものである。


 が、天狗騨はすぐ彼のその意図を察した。

「なるほど、が欲しいというわけですか」と口にした。


「ソウダッ、南京では何人の中国人達が虐殺されタト思っテイル⁉」


「ここまで長々と話しを聞いてきて解らない筈はないでしょう?」


(フン、それを口にする勇気があるものか)と内心でだけ挑発をするリベラルアメリカ人支局長。しかし、ネジが飛んだようなところがある天狗騨はあっさりと言った。


「ゼロです」


 必然的に数字はそこへ行くしかないとASH新聞社会部フロアにいる誰も彼もがそう思っていた。故にこの場はざわめきすら起こらない。しかし音は無くとも場の緊張感だけは極限まで高まっていた。


「つっ、遂に言っタナ!」リベラルアメリカ人支局長が口火を切る。そのことばにはお前は決定的な失言をしたんだぞ、という脅迫の意味が籠もっていた。しかし、天狗騨はまったく表情も変えない。


「『南京大虐殺』の犠牲者数はゼロ。種々の情報を分析した結果そういう結論に落ち着いたということです」と、再び言ってのけた。


「『ゼロ』が真実ナドト、誰がお前の話ナド聞くモノカ! 『南京大虐殺』が無いなドトそんなコトを言うノハ世界でお前独りダケダ! 日本中がお前の言うコトヲ言い出してミロ、日本は世界で孤立スル!」


 リベラルアメリカ人支局長の採った戦術は〝同調圧力〟だった。『お前は周り中と違っているぞ!』という日本人相手には非常に効く戦術である。真実がどうであるとかはもはや二の次で、それで言うことをきかせようというのだからこの『せんじゅつ』は仙術とも言えた。

 しかし仙術が効くのはあくまで普通の日本人相手に限られる。忖度能力それこそ『ゼロ』の天狗騨にはまるで効かない。


「しかし私は記者です。英語で表現すればジャーナリストです。『南京大虐殺』があった方が今の秩序を維持するのに都合が良いとか、そういう政治向きの話しには私は興味は無いんですよ。当時の情報を一つずつ積み上げ論理的考察を加え真実がどうだったかに迫っていく。そこが重要なわけです」


「お前がいかにゴタクを並べようと話半分にも誰も聞かナイ! 歴史修正主義者ダト断定サレテお前は負ケル!」必死に同調圧力をかけ続けるリベラルアメリカ人支局長。しかし天狗騨にはまるで効かない。


「いい加減『歴史修正主義者』というワードが切り札にならない事くらい理解して欲しいですね。そんなことばひとつで真実を追うジャーナリストの精神を縛れるとでも?」

 まるでニューヨークのリベラル系新聞の東京支局長がジャーナリストではないかのような物言いだった。


「だいたい『南京大虐殺』が無いナドト言う歴史修正主義者のお前がなんで正義面しテイルッ⁉」


 リベラルアメリカ人支局長はいよいよ行き詰まっていた。〝同調圧力〟と『歴史修正主義』を使ってしか天狗騨に反撃できなくなっていた。


「また『歴史修正主義』。なるほど、要は私はあなたの価値観である『歴史修正主義』第一主義に付き合わなければならないと、そういう事ですか?」


「ソウダッ! 日本人は歴史修正主義が悪であるコトを理解しなケレバならナイ」


「しかしながら日本人には割といますね〝歴史修正主義者〟が」


「それは極右ダ!」


「いいえ。学者達です」


 リベラルアメリカ人支局長は困惑した。とんでもない変化球を投げられたと感じた。だいたいにおいて日本の学者とは『憲法9条を護れ!』とアメリカの価値観に合致することを言ってくれるありがたい存在である。現にアメリカの国益のかかっていた〝日本国の集団的自衛権の行使容認〟に際してさえ、『知日派』と呼ばれる元アメリカ政府高官のジャパンハンドラーなアメリカ人は『』という主張を日本の新聞紙上で公然と展開していた。

 その結果が解釈改憲で集団的自衛権の行使を認めるという日本政府の決定である。憲法改正の機運はこの一件で急速にしぼみ大義を失った。

 実は憲法9条の条文を一言半句変えること無く一番護りたかったのはアメリカだったという事が露呈した一件でもある。このように日本の学者達とアメリカ政府は共にひとつの理想、『憲法9条の条文は絶対に変えさせない!』という価値観を共有する仲間なのである。


 また別のシーンではこんなこともあった。日本軍慰安婦問題を追及した学者はいても米軍慰安婦問題を追及する学者はいなかったのである。ここでも日本の学者達は実にアメリカ人好みだった。

 そんな日本の学者達が歴史修正主義者だと天狗騨は言う。リベラルアメリカ人支局長が困惑するのも当然であった。


 その天狗騨は続ける。


「近頃の日本では『南京では4万人ほどが虐殺された』と主張する学者がいます。別の数を主張する学者もいます。数字は『4万』に限らず『数千』などいろいろということになりますが、どれもこれも〝30万以下〟という共通項があります」


「……」

 リベラルアメリカ人支局長はどういう意味の事を言われているのかまるで理解できない。


「おそらくは『20万しかいないところで30万殺せるわけがない』という主張に対してなんとか辻褄を合わせるべくひねり出した『説』なのでしょう。私に言わせればそれらの説の価値はゼロです」


 あたかも皮肉を込めたかのように再び『ゼロ』を口にした天狗騨。リベラルアメリカ人支局長は反射的に噛み付いた。


「ゼロとは説得力がゼロとイウ意味カッ⁉」


「ええ」


「どうシテそんなコトが言エルッ⁉」


「アメリカ人であるあなたが『南京大虐殺』の話しを始めたとき、まず『26万から35万人も殺された』と口にしました。『30万』という数字はだいたいこの中間です。そして中華人民共和国の南京大虐殺記念館に刻まれた数値も『30万』。即ち『南京大虐殺』の基準値は国際的にあくまで『30万』なのです」


「お前の言うコトの意味が解らナイ!」


「虐殺数を低めに見積もる日本の学者達は、ということです。これが価値がゼロだという理由です」


 日本のプロサッカー選手か、またはサッカーファンが言い出しそうな口上を天狗騨はASH新聞社会部フロアという実に不似合いな場所で述べてみせた。


「意味は解るヨウニ説明シロ!」


「日本の学者達はアメリカや中国を相手に『南京大虐殺4万人説』を公然と主張していません。主張していない時点で説得力が無い主張だと、そう言っているんですよ。彼らは国内向け、日本人に言っているだけだ! 日本人相手なら何でも言えるというメンタリティーは唾棄すべきもので全否定すべきものだ!」


 天狗騨は『己の主張には命すら懸けなければならない』という価値観を持つ人間で、だからこそ死刑廃止を要求する弁護士達相手に『イスラム世界にも主張すべし』と言ってのけたわけであるが、逆に言うと怖い相手には主張できない時点でその主張を〝憎むべき無価値〟と断ずるのである。


「ではなぜ日本の学者達は『30万』以下の数をアメリカ人や中国人相手には主張できないのか? その理由について、あなたにはなにか考察はありますか?」


「他人に答えさせルナッ! お前が答えロッ!」


「国際的な基準値が『30万』となっている以上、その虐殺数を値切る人間は『4万』と主張しようが『数千』と主張しようが『0』と主張しようが等しく歴史修正主義者となる、というわけです——」


 なんと天狗騨はあの『歴史修正主義』を、こういう使い方をしてみせた。むろんこんな使われ方をするとはリベラルアメリカ人支局長の完全な想定外である。


「それは断ジテ違ウッ!」反射的に飛び出すことば!


「自己弁護ですか?」


「なぜ私が『南京大虐殺』で自分を弁護しなけレバならンッ⁉ 私はアメリカ人ダッ!」


「『南京市内の安全区以外の場所に2万人くらいの中国人達が潜んでいて彼らが虐殺された筈だ』とか言っていましたね? それも虐殺数を値切ってますよ」


「ウッ!」詰まるリベラルアメリカ人支局長。確かにさっきそう言っていた。


「つまりあなたもまた歴史修正主義者です」天狗騨が指を差し断じた。


「バカを言うナッ! まだ『4万人』や『2万人』虐殺を唱える人間の方ガお前ヨリ人とシテノ良心がアル!」


「いいえ。無いです。『600万人のユダヤ人がナチスドイツに虐殺された』を『6万人が虐殺された』と虐殺数を値切る人間を、良心のある人間と言いますか?」


「……」


「歴史修正主義者と言う筈です」


 〝ユダヤ人〟を持ち出されると急に弱くなるリベラルアメリカ人支局長。もっとも彼に限らずアメリカ人にはこうした傾向が非常に強い。


「——改めて言いましょう。国際的な基準値が『30万』となっている以上、その虐殺数を値切る人間は『4万』と主張しようが『数千』と主張しようが『0』と主張しようが等しく歴史修正主義者となる。つまり0=数千=4万です」


「お前ハ『20万人しかイナイところで30万殺せる筈がナイ』と言って『30万人虐殺』を疑わシイと数字ダト非難しテイタではナイカ! 疑わシイ数字ハ基準にはならナイ筈ダ!」


「それを言ったってことは、あなたも『30万人』は基準になる数字ではない、という考えですね」


「そうは言ってイナイ! 矛盾ダト言ってイル!」


「非常に残念です。新聞記者の先達を信じず、政治プロパガンダの方を信じるジャーナリストが現代にいることが」


「なにガ『政治プロパガンダ』ダッ!」


「要は『国際的基準値』という言い方はあなたには解りにくかった、ということですね。ではアメリカ人や中国人が『30万』を基準値にしていると解りやすく言い直しましょう。この数字以外は歴史修正主義者になるのでしょう?」

 これは完全なる挑発だった。


(くそっ! テングダめ! あくまで『0』も『4万』もいっしょにするつもりだな!)

 だが『30万人虐殺』を基準値とする以上は、それより少ない数を見積もる他の値は全部『歴史修正主義』になるというのは道理である。

 少なくとも『0』と『4万』をいっしょにしないためには、『30万以下は全部歴史修正主義』という価値観をまず粉砕しなければならない。しかしリベラルアメリカ人支局長にはそんなことができる筈もない。自ら『30万人虐殺』にとどめを刺すなど。彼は自縄自縛状態となっていた。


「ひとつ重要な真実を教えましょう。実は『南京大虐殺30万人』という基準値そのものが歴史修正主義なのですよ」天狗騨がなにげにとんでもないことを言い出した。


「バカな! それではどんな数を唱えようと全員〝歴史修正主義者〟とイウコトニなるではナイカ!」


「その通りですよ」


 〝いかにも〟という感じで現れた登場人物達全てが犯人だったというのは、かのアガサ・クリスティーのあの有名なミステリー小説だが、それを彷彿とさせるような天狗騨の言い様である。



「『南京大虐殺30万人』は東京裁判に反しています」天狗騨は続けて言った。


(違うのか⁉)


 だとするとアメリカ人であるリベラルアメリカ人支局長自身、そしてかの中国系アメリカ人が書いた南京大虐殺本を絶賛したアメリカメディアそのものがナチュラルに東京裁判を否定していたことになる。東京裁判の権威をアメリカ人が引き裂いていたことになる。


 アメリカ人は東京裁判に弱い!


 天狗騨はこの弱点を衝いてきた。ニヤリと髭もじゃの口から白い歯をこぼしている。

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